迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

なおきくんとかおるさん その1

えー突然ですが、今月はTwitterの方でアンケート取った際に、興味を持たれた人専用で内容を進めていきますw で、タイトルでお気付きの方、オイラ的には“薄い本”が2〜3冊ほどできるぐらい、この二人に関するネタを持ってるモンで…w
(タイトル…釣り日和w)
1.

か:おまたせ、絶好の釣り日和だね。
な:せやな…今日はクーラーボックスいっぱいに釣りたいね。

2.



か:お、早速ヒット。お目当の魚、掛かってるかな?
な:お、幸先エエやんか。流石やね…

3.


か:げっ…引きが良かったのに、なんでアメフラシが釣れるんだよ?!
な:(笑っちゃいけない、笑っちゃいけない、笑っちゃ…w)

4.

(数時間後…)
か:結局…ボウズだったか…orz
な:ま、そう落ち込むなや…

あ、実はこのイラスト、元々はLINEスタンプ用に作成してたんだが、規約の都合(競馬関連はNG)でボツになったヤツwただ、このままHDDの肥やしにするのもアレなんで、ちょっと4コマ風に掲載しました。
以前にも、蜂谷アナと藤田アナのネタでちょっと紹介したんだが、この二人、大の仲良しで
釣りバカw どちらかが何気なくスケジュールを合わせ、海釣りに出かける事がよくあるんだそうな。特に昔は交通事情がよくなかった事もあり、夏の小倉開催時は小倉や門司に滞在して競馬中継に臨む事が普通だったため、オフに関門海峡や周防灘、豊後水道まで行って船釣りをする事もあったそうな。その他にも、競馬関係者が連れ持って冬の余呉湖でワカサギ釣りをする事があるんだが、大概はこの二人も参加してて、他が不調で全然釣れない時、二人で“爆釣”してたなんて話もw


