迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

馬の安楽死と人間の終末医療の話…

シン(以下シ):競馬ファンの皆様、こんばんは…シンです。
オグりん(以下栗):ブルヒーン、オグりんだお。
ワ:えっと…Web上では初めまして。この一言で“生前さんが予測できた人…ご無沙汰してます、“YYOSHINO Blossom”…略して“ワイビー”です。
栗:んお、なんで昭和なサラリーマンがここにいるだお?
ワ:いやね…“生前さん”が結構な競馬バカで、ノブさんに誘われたんですよ。競馬の話題、扱ってみるかってw
シ:ま、まぁ…詳しい経緯とかは、今年の“Shin's Bar”でお伺いするとして、今回はこの3人(正確には2人と1頭ですが…w)でお届けします…

さて…今回は相次いで不慮の事故のニュースがありまして、それに関して、ちょっと考え方を変えてもらえるかどうかわかりませんが、人間の場合との比較で考察すべき点を取り上げたいと思います。

ワ:先週の天皇賞1週前追い切り中に、有力馬の一頭に挙げられていたシャケトラが故障し、安楽死処分となった件だね。
シ:それプラスで、4月1日にウオッカが、英国ニューマッケットで左後肢粉砕骨折からの蹄葉炎発症で予後不良となった件も…です。
ワ:え…ウオッカも。
栗:いずれの事案も、骨折が因で安楽死処分ってなってるだお。でも…なんで骨折すると“安楽死”なんだっていう意見が、SNSで散見されるけど、骨折の部位と程度にもよるだお。いずれの件も、重篤という判断からの措置だおね。
シ:もう少し正確なことを言えば、“自力歩行”ができるかどうかを踏まえると、それが“困難”と判断されたからってことです。
栗:そういや…ボクちんの“生前さん”も、放牧中の事故からそれで、ボクちんがここにいる事になったって訳だおね…w
ワ:それにしても、なんでそんな勘違いが頻発するんだろうね?
シ:事の根幹を質せば、人間と他の動物…殆んどの四足歩行を行う動物とでは、骨折部位による予後の状態が違うってことを、知らない人の方が多いからです。
栗:ご主人様の感覚で言えば、人間だとこの状況って、国指定の難病や脳疾患、癌の末期症状で、自力ではどうにもならない状態と一緒って…んお?ボクちん、なんか悪いこと言っただおか?
シ:いや…その例え持ち出されると、俺の“生前さん”が、ある意味最期がそうだったから…
ワ:確かに…他人事じゃないな、この例えで考えたら。
シ:気を取り直して…要するに、高齢者介護でもそうですが、いわゆる“終末医療”という部分で語ると、ほぼこの状況下にある親族と当人の立場って踏まえれば、何をもって“最善”とするかは、誰一人として“わからない”訳であり、どの選択肢を選んでも、最終的には心理的に深く傷付く事は避けられない話って事です。
栗:ボクちんら大型草食獣の場合、蹄動(ていどう)作用に重要な役割があって、1時間以上の散歩や放牧は、生命維持に必要な動作なんだお。歩く度に蹄が収縮を繰り返す事で、四肢の血流を維持できるんだお。でも…それをやりたくても蹄葉炎って病気になると、蹄の負荷がそのまま痛みとなって全身走るから、立ってるのも、動くことすらできなくなるだお…こうなっちゃうと、ただ単純に苦しいだけだお…
ワ:あ、そうか…人間は二足歩行だし、腕や脚が片方全損しても、義肢を付けたり、車椅子等のウェラブル機器を使えば動けるが、馬を含めた家畜の多くは四肢で自重を支えることから、小型・室内飼育が可能な猫や犬はともかく、殆どの場合は自立不能になるな。
シ:人間の場合は国や自治体で医療費の助成が受けられますが、動物は全額飼育者負担…経済的なことを言えば、最期まで面倒を見るという行為は、それだけの負担をできる人でなければ、動物を飼うという行為は、やってはいけないんだと思いますよ…もちろん、安易な気持ちで保健所に持って行って殺処分なんてのは、もってのほかですが。
ワ:そこだよね、殆どの人が一番混同してるトコであり、安易な殺処分や自殺幇助じゃないと説明しても、理解されない部分って。教育現場等でも、“命の尊厳”は守られるべきと教えるものの、本質的な意味での“尊厳”の中には、予後不良に伴う終末医療のあり方も、一つの課題として取り上げるべきであるにも関わらず、単なる延命措置のみを語ってる時点で、もうね…それは“違うだろ?”って話だね。
栗:ご主人様曰く“死は一定(いちじょう)”であって、誰も避けられない以上、いつかは“辛い決断”を強いられるって事だお。その一つの考えとして、治療の甲斐なく、ただ苦しむだけの最期であるならば、それを少しでも和らげる術として、安楽死(尊厳死)は一つの選択肢として、頭の片隅に留め置いてた方がいいと思うだお。本当に辛いのは、病床で痛みを堪えてる当人だお。看病する人や医療機関、多くの人々に“迷惑かけてる”って自覚があるから、余計に精神的に苦しくなるだお。
シ:そうですね…“迷惑をかけたくない”という気持ちが、却って自分の首を絞めてたのかも…
ワ:まぁ…それはそうだよね。安易に命を弄ぶ行為じゃなく、真剣に救済したい一心でやってる行為が、結果として悲劇しかないのであれば、いかに“後悔しない”で済む答えを選ぶか…ってことだから。その難しさを思えば、“命の尊厳”とは、当人以外どうする事もできない部分と、当人では無理な部分があって、そこの線引きが明確じゃないからこそ、様々な意見がある訳で、一概には言えないってトコだよね。


シ:今回は競走馬の事故につきものの“安楽死”に関する話題を取り上げましたら、いかがだったでしょうか?
栗:話の流れで説明しきれてないけど、骨折といっても、40年ほど前なら剥離骨折でもあり得たけど、今の獣医学では、自立・自力歩行が可能であれば、ボルト固定等の外科処置で完治するケースもあって、簡単に安楽死処分となる事はないだお。でも、加齢による疲労骨折や、治療箇所の再骨折等、治療が困難、且つ、体力的に無理と判断されると、蹄葉炎を併発して余計に苦しむ事になることから、“馬の尊厳”を守るためにも安楽死処分は避けられないだお。
ワ:人間でも昨今では“尊厳死”という、終末医療において機械による延命を処置を断り、医師立ち会いの下による安楽死の選択を取るケースがあります。あくまで“医療行為”としての話であり、人生を悲観しての自殺とは、完全に別の話です。また、交通事故で一命を取り留めたとしても、頭蓋骨陥没骨折等に伴う脳挫傷で致命的ダメージがあった場合、いずれにせよ“辛い決断”を迫られる事になります。
シ:いずれのケースでも、遺される者は、その喪失感と、事情を知らぬ他人からの批判は、避けて通れないかもしれませんが、もし“自分自身”が、その立場になった時、今回の話を思い出してください…今回はこの辺で失礼します。