迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬中継の将来性は?

ブロマガ的には、あけおめですw 金杯の日に何やってんだかですが、今年はアナウンサーに関する個別なネタは、控えめで更新する関係上、今までみたいに毎週水曜日深夜更新ではなくなります。(要するに、行き当たりばったり更新に変更ですw)そんな訳で、今回はいきなり重たいネタですいません号ですw
今までの記事で散々やってきた事なんで、今更感もあるかと思うが、競馬実況を行うアナウンサーは、ラジニケに限らず、減少傾向にある。もちろん、地方競馬の廃止も大きいのだが、要するに、後継者不足…というより、後継の人材育成を怠ったツケが、ここに来てジワジワ影響が出始めている。わかりやすく言えば、昔から競馬中継を行っている放送局ですら、外部の芸能事務所や個人経営のプロダクションから、競馬実況ができる人材をアウトソーシング(人材派遣)で賄おうかと考えているトコがあるからである。(ドコとは言わん、そこのオメーらだw)また、競馬実況ができる局アナ自身が、定年を機に籍を外れる事もあって、ここら辺の関係で、バックアップ要員として嘱託職で契約を結んでいても、ある一定までの延長でしかなく、結局、マイクの前から離れてしまう訳である。当然、定年を前にして諸般の事情(大病を患ったり、家族の都合…などの理由)で辞める人もいる訳で、そうなると、他の部署から…という訳にいかないのが競馬実況を行う上では厄介なのである。まして、スポンサーが付く番組であればどうにでもなる話でも、昨今の放送事情を踏まえれば、そういう訳にもいかない…しかし、これは社会全般にも言えた話で、コストパフォーマンス優先で物事を決める事による弊害であり、人材育成に経費が掛かり過ぎるという概念がまかり通ってる以上、どうすることもできない部分である。
実は、この概念こそが一番の間違いであり、今の景気が悪い最大の元凶は、円安でも、原料高騰でもなく、この“人材育成”を疎かにしたツケであり、また、指導者としての中堅が少ないことも、品質の低下を招いていると言っていい。つまり、先人達が築いてきた歴史に対して、それを引き継ぐことを“無駄”と言って切り捨てた結果、本来であれば継続できる事業すらままならなくなってしまった…というのが、今の日本が抱える“病巣”なのです。
競馬実況の場合、他のアナウンス業務以外に、競馬に関する精密な描写が必須のスキルとして存在し、他のスポーツ実況よりも、高度な技術を要します。そのため、単に叫んでるだけのスポーツ実況アナが競馬中継で実況を行えば、視聴者は鬱陶しいだけで、レース内容が伝わらないだけでなく、本当に欲しい情報が何一出てこないような実況は、本当に邪魔なだけです。確かに、テレビの場合だと、映像がある分多少の手抜きができるでしょうが、吉田アナの解説でもやった様に、現場にいてても、コースが見えない場所にいる人にとって、実況だけが唯一、レースの状況を知る手がかりなのです。この概念がすっぽ抜けてる競馬実況アナがいるとすれば、その人は、どんなに杉本アナ以上の美辞麗句をレース中に並べることができるスキルがあっても、競馬実況アナとしては“失格”です。そう、肝心な事はレースの内容を伝えることが“仕事”であり、“職務”であらねばならないのです。杉本アナの実況でも、基本にはラジオでの技能が念頭にあり、そこに、テレビを見てる視聴者に対して、状況把握をしやすいようにするための言葉として、洒落を効かせた美辞麗句を使ってる訳です。その部分に関しては、馬場アナ以下、杉本門下生達が引き継いだ部分であり、それがあった上での実況表現なのです。ここを勘違いしている様では、本物の“競馬実況アナ”として認めることはできません。そういう危機感から、ラジニケでは、基本となる実況の技術を仕込む場として、レースアナ養成講座を設けて、競馬実況アナ志願者を対象に、プロアマを問わず募集をかけてます。それでも、ラジニケの社員として、あるいは地方競馬の実況アナとしてデビューできるのは、ほんの僅か…それだけ、育成が難しいのが、競馬実況アナなのです。
それと同じ様に、テレビの場合だと、カメラマンやスイッチャーの技術も重要になります。特に、実況アナと息が合わないカメラワークは、どんなに素晴らしい実況をやったとしても、映像的にはボツです。しかも、競馬中継に限らず、スポーツ中継の殆どは生放送ですから、いろんな意味で“ぶっつけ本番”です。だからこそ、実況アナの“仕事”を邪魔しない、尚且つ、実況アナの“見落とし”をいかにしてカバーするかは、カメラマンとスイッチャーの腕に掛かってます。グリーンチャンネルの映像でもそうですが、基本的に、実況アナが何を実況してるかを把握した上で、且つ、彼らが見逃した展開を逃さない様に、カメラでレースを追うのです。