競馬と地域振興のあり方について…

TwitterのTL上で、とある競馬記者のアカウントがこんなことを呟いていた。現状から言えば、競馬の興行としての売り上げ…即ち、馬券の売り上げに関しては、ネットで手軽に買える様になったことや、場外馬券場が拡充したことも受けて向上してるが、肝心の競馬場や関連施設周辺での経済波及効果が薄いという状況である。現場に行かなくても馬券が買え、ネット配信を通じてライブビューイングができる様になったのはいいが、それでは現場周辺に経済波及効果は薄れるばかりで、最寄駅や接続路線の周辺商業地が、いわゆる“シャッター街”に変貌して、ますます賑わいが薄れることをも意味する。正直、この問題は公営競技全般に言える話で、せっかく興行収益が良くても、周囲が寂れたら、それこそ本末転倒である。
以前にも取り上げたかと思うが、競馬に限らず、公営競技や他のスポーツでの興行に伴う、開催地の経済効果は、興行そのものの成果にもよるトコがあり、その最たるモノがオリンピックを始めとする世界規模の国際大会であり、僅か数日間の開催期間で、場合によっては財政赤字を一気に帳消しすることができる。事実、8年前に園田競馬場で行われたJBCは、それまでの兵庫県競馬組合が抱えていた累積赤字を一発で解消させた実績があり、また、園田駅周辺、および、阪急神戸線沿線の飲食店に観客が流れたことにより、一時的ではあるが、活況になったのは言うまでもない。つまり、開催現場への来場者数が増加すれば、それに似合うだけの経済効果があり、ひいては周辺地域の経済振興を活性化させることもできる訳である。当然だが、その分の税収が見込める訳であるから、行政も商店街も“winwin”の関係になる。また、開催地周辺に乗り入れる公共交通機関も、開催地が盛り上がれば上がるほど、輸送力の増強と路線の拡充を模索することになる。
しかし、そのためにはそれに似合うだけの事前準備…整備事業が不可欠となる。その整備事業の中には、防災目的の都市再開発も含まれるため、ライフライン関係の共同溝(電気や都市ガス、水道、通信インフラを一つにまとめて、幹線道路などの地中に敷設するやり方。)設置や景観保全のための整備、鉄道と道路を立体交差させる工事(高架あるいは半地下化など)なども同時進行で行う必要がある。特に交通インフラの整備は、最低でも10年先を見越した整備が重要となる。単に車線拡幅や立体交差化と言っても、それに対して沿線住民が納得し、協力(用地確保のための立ち退きや接収など)をつけられなければ、どんなに必要な公共事業だとわかってても頓挫するのは目に見えている。事実、オイラんトコで行われている国道25号バイパス事業
