迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

組織の闇…

先にご報告…本家でも記述した通り、この更新をもって、また放牧っす。いやね、右眼を庇うあまりに、左眼まで厄介な状態になってしまい、正直、失明寸前なんっす。ま、それをなんとか食い止めるべく、ちょっと手術受けてきます。ただでさえ、バランス悪い見え方してるんで、この際、きちんと治そうって訳で…(ry




先週、緑茶…もとい、グリーンチャンネルの某番組で、馬主協会の会長を騙る輩が、今シーズンからのか番組改正は、自分の手柄といわんがばかりの発言を受け、SNS競馬ファンから反感を買ってる訳だが、どうも競馬以外の部分でも、岩手県だけじゃなく、東北6県の行政は、ごく一部で勘違いしてるバカが、県政を牛耳ってるフシがある。今回はとりあえず、競馬関連を中心にやるが、行政に限らず、自分の“立ち位置”を弁えずに暴言吐くバカは、正直、認知症の高齢者以上に厄介&腹立たしい。こういう人がいる“だけ”で、組織がボロカスにいわれるのは、正直辛いし、悔しい。



これは何も、岩手県に限った話ではなく、いかなる組織でもあり得る話であり、故に、その悪習が連綿と、しかも表裏関係なく存在するから厄介なのである…理由として、公表することによって受けた悪評を払拭しても、その手柄は、当座の者…即ち、その事柄の当事者ではなく、現時点での責任者のモノになるからであり、仮に一般大衆に公表されることなく事が進んだとしても、罰せられるのも現役に言及され、“真犯人”そのものは安穏なまま逃げ果せる訳である。だからこそ、ドラマや舞台劇では、その“闇”を払う内容の物語ほど人気が高く、類似の物語が次々と描かれやすいのが、日本の芸事では“お約束”な話って訳である。

閑話休題、この“闇”の部分は、“恥”として葬り去るか、“悪”として潰すかで結論は大きく変わる。前者は教訓として史実に残ることもあるが、後者は完全に致命傷であり、組織が崩壊する直接の原因となる。言い方を変えれば、自分達でどうにかしようとして水面下でやってた事が結果的に民衆に迷惑をかけたと“自覚”があるから恥となり、自分ではどうにもならないことを、手柄欲しさに欲張った挙句失敗し、その“責任”を他人のせいにする上に、懲りないどころか更に繰り返すのが“悪”である。ただ…あくまでそれは公表された部分での善悪の話であり、“知らぬが仏”な一面もある。つまり、結果的に成功を収めてる人の多くは、煌びやかな経歴の裏で、人知れぬ秘密を抱えていて、その中には、とてもじゃないが褒められたモンじゃない様な案件も含まれている。

要は、自分自身の思い通りにならないのを“他人のせい”にして、様々な協力を仰いでおきながら、成功事案を“自分一人の手柄”にしたがる人程、実は世間知らずであり、単純に精神年齢が乳幼児以下である。共産系左派に多い傾向で、“ボクノカンガエタキュウサイアンコソタダシイ”で凝り固まるあまり、“自分”と“他人”の関係性を無視して正義を唱えようとする。だが、いかなる組織にも、そういう“おバカ”は最低一人いるモンで、それがどの“立ち位置”と“肩書き”を持っているかで、組織全体の命運が決まる事が多い。つまり…一番タチが悪いのが、組織の頂点にいる場合であり、ブラックな体質の組織は大方この傾向にある。但し、創立者や創業者といった人はそれでも、なんだかんだで人付き合いを学び、分相応に責任を負う自覚を持って組織運営に当たるのだが、そこから代を経ると、自分の立場が“単なる神輿”である事を嫌って“革命”を唱えて、幕下に無理難題を吹っ掛ける訳である。





まぁ…手柄はいくらでもくれてやればいい。そこに伴う責任まで背負えるのであれば、いくらでも暴君になっても構わないが、真の“暴君”ってのは、自分自身の“大切なモノ”を奪われると、途端に弱腰になって逃げ回るぐらいみっともない存在である。元から弱腰な人間はいない…様々な経験と、他人からの賞賛を勘違いして自惚れるからこそ、その地位や肩書きを奪われるのが怖くて、臆病になるからこそ、他人を卑下してしがみ付くんです…その“肩書き”に、何の価値もないのに。