迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

つまらないの“正体”

SNSで散見される、外国人騎手…てか、デムルメがGⅠ荒らしをやってる事に対する批判、それプラスでよくある“社台系の運動会”という揶揄…ここの部分に関して言えば、正直な話、オイラ的には“ファンが望んだ夢”の“答え”であり、僻みにしか聞こえない。確かに、今から30年ぐらい前の競馬は、今よりも個性派が多かったこともあって、アーカイブで見る分には面白そうかもしれないが、当時を実体験してる身からすれば、今の方が圧倒的に洗練されて、かつ、環境的に競馬に集中しやすいと…と思う。それだけ日本でも競馬文化が成熟したことを意味するし、オイラは良い事だと考える。でも、“面白くない”とか“つまらない”という意見があるのはなぜか?


その背景にあるモノ…つまり、“つまらない”という感覚の“正体”は、今の“快適な環境”に慣れすぎたといいう部分と、苦労することの“楽しさ”を覚えたからこその苦言である。前者はブラッック上司の体質と一緒で、後者はなんで戦争系のゲームや物語が後を絶えないかという部分の答えになる。要は嫉妬からくる僻みが、純粋に“競馬を楽しむ”という感覚から遠ざける要因になってるという訳だ。

以前にも散々書いたが、今日の日本の競馬事情が世界でも通用するようになったのは、それまで“血統の墓場”と揶揄される程劣悪だった状況を打破するために、社台グループが躍起になって馬産地改革を進めた事に対し、当の馬産地である北海道日高地方をはじめ、主に本土(特に東北地方)の牧場経営者は、ハナで嘲笑いバカにして、単純に競走成績…しかも中央競馬での中・長距離内国産血統にしか興味を示さなかった。また、内国産種牡馬の保護と推進を是とする政策として、所謂“マル父ボーナス”制度というルールが存在してて、それを理由に中小零細の家族経営牧場は、高価な外来種牡馬よりそっちを好んで選んだ訳である。その結果、社台グループ以外の名門牧場の多くが倒産や廃業となった訳であり、その下請けだった牧場も、次々と潰れた訳である。生き残ったトコでも、その多くは繁殖から育成までの一貫経営をやめ、繁殖のみの経営に切り替えた訳である。

社台ファームをバカにする割に、これが繁殖に関しては、多くの馬主が賞金収入に拘るあまり、血統よりも成績を重んじた結果、今以上に特定の血統のみに偏る状況に陥った…しかも多くが、ノーザンテースト産駒の繁殖牝系ばっかになったため、アウトブリート血統を探すのが、国内では困難を極めた。現在でもサンデーサイレンス産駒牝系が殆どの為、サンデー系牡馬の重賞ウィナーでも種牡馬になれないケースが頻発してる訳で、アウトブリート系の繁殖馬を求めても、その殆どが社台グループの系列牧場に集約されている為、結局馬産地で、社台グループを相手に喧嘩する行為は、ある意味で“自殺行為”に近い状態になっている訳である。

昔の競馬は、良くも悪くも“畜産振興と保護”が前提にあって、そこに基づいた保護政策の一環として内国産種牡馬ボーナスや市場取引馬ボーナスが設定されていたが、それでも庭先取引が一般的だったのは、馬産地自身が政府の方針や農水省の指導を無視した方が、経営的に“安定”するからという部分が大きかった。これは家族経営な農家全般に言えた話だが、いくら防疫対策しろと言っても、そこにかかる経費負担が重荷になることもあって、国や自治体から助成金がないと、なかなかやらないのが実情である…6次産業化を行うにしろ、初期投資が邪魔臭いのと、家族以外の“余所者”を農地に入れること自体嫌う傾向があるため、元から大手なトコ以外では、なかなか浸透しないでいる訳である。当然だが、農協に対して金銭的な不満がある農家もあって、ワザと農協から供給される肥料や農薬を使わず、ホムセンや種苗店から格安のモノを購入することがある。(但し、自家栽培用の野菜名目なんで、一般の市場出荷用ではないが…w)

つまりは、かつての“ジャイアントキリング”を目の当たりにしたいと思う人にとっちゃ、社台グループの隆盛は腹立たしいし、“日本在籍騎手”といえど、C.ルメール騎手やM.デムーロ騎手がGⅠ戦線でバカスコ勝つのも鬱陶しく感じる訳である。しかし…少し視点を変えて様子を見れば、海外で“確実に勝てる”手段を考えると、欧州での騎乗経験がモノをいう時点でルメデムに依頼が殺到するのは仕方ないし、血統的な閉塞感をどうにかするには、ノースヒルズ岡田総帥率いるビッグレッドだけでは力不足なのは否めない。まして、かつての大物馬主も高齢化で世代交代や税制対策で法人化してる昨今、“現場の人間を育成する”という観点で出資する酔狂な個人馬主は、新規では皆無に等しい。さらに、地方競馬も売上の多くがネット投票によるモノだったり、中央との交流でJRA在籍馬が出走するといった話題性に頼ってるトコがあって、それこそ、コスモバルクライデンリーダーといった中央の馬場(しかも芝コース)で大暴れした地方馬がいない時点でお察しである。(ダートだと、メイセイオペラフェブラリーS制してるし、現役だと、カツゲキキトキトとかベンテンコゾウ、キタサンミカヅキ等、地方ダートでそこそこ強いのはいるが…)

高知競馬でハルウララが一時、注目を集めてたが、その“愛され方”を考えると、競走成績“だけ”見たら“ダメ馬”でも、地元のファンに愛されたことで却って“有名馬”になったのは、地元メディアが積極的になって地域だけじゃなく、全国の競馬ファンまで巻き込んで盛り上げたからこその話であり、こないだの福永洋一記念で草野仁アナが来場し、ただでさえ祝賀ムード(去年のダービーで息子である祐一騎手が、福永毛の宿願を果たした為)がさらに盛り上がったという状況は、まさにバタフライエフェクト…廃止寸前まで追い込まれた一しがない地方の競馬場が
、ここまで息を吹き返したのは奇跡の域である。これを“体験したい”と思うから、逆にそれが“普通”になってしまうと、感情的に興味が薄れる訳である。




つまり、“つまらない”の真の“正体”は、そこに行き当たるまでの苦労や困難を“経験したい”と思う反面、失敗や衰亡の危機を恐れるあまりに“挑み続ける”事を拒んだ者の僻みである…ダラダラな人生も大いに結構だが、そこに至るまでにどれだけの犠牲と、どれだけの重責を担って達成したかを踏まえて考えれば、批判の多くは、“他人事故の批判”でしかない。そこんトコを理解しろとは、オイラ自身は言わない。ただ…自分自身もそうやって批判され、他人に夢を踏み躙られ潰されながらも今日までのうのうとやってこれてる訳だし、やっかみいっても“自分じゃできん”事やってのけた人をバカにする事自体、惨めなだけだ。“つまらん”と思った時点で、黙ってその場から立ち去ればいいだけであり、本音はどこかで構って欲しいからこそ、成功者をバカにして自分と“同類”にしたいだけです。不平等?大いに結構…自分と他人じゃ“違って”当然。その“違い”をもって支え合うのが社会なんだから、できるヤツにできることは任せ、こっちは自分の“できること”に集中しましょw