(通称:たつたみちプロジェクト)ってのも、現行のルートが対面通行&歩行者通路が未整備なモンで、しかも大型車が西名阪を嫌ってガンガン走ることもあって、三室山付近から分岐して、大和郡山市付近まで片側2車線の整備された道に付け替えようというモノなのだが、現時点では計画の1/5すら進んでいない…理由は、東側の住宅地内にある計画地周辺の住民が立ち退きを拒否してることと、その言い分が、通行車両の騒音や排ガスの増加を挙げてることである。西側はほとんどが耕作放棄された農地だったことや、整備することで現行ルートに残った歴史的建造物(古民家)の保全ができることもあって、サクサクと進んだのだが、法隆寺駅周辺の住宅地エリアの一部では、上記の理由で駄々捏ねてる住民がいて、用地買収すら進んでいない。言い分はごもっともでも、奈良県斑鳩町で賠償補填を行うと言っても、頑なに拒否してるから、計画が半分、頓挫してるのである。(立ち退き協力による、土地取得などに関する税優遇があるってのになぁ…)
話が逸れたので元に戻すと、小倉競馬場の周辺整備の一環として、北九州モノレールの整備事業をJRAが負担したのは有名だが、同じ理屈は、公営競技を行う自治体でも同じで、園田競馬場周辺の道路整備や無料送迎バスの負担は、兵庫県競馬組合兵庫県自身が行っていることであり、それを請け負っている阪急バスと尼崎交通局から移管した阪神バスにとっても、園田競馬場へ足を運ぶファンが増えないと、増便にかかる経費を請求しにくくなる。また、交通の便が悪いがゆえにクルマで来場しやすいように、競技場周辺の駐車場を整備するにあたっても、
接続する幹線道路の交通量、及び、瞬時に処理できる能力が限られると、結果として開催時に途方もない交通渋滞を引き起こすことになる。阪神競馬場の場合、近くに中国道インターチェンジがあるとはいえ、そこに接合する道路自体が対面通行区間ばっかで、開催の度に周辺に大渋滞が発生する。駐車場が大きくても、それに対応した道路でない以上、渋滞が解消されることはない。だから、“来場には公共交通機関を使え”という話になるし、そのための整備事業に、該当する鉄道会社と主催者、さらには自治体や国も巻き込まざる得ないのである。そして、周辺の商店・ショッピングモールの協力も必要なのであり、駐車場を提供するだけでなく、そこでお金を気持ちよく落としてもらえる工夫がなければ、結果的に経済活性化計画自体が失敗することになる。京阪淀駅が現行の位置へ移設となった際、周辺商店街は猛反発した…その理由が、競馬ファンが“商店街に立ち寄らなくなる”からだった。だが、交通量的に立体交差にしないとヤバい踏切があり、ただでさえ道幅狭いトコだったこともあって、結局泣く泣く商店主たちが応じた訳で、その代わり、一部店舗は競馬場寄りに移転したり、合同の利用者サービスを導入するなどして、なんとか維持している。単に、自治体や主催者に頼るのではなく、地元商店街だからこその工夫や啓発行動も必要である。それが上手くかみ合えば、必ず経済活動は活発になるし、本当の意味でのインバウンド…内需拡大は見込めるのである。それに対して反発してる理由はどこにある?初期投資以上の収益が見込めないと最初っから嘲笑ってるのは誰だ?失敗を活かさずに成功する事例など一つもない。地域振興の一番の要は、現行の“観光資源”をいかにして活かし、どう発展させるかである。

