迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

政治と競馬の話。

この記事を編集してる最中は衆院選公示前日な訳だが、今までの公営ギャンブルの話とは別に、政治的な競馬に関する話。と言っても、経営的なことではなく、政争の一端としての部分。
ジャパンカップやドバイミーティング等の国際競走が競馬のある国で行われている裏側には、国際的な取引が行われている事を、以前のネタでも書いたと思うが、一口に“国際競走”といっても、それを実現させる上で、一番ネックになるのは、競走馬の検疫に関するルールが、国によってバラッバラな訳で、そこには、各国の家畜伝染病に対する防疫の観点から仕方ない部分と、いわゆる“ローカルルール”を押し付けてくる場合とある。前者に関しては、エボラ出血熱や変異型鳥インフルエンザなどの関係で、人間ですら様々な事柄があるからともかくとして、後者が一番“ウザい”話である。つまり、いくら“公平な競馬開催”と言えど、その“常識”が主催国によって通じない事があるってことだ。
アメリカの競馬では、呼吸器系疾患などの予防ということでのラシックスというクスリの処方に関して、結構規制が緩いのに対し、日本や欧州の殆どの国では“ドーピング行為”と見做されるために、国際競走に出走する際、使用できないために、海外遠征を行わないケースが多い。欧州…特にフランスの場合、さらに厳しい規制があって、植物(薬草)由来成分のクスリ以外の処方が禁じられているため、日本では規制対象になっていなかったクスリが因で、“失格”というケースがある…そう、ディープインパクト凱旋門賞の一件は、そういう薬事的な部分での取り決めが、日本側が把握していなかった事による結果と言っていいだろう。同じ理屈で言えば、日本の“枠帽”制度も、海外にはないルールであり、馬番と枠番が順番通りになるのは、実は日本独自のルールである。しかしこれらは、あくまで“ローカルルール”の一つであり、また、馬名のルール一つでも、日本の場合はカタカナ2文字以上9文字以内という規定があるが、香港だと漢字(広東語表記)で4文字まで、英語圏の場合、アルファベットで20文字以内という規定がある。また、オーストラリアなどでは、馬名による宣伝行為は規制対象になっていないため、レースの勝敗にかかわらずに実況でコールされる事を目的とした名前がつけられた馬もいる…1990年のジャパンカップに出走した、ベタールースンアップがそれで、オーストラリアではメジャーな清涼飲料水であったりする。他にも、勝負服のカラーリングやデザインに関する規制も、国によって様々…
でも、一番重要なことを言えば、馬主資格に関する規定や、国際競走を行う際の検疫などは、実は農業分野における閣僚級の議論を要する部分であり、ゆえに日本の場合、農水省の役人たちの“仕事”の一つとして執り仕切られている事である。ぶっちゃけ、TPP問題にも繋がる話であり、競馬を取り巻く環境における部分において、非常にデリケートな部分なのである。そう、コメや牛肉などの農畜産物の取引がニュースでは報じられがちだが、実は競走馬に関する輸出入にも影響があるのだ。特に馬産地にとっては死活問題であり、生産馬が海外でも自由に取引できるようになる反面、海外からの輸入も“解禁”されることを意味するため、零細農家は生き残れなくなる。大手であってもその影響は免れない反面、自家生産した馬が、海外の競馬で活躍し、賞金を稼ぐことができれば、それはそれでウハウハな話でもある。つまり、浦河や新ひだかで生産した競走馬が、日本ではなく海外の競馬場でデビューし、そこで活躍すれば、海外からも注目される“馬産地”として名が通る事になる。ところが、日本の競走馬に関する取引は、原則として“日本に限る”的な空気がある為に、ノーザンホースパーク中山競馬場等で行われるセレクトセール(競市)で、海外からも注目されるような血統の仔馬が上場してても、海外への輸出を断念せざる得ないケースが多い。さらに、馬主資格に関しても、日本の場合は法人所在地が日本国内にないと取得できない。これでもかなり“規制緩和”した方で、昔は日本に在留資格がある人でないと、外国人が日本の馬主になることはできなかった。つまり、ダーレーやゴドルフィンが日本で法人資格を得れたのは、規制緩和によるモノであって、さくらコマースの場合でも、旧来の法規制に従った上での取得(実質のオーナーが外国籍であっても、日本での在留資格があったから)できたのである。また、騎手の免許についても、去年から法改正され、外国人であっても中央、あるいは地方の騎手免許(短期ではなく通常の)を取得できるようになった訳で、短期免許自体も、実は紆余曲折があって、今日に至る訳である。(ここの部分は、後日、改めて解説させてもらう。)
このように、単に競馬ができることが、どれだけのモノかという事を理解した上で、罵るのは結構だが、政治的な意図を競技の場に持ち込む事ほど、バカバカしい話はない。むしろ、競馬場の中だけでも、愚かな考えで政治批判をするのはやめる様にしないと、いかなる競技も面白くない。馬には何に一つたりとも罪はないのだから。