迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

日本馬が欧米クラシックを制する時…

英2000ギニーディープインパクト産駒のサクソンウォリアーが、米オールドフォスター・ターフクラシックでハーツクライ産駒のヨシダが、それぞれ勝利を挙げた…特に、サクソンウォリアーに関しては、日本産種牡馬初の欧州競馬クラシック制覇であり、今後の活躍如何では、ディープインパクトの種付け料、および、産駒の価格が跳ね上がることは間違いない。しかし…どうも一部の競馬ファン(というより、歴史に疎いインテリ?)から、“日本で調教するより、海外へ仔馬を輸出して調教した方が…“という、いろんな意味で明後日な方向の意見がSNSで散見された。欧米で日本馬(正確には日本血統馬)が通用する様になるまでに、どれだけの犠牲や挑戦、関系各所での創意工夫が成されたか、その変遷や経歴を無視して語ってはいけない。そう…ディープ産駒が欧米でも通用した背景にあるのは、今から40年以上前なら考えられない様な日本競馬の“世界的地位”が、ここまで向上したという“事実”が存在し、その裏付けとして、日本産種牡馬や日本血統馬の世界挑戦のための舞台が整い、世界からも注目される様になったからこその“快挙”であり、そのために欧米では考えられないほどの速度で“世界水準”の成績を叩き出しているのである。

今では考えられない話だが、日本の馬産地は、世界中から“血統の墓場”とまで揶揄される程、欧米各国の馬産地から嫌われていた時代が長く続いた。その背景には、日本の競馬そのものが閉鎖的な印象があったのと、競走馬の取引に関して、多くの生産農家が不特定多数の人に安価で買い叩かれる市場取引より、特定の馬主や競馬関係者に対して言い値で売りつけられる庭先取引を是としてきた事情がある。特に零細農家にとって、自分達が生産した仔馬を、血統無視して特定の顧客に売買契約を結ぶ方が、下手に市場取引するよりも安定した収入が得られるからであり、故に、これが海外から批判の的にもなっていたトコがある…サンデーサイレンスウォーエンブレムラムタラ等といった欧米でもトップクラスの人気種牡馬が日本へ輸出されることに対し、多くの海外バイヤーが“日本だけに留まるのはもったいない”と言って、農林水産省JA全農などに対し、日本産馬の市場取引をもっとやるべきだと進言したが、首を縦に振ることは皆無に等しかった…中小零細農家を保護する目的が競馬開催の意義にもあるためと、競馬を含めた公営競技そのものを“社会悪”として位置付けたメディアの無理解さ、そして何より競馬関係者自身も“世界よりも内輪”での勝負事にしか関心がなかったのが、結果的に“低水準な環境”と見做され、嫌われた訳である。そこんトコを打開しようと躍起だったのが社台グループの創立者である吉田善哉総帥であり、その後を継いだ三兄弟が、それぞれの立場で奮闘したからこそ、今までの日本競馬における“常識”が覆る事になる訳である。

特にセレクトセールブリーズアップセールといった市場取引の場を、海外バイヤーにも門戸を開いた事に関して、その“代償”として社台グループは、多くの中小零細農家に対し契約を結び、万一の保証(種付けに関する優先順位の確約や条件緩和など)を取り付けて、市場取引への参加を呼びかけ、公正かつ均等な機会を与えたのである。この事によって、産駒の成績がいい種牡馬に偏りがちな状況から、様々な可能性を見出す機会が生まれた訳である。

そして何より、自由に取引できる市場があっても、海外での“戦績”が乏しい様では、日本産馬や日本血統の種牡馬が世界中で注目される状態になる訳がないのであって、だからこそ欧米各国のGⅠへの遠征が何度も試みられた訳である。その中でも凱旋門賞は、日本の競馬が本当の意味で、世界の頂点を獲る為の最終目標になってる訳であり、ケンタッキーダービーは、ダートクラシック戦線を、世界水準に引き上げる為の試金石でもある…だからこそ、ノースヒルズもオーナーズブリーダーとしての意地を賭けた挑戦を続ける訳であり、社台グループもまた然りである。だが、中小零細な生産農家がそこまでの熱意や意気込みで挑むには、あまりにも条件が悪い…それ故に、今でも庭先取引に拘ってしまう傾向があって、それが結果的に経営破綻や廃業に至ってるのである。

もっと言えば、日本の馬主自身が、中央競馬の賞金の良さに目が眩むあまり、世界へ挑戦する気にならない人が多すぎた事も、この“悲劇”の連鎖を招いた一因とも言える訳である。仮に、香港へ遠征するにあたっても、その輸送費や現地での滞在費、更には規制緩和されてると言えど、家畜伝染病予防の観点からの検疫に時間が掛かるといったリスクを踏まえると、“愛馬”に掛かるストレスを増やしたくないという“理由”で、招待されても“断る”ケースがある訳である。(もちろん、日本に遠征する海外馬主も同条件なんだが…)こういう“臆病な勝負師”が日本の馬主には多く、また、競馬関係者でも海外遠征のリスクを避けたい人が多かった…海外競馬での“最悪”のケースはレース中の事故で“帰らぬ馬”になる事。事実、ドバイでホクトベガが殉死した際、その亡骸を現地で荼毘に付さなければならなかったのは有名な事で、これも家畜の検疫に関するルールで規定されてたがためであり、また、コスモバルクシンガポール遠征で簡易検査で引っかかって帰国が遅れたのも、検疫上のルールで感染症が疑われたからこその“足止め”である。(詳しいことは、コレを参照してくれ。)

それでもなお、世界中の競馬場で挑む上で、日本と、関係各国での法整備が確実に履行されないとダメな訳で、そのために農水省と社台グループが対立しまくった訳であり、その甲斐あって、現行の競馬法改正や競走馬に関する検疫ルールが整備され、さらに海外では一般的になりつつある、繁殖馬の“シャトル繋養”に関するガイドラインが設けられたからこそ、日本産馬の“輸出”や日本産種牡馬の血統を求めて、海外からのバイヤーも繁殖目的での“購入”が増える様になったのです。その結果が、今回の成績に繋がるのです。