横断幕だって、マナーレスでは困りますw

以前の続きみたいな話だが、今回は参院選公示日ってことで、横断幕についての話w え、政治と全く関係ないじゃんかって?いえいえ、競馬も含めてスポーツの観戦・応援のマナーには、試合会場に“政治的な意図を持ち込むべからず”ってのがあって、それが守れないと、たとえ熱狂的なファンであっても“出入り禁止”になる…要は、混乱に乗じてテロ行為を誘発させようとするフーリガンと同じだからである。
最近でこそ、パドックにカラフルな横断幕がいくつも掲揚されるようになった訳だが、オイラが競馬を始めた頃は、殆ど見かけなかった。正確に言えば、GⅠ開催時はともかく、重賞もないのに厩舎や騎手の横断幕でパドックの柵がギッチリってのはなかった。もちろん、そのきっかけはオグリブーム以降の話だが、実はアレにも、明確なルールがあって、それを遵守出来ない場合、そのまま“お持ち帰り”となってしまうのである。手続き上のルールに関しては簡単に説明すると、開門と同時に各開催競馬場の総合インフォメーションで横断幕掲示許可願書という書面(場所によっては申込用ノート)に必要事項(住所・氏名・掲載内容など)を記入し、実際に使う横断幕と一緒に提出し、許可が下りた時点で所定の位置(大概はパドック)に取り付ける…ということなんだが、ここら辺は競馬場によってバラバラw ただし、その際にチェックされるのは、掲揚するのにふさわしいか否かである。当該競馬場のレースに出走馬がいないのに、勝手に出すこともできないし、騎手を罵倒する内容のモノは当然、さらには競馬と関係ない、ヘイトスピーチ系の内容や政治批判は、言語道断。それは、たとえ馬主や生産牧場の親族に政治家がいても、競技と関係ない以上、やってはいけないのと同じである。
サッカーの試合で、よくヘイトスピーチ系の煽り看板が問題になるのは、やってる当人にしたら、単に相手チームの戦略や態度の悪い選手に対しての批判のつもりでやってるんだが、その内容が、他の観客や当該選手、場合によっては対戦チーム双方からして、あまりにも卑劣で下賤な内容だから批判されるのである。もっと言えば、単純に自分の好きなチームや選手を応援するなら、それで止めておけばいいのに、余計な罵倒を盛り込むからである。しかも政治絡みな内容になるのは、プロスポーツの場合、世界中から有能な選手・競技者が集まるためであり、日本の場合だと、どうしても韓国人選手が契約金などの都合で日本のチームに属してたりするモンだから、いわゆる嫌韓フーリガンにボコられる訳である。野球やサッカーの場合だとチーム丸ごとで批判されるトコもある訳だが、ゴルフや卓球ではそういうヘイト系のモノは見たことがない。ま、卓球自体はそこまでメジャーなモノじゃないし、ゴルフの場合はそもそも“大声での応援厳禁”という紳士協定的な観戦マナーが徹底されたスポーツだからってのもあるが、大観衆が入る競技であればあるほど、いわゆる“集団心理”ってのが働く訳であり、それを巧みに使って騒動を起こそうとする輩が、世の中には少数ながらいるって訳である。そのほとんどは、社会に対する不満…しかも自分の思い通りにならないことを、完全に“他人のせい”にしたがるのである。だが、そういう憤懣は誰しもが何らかのカタチで抱えてるモノであり、それを表に出すかどうかは、個々の理性と信念にかかってる。しかし、何らかの事情で精神的な箍が外れると、途端に暴徒化する訳である。
そういった最悪な事態を防ぐために、横断幕掲揚の際に一定の手続きを踏み、且つ、内容の精査が不可欠なのである。国際競争だと参加国の国旗が場内の掲揚台に挙がるし、エリザベス女王杯の場合、英国領(独立国家であっても、左上にユニオンジャックがある国旗の国)以外での英国王室公認のレースとなってる加減で日章旗と共にユニオンジャックが翻るし、海外に日本馬が出走する際は、それぞれの国で日章旗は挙がる。それに対してイチャモン付けるのであれば、それこそ、政治と庶民のイベントを結びつけんなと言ってるバカに言いたい。どんなスポーツ競技も、それは形式は違えど“戦争”であり、主催国…“敵地”で戦果を上げることは、その“戦争”で善戦した、あるいは勝利したことを意味する。ただし、だからと言って負けた相手を罵しる事や、戦う前から参加者を愚弄する行為は、それこそ失礼にあたるし、最前線で戦ってる自国軍の兵士が、保護してる庶民に後ろから襲撃されて死傷する事と同じである。

