迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

基礎の基礎、“競馬”ってどんな競技?

そもそも、競馬という競技そのものってのは、どんなジャンルのスポーツか?ま、その名の通り、“馬の競走”な訳ではあるが、元々は“馬術競技”の一つであり、障害馬術から障害物(竹柵や生け垣、水濠など)を取り払い、直線やトリッキーなカーブを有するコースで競い合うのが、一般的な“競馬”となる…訳だが、実際は遠距離マラソン競技であるエンデュランスや、クロスカントリーも含まれる訳であり、また、地域によっては繋駕(けいが:二輪の牽引馬車)競走やばんえい競走も含まれる。更に言えば、馬術競技の中には、4頭立ての馬車によるスピード競技もあるため、地域やレース内容は、まさに千差万別。ただ…日本で“競馬”と言えば、十勝のばんえい以外だとサラブレッドのレースが一般的であって、海外競馬の話でも、基本的に日本で取り扱われるのは、ほぼ、サラブレッド系のレースである。さっきもチロっと書いたが、海外では、馬券発売が伴わない(つーか、そもそも海外ではJRAやNARのような、国の機関や自治体による運営方式をとってる方が稀w)競馬の方が一般的であり、また、馬の品種もサラ系のみとは限らない。特にアメリカでは、クォーターレースという超短距離(およそ400m程度)競走が存在し、それ専用のクォーターホースが“競走馬”として登録できるモノもある。

当然だが、“競馬=ギャンブル”という図式そのものは、イギリスの貴族文化の一端であると同時に、庶民が気軽に“楽しむ”要素として、ブックメーカーが馬券発売を行なったことから発してる訳であり、故に、日本で“競馬”といえば、欧米諸国の文化が入ってくる以前は、あくまで神事の一つとして行われていた“くらべうま”であり、明治以降、紆余曲折して今日のスタイルになる訳である…つまり、現在の“競馬”がギャンブルの一環(というより、国や自治体の収益)として馬券発売を行うようになったのは、実は戦後の競馬法改正によって、現在に至る訳であり、それまでは、馬券発売に関しては“黙認”という格好だった訳である。(戦前までの競馬は、ある意味、国や自治体が主催者ではなく、地元の馬好きが集まって、勝手にやってたトコがあり、それを競馬法である程度の“規制”をかけてた訳である。)もっと言えば、発祥の地であるイギリスの競馬そのものは、あくまでも貴族の馬術競技の一環であり、その周囲で勝手にブックメーカーが馬券を発売して、庶民も一緒になってバカ騒ぎする方向へ行ったのが、西洋競馬の基本であり、それが欧米諸国に伝播する際に、フランスでは馬券発売に関して“国の機関で行う”というローカルルールを作って開催したのが、日本でも採用してる“パリミュチュエル方式”という発売方法であり、逆に英語圏(つーか、英国領として指定された地域とアメリカ)では、今でも民間のブックメーカーによる馬券発売が行われている訳である。あ、簡単に“パリミュチュエル方式”について説明すっと、一定の控除率(馬券売上から、必要経費などを差し引く部分。)を設定し、残りの売上を配当金(当たり馬券の払戻金)に回す方式で、配当倍率が人気(売上)で決まる様になっているのが特徴で、故に国や自治体が主催者(興行主)となるトコでは、この“控除率”を利用して、税収の“補填”にしてる訳である。逆に“ブックメーカー方式”ってのは、ブックメーカー自身の“個人的判断”によって倍率が決まるトコがあり、購入するブックメーカーによって、同じ“一番人気”の馬であっても、その配当金はバラバラ…その代わり、馬券売上のほぼ全額が配当金に回るため、ある意味ブックメーカーの匙加減で、一攫千金を手に入れるケースも見られる訳である。(それ故の八百長も…ゲフンゲフン)

また、競馬の本来の“魅力”とは、ギャンブルの部分よりも、人馬一体で織りなす“絆のドラマ”や、血統的背景から導かれる“歴史小説”のような話が、目の前で展開されている事に尽きる。つまり、時として自分の人生が映し出されるかの様に、あるいは、人の思いが、愛情が、そこでぶつかり合ってる訳である。だから単に金銭的な話のみで語るのは無粋な事であり、そこに至るまでの歴史や大意を知る事も、本格的に競馬を語る上で重要な部分になる。確かに、競走馬に関して“経済動物”という視点で叩く動物愛護主義者は多いが、壮大なる“戦記”として見始めると、単なる“社会悪”として叩いてる自分を恥じる事になる…一頭の馬が“頂点に立つ”には、様々な物語があり、そこに込められた想いや願いが叶う時、思いがけない感動と共に涙を流すことになる。それは、今週の“ウマ娘”アニメにおいて、実際には“叶わなかった夢”が、物語上では“奇跡の復活”として描かれた様に、一番“叶えたい夢”を追い求めて、飽くなき挑戦を続けることに、どれだけの時間と資金と、愛情を込められるか…その奥深さを知った時、その感動は、馬券成績に関係なく、ファンも含めた競馬界全体が共有する記憶として残るのです。