馬頭観音に対する思い…日本の馬事文化 その3

競馬関係者のみならず、農業…特に畜産業を営む人や、今でも畜力(牛や馬、象などの大型草食獣や犬など)を利用する日本人ならお馴染みの馬頭観音…仏教における菩薩の中でも、なんだかんだとレパートリーが豊富な観世音菩薩だが、もともと菩薩行として様々な世間の意見を見聞きすることが使命になってるのが観音菩薩の本分であり、人間でいえばコールセンターのオペレーターのような存在であるw そもそも、なんで日本の仏教では無闇矢鱈と“観音様”信仰が一般的かといえば、日本での仏教伝来に伴う“取り扱い”が、ある意味土着(=地域内限定の)信仰とミックスされてるトコがあって、それゆえに、ただでさえ様々な仏菩薩(如来や天部といった存在も含めた総称)がいるにも関わらず、さっきも言った“仏教におけるコールセンター”である観音菩薩が、様々なカタチでカスタマイズされ、今日に至る訳である。だから、千手観音や十一面観音等といった、ある意味妖怪(?)じみた観音像も存在する訳である。
本題から外れるが、日本の仏教は奈良時代〜平安中期と鎌倉時代初期では、若干意味が違ってくる訳で、そもそもは貴族階級の教養の基盤として、その配下の民衆に対して、仏教による礼節や社会的役割を示してくのが是であった。そのため、広く貴族達が仏教への帰依を推し進めるために天皇が“国教”として仏教を自らが実践したのが天平時代の話であり、のちに地方へ赴任する貴族や、実権を握ってた地方豪族に対しても、仏教への帰依させるために、至る所に国直轄の寺院…国分寺を寄進しまくった訳である。で、多くの貴族が旅先での無事を願い、用いたのが薬師如来である。実は薬師如来は日本では“使い捨て”であり、道中での役目が終わればその場に置き捨てして、次の場所へと移動するのが一般的だった訳である。これが、平安中期ぐらいまでは“普通”であり、この概念が一変したのが源平合戦が起こり始める頃…所謂“仏法における終末思想”である末法に、平安後期から突入する訳である。そして鎌倉幕府が本格的始動となる頃に、念仏や禅といった“鎌倉仏教”が流布し、戦国時代のすったもんだや明治〜戦前の“神仏合祀”を経て、今日に至る訳である。つまり、貴族達の“御守り”だった薬師如来から、江戸時代までには仏教そのものが一般庶民にも普及したことから、いつしか観音菩薩に有り難みを感じ、それを本尊とする風潮が一般的になった訳である。それに、自分たちの愚痴を聞いてくれる存在として認知してたトコもあるからこそ、仏教における“救いの手”として、広く持て囃されたと言っていいだろう。
ここからが本題、馬頭観音とは、数ある観音菩薩の中でもどのようなポジショニングであるか?その名の通り、頭の上に馬の首が乗ってるが故に、“馬の神様”っぽく思われるが、実のトコを言えば、平安期までの薬師如来とほぼ同じで、旅の安全を祈願する存在であることが殆どである。つまり、交通手段として馬を利用してるトコでは、愛馬の交通安全祈願として、あるいは、そこで使役に従事してた馬や牛を“処分”する際の供養として、道端や牧場の片隅に建立した訳である。その“伝統”は現在でも続いてて、競馬場には必ず安置されていて、開催前日にはその石碑の前で安全祈願をやる訳である。また、畜産業を営む農家は、厩舎の神棚に祀ってることがあって、基本的には繋養してる家畜の健康と、経営の安定を願うために手を合わす訳である。そこから転じて、実は物流業でも馬頭観音を祀ってる場合がある。会社経営においては稲荷信仰が一般的でも、物流…主に運送会社の場合は、荷役を馬や牛に頼ってた名残で祀る訳である。こうしてみると、馬頭観音はコールセンターにおける交通と畜産の専門オペレーターとも言える訳であり、だからこそ、畜産のみならず公共交通や物流業の“守り本尊”として、今でも信仰が厚いのです。
ちなみに、寺院に祀られている馬頭観音は、大概の場合、漫荼羅や仏像といった造形として存在してるが、競馬場などでは文字のみの石碑であることが多い。これは地域や立地条件などが関係してる部分で、農業学校(高校や大学)の場合、私学はともかく、公立校は特定の宗教に肩入れするべからずなため、敢えて“馬頭観音”としてではなく、家畜の“慰霊碑”として構内の片隅に祀ってるのである。当然だが、競馬場にある馬頭観音も磨岩仏などの形式ではなく、文字曼荼羅様石碑になってるのは、そういう都合である。

月月・日日の鍛練が、自分の使命を切り拓く。

今月12日まで、京都駅にある美術館“えき”で開催されている武豊展に行ってきた。デビューから30年という節目を迎え、なおかつ、今でも最前線で活躍してる凄腕なのは言うまでもないが、その展示パネルの中に、この人の“本当の強さ”を見出すことができた…

“今の自分を超える自分になる”

これ、実は多くのアスリート…特に若くして世界トップクラスの成績を誇る人達全員が異口同音で発してる言葉にして、その請願に立って精進してるからこそ、今の結果に結びつくことを意味してる。宗教絡みの発言で申し訳ないが、日蓮宗系の宗教団体に属してるなら、この御金言を知らない人はいない…
“月月・日日につより給えすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし”
                   (聖人御難事より抜粋)
要約すれば、「常日頃からの精進に励みなさい、少しでも慢心があれば、それをきっかけに没落する…」という戒めの言葉である。と、同時に、自身の鍛練は過去の自分からの成長を促すことを意味する。つまり、自分が培った栄光も、直面した苦難も、全て自分が選び、乗り越えた“結果”だからこそ受け入れられる訳であり、だからと言って“過去”に縋るのではなく“打ち破る”ために、挑み続けることを意味する。だからこそ、現役にして中央競馬通算3800勝以上の勝ち鞍を誇り、中央のGⅠタイトルにおいても、朝日杯フューチュリティーS以外は、一つ以上勝ってきた訳である。デビューから30年の地道な積み重ねが、揺るぎない金字塔を次々と打ち立てた証左である。
同じ理屈は、競馬実況アナにも言える話で、周囲から認められる存在へと成長するには、どんなレースを実況するにあたっても、経験不足なんてのは後からでも身に付くモノであって、経験豊富なベテランであっても、実況で失敗することは日常茶飯事である。過去の“名実況”と言われるモノに自惚れ、自意識過剰な実況アナほど、己の未熟さを戒めず傲慢になりがちであり、その結果、自らのミスが原因で双眼鏡を置かざる得なくなる。逆に、常に研究熱心で、自分をとことん鍛え上げようと現場で、あるいはスタジオで鍛練に余念がない人ほど、たとえ最前線から身を引いた存在であっても、その経験を後進に教え、自らもサポートに入ろうとする。当然だが、身体的に一線を引かざる得なくても、経験と知識を活用できる場がある以上、次世代を担う人材を育成する使命を請け負うことはできるが、生涯現役で活動したいのであれば、それこそ陸続と現れるエース級の実力者と戦い続けなければならない。
話を戻すが、確かに、デビュー当時は父親…武邦彦という“ターフの魔術師”という存在があり、その後光による影響もあったと批判するかもしれないが、自分の親が、業界における“偉大なる存在”だからこそ、子供としてその姿に憧れ、“先輩”として見習い、そして“勝ち超えるべき目標”として見てきたからこそ、人一倍の精進を怠らなかった…だからこそ今の姿がある。それゆえに、若かりし頃は所属厩舎の兄弟子たちに可愛がられる反面、多くの反感を買う出来事に遭遇することも多々あった訳であり、勝負の世界であるからこそ、一度レースで馬に騎乗する以上は、人間的な情に流されるようでは生き残れない。だからこそ、国内のレースで辛酸を舐めたことも、自分の居場所を求めて海外へ武者修行を行ったこともある。その積み重ねと、必ず巡り来る機会を逃さずに挑み続ける勇気と度胸が、全ての結果に結びつくのである。もっと言えば、自分自身が妥協せずに精進し続ける意思がある以上は、どんな結果であっても受け入れられるし、他人から見たら不幸な事に思えることでも、それを幸福に換えることもできるのである。同じ結果であっても、それを“幸運”とするか否かは、自分次第である。だから、常に周囲から注目される存在でありながら、一歩も引かず、臆することもなく、前へと進み続けることができるのである。その結果が、今日の姿である。
一口にベテランと言っても、本物の“実力者”というモノは、日々進化し続ける。過去の実績や栄光なんてのは、それまでの結果であって、現在進行形ではない…そこを勘違いして自惚れていたら、成績が向上するどころか、余計に低迷する事になる。同じ自惚れるのであれば、それに似合うだけの結果を受け入れ、そこから自分がどうしたいかを考え、行動に移すことである。最初はその道の先輩にバカにされることを恐れるだろうが、それは誰もが通る道…自分が後進に対し、自分が受けた屈辱を与えるか、それとも、落ち込む相手に叱咤激励を行うかは、
自分自身の深層心理一つで決まる。嫌われ者として我を通すのも、八方美人として愛想を振りまくのも、自分自身の胸算用…そこんトコをキチンと理解し、また、学び続けてるからこそ、強いのです。勝負の世界じゃ、精神的にタフじゃなかったら生き残れませんからね…

意外と多い、“カワイイ好き”な話w

武豊騎手が“キティラー”というのが結構有名になってるようだが、実は競馬実況アナとて、他人の事を笑えた立場ではないw こういう話に関して言えば、真っ先にヲ執行役…もとい、渡辺アナの“くまちゃん”を思いつく人も多かろうと思うが、ハローキティに関して言えば、実は杉本アナの持ち物にも、ちゃっかり潜んでたりするw そのきっかけは、以前紹介したネタの“ハンプラ”にまつわる部分で、競馬関係以外の人物…特にトレンディ俳優などの名前を、還暦前後のオッサンが覚えるのは、ある意味苦行に近いw そこで、通常の手帳とプラスして、ハローキティの手帳をメモ(備忘帳)として持ち歩くようにした訳である。当人曰く、「還暦過ぎのオッサンが持ち歩くのに恥ずかしいようなモノだったら、絶対に忘れないと思うからw」とのこと。今も持ち歩いてるかどうかは不明だが、少なからずともラジオ番組をやってた頃は、毎年、競馬用(いわゆる競馬手帳)と他の業務用(ハローキティ)として2冊の手帳を購入し、使い分けてた。(今でもその使い分けを継続してたら、多分、先週のダービーのメモとして“浦ちゃんの乙ちゃんへの純恋歌”とか書き込んでるかもw)
馬場アナの“くまプー”好きは有名だが、実はそこにはちょっとした裏話があって、球場とかでの業務中に、同業他社の実況アナと交流する事はしょっちゅうなのだが、一番困るのが、荷物の管理…特に、男性は持ち物が似たり寄ったりする事もあり、同類のバッグがいくつも同じトコに置いてあると、自分のバッグと間違えて他人のバッグを持ち出してしまってる事が頻発する訳である。そこで、自分用の目印として、黄色くて目立ちやすい“くまプー”のチャームをバッグに付ける様にした訳である。同じ様な事は、長年サンテレビで野球実況をやっている谷口英明アナもやってて、彼の場合はミッキーマウスだったりするw(まぁ…いわゆる“痛バッグ”で取材に行かないだけマシといえばそこまでなんだが…)
いわゆるメジャーなキャラクターでなくても、競馬場で売ってる馬ぐるみチェーンチャーム(アイドルホースチャームとかの名称で売ってるアレw)だったり、ターフィーのチャームを付けてるケースもある訳だが、そういう分野に関して一番災難なのは、家族に強制的に使わされる場合w この言い回しで察した“うまきん”リスナー…わかってますよ、大関アナの場合ですw 彼の場合、嫁さんがふなっしーのファンで、大阪支社勤務時、事あるごとに“関西限定ふなっしーグッズ買ってこい”と言われる始末で、本社転勤で元の自宅(=嫁さんいるトコ)に戻ったら、自分の部屋がふなっしーで占拠されてたそうなw しかもご丁寧に、パジャマ代わりに使うパーカーまでふなっしーときたモンだから、リスナーはもとより同僚からも揶揄われてるのは言うまでもないw (ただでさえ童顔だから、モノによっては余計に中学生呼ばわりされかねない…)

ま、酔狂な方になると、なぜかオイラのイラストを気に入られ、メモか何かに忍ばしてると言う情報もあるのだが…実際に使われてる場面を見た訳じゃないんで確証はないが、少なからずとも、台風接近時や大雪が予想される時、御守り代わりにしてるらしいw


札幌ドーム問題と自治体の“皮算用”

昨日、北海道日本ハムファイターズが札幌市内で新拠点を構える計画があるという報道があった。今の拠点である札幌ドームの賃貸料が、札幌市の都合で値上げされ、それをチケット代などに転嫁せざる得ないことと、それ故に、球団運営は毎年赤字で、親会社の日本ハムから“広告費用”という名義で補填を受けているとのこと…これが何を意味してるかといえば、その費用が嵩めば、親会社が“身売り”を考え出す可能性があるということであり、また、施設の運営母体である自治体が、ある意味不当な賃借契約条件を突きつければ、その影響で“最悪な事態”を招きかねない。これ…公営競技でも同じで、施設が自治保有で管理してる場合、主催者である競技組合や企業・団体は、開催の度に施設の賃貸料や使用料というカタチで、収益の一部を納付しなければならない。この収益が、当該自治体の税収の補填となる訳で、収益が大きければ大きいほど、当該自治体の図々しさが露呈することになる。
沖縄の米軍基地問題でもそうだが、本質的には米軍が“完全撤退”されると困るのは基地や関連施設がある自治体であり、沖縄県全体の産業や経済基盤を考えた場合、米軍基地運用以外の代替案がない以上、難しいのは言うまでもない。この理屈を無理矢理北海道に置き換えた場合、自衛隊の駐屯地がやたら多いのは、ロシアに対する牽制もさることながら、駐屯地の数だけ経済基盤が確立する訳であり、人口以上の税収を見込めることが背景にある。つまり、国や当該組織からの税的補填が大きいからこそそうなる訳であり、そこに所属してる者が、全員“変態”という訳ではない。仮にそうであった場合、そのまま“隔離施設”として流用すればいいだけであって、外部との接触を避けるようにしたら、大概は解決する。
閑話休題…つまり、札幌市としては、Jリーグプロ野球の公式戦での収益が、他のイベントよりも興行的に繁盛してるからこそ、コンサドーレ札幌や日ハム球団に対して“もっとよこせw”と言ってる訳であり、コンサや球団側としては“ふざけんな!!”ってことになってる訳である。裏を返せば、札幌市の財政が人口の割に潤沢ではない証左であり、無茶苦茶な都市整備事業などをやってるツケを、収益が見込める事業でどうにかしようと躍起なのであると考えていいと思う。だが、あまりにえげつないことを自治体がやれば、優良企業ほど撤退するのは言うまでもなく、余計に財政悪化を招きかねない。
公営競技もまた然りで、収益が見込める間は文句言わないが、少しでも収益が振るわなくなると、途端に廃止を考える。まして、収益の殆どを、なぜか“使途不明金”として取り扱ってることが多い。本来であれば、さらなる収益を見越した施設の更新や、周辺地域のインフラ整備に使われないとおかしいのに、大概の場合は公用車や役場内の設備…しかも大概が装飾品の購入に使われるのである。一番“不要不急”な部分に対して、これでもかと贅沢してるようじゃ、まさしく本末転倒である。もっと言えば、施設の運用に関しては、主催者や管理事業者が工夫を凝らして“使いやすい”環境にすべきであって、そうなれば別次元で税収が見込めるようになる。その具体例であり、良きお手本となっているのが、仙台市民球場新広島市民球場…コボスタ宮城とマツダZOOMZOOMスタジアムである。正式名称こそ“市民球場”という名前だけあって、所有権はコボスタは仙台市、ZOOMは広島市である。しかし、施設の運営や管理は楽天や広島球団に委ねられていて、施設内でのテナント毎のイベント等も、球団側に利益が出ることが前提で、設定が自由になっている。だから、観戦チケットの販売に関しても“お得感”満載なパッケージができる訳で、さらに、球場そのものが企業によるネーミングライツ(命名権)によって、自治体には一定の収入が得られ、しかも税金を使わなくても施設の管理を球団側が引き受ける契約をしてるから、公式戦で使わない際に一般市民へのレンタル(イベントや草野球の試合での使用)も、格安で出来る訳である。(さらに言えば、一応、広島カープは名義上“市民球団”ですからw)実のところを言えば、関西にも同じ事案で存在していた(?)球場があった…今は阪急西宮ガーデンというショッピングモールになった西宮スタジアムである。阪急が球団(檻牛の阪神…もとい半身)を所有してた時の本拠地で、実際は阪急電鉄の所有物だった訳だが、実は公式戦が無い時は競輪場であった…というより、競輪場としての役割の方が主であり、公式戦はあくまでオマケ程度だった。しかし、本業である鉄道事業での業績不振から球団の身売りを行い、競輪だけで稼ごうとしたら、実はそっちの方が業績で足を引っ張ってたことが判明し、主催者である西宮市や兵庫県と協議した結果、兵庫県から競輪の火が消えたのである。(こういう部分では、先に甲子園競輪を廃止に追い込んだ阪神電車の判断は正しかった訳だがw)そういう反省もある影響で、実は阪急は競馬に関しては積極的であり、ゆえに阪神競馬場園田競馬場に向かうファンに利便性がいいように、ダイヤや駅の構造が、いわゆる“競馬シフト”なのである。(ま、園田駅の場合は、優良列車の待避駅としての名残なんだが…)
要するに、自治体としては地元におカネを落としてくれる“金の雌鳥”な訳で、だからこそ本来であれば、様々な優遇を行ってやるべきなのだが、一部の市民団体がそういったことに対して、猛反発することがわかってる自治体では、むしろ泣く泣く“無茶振り”する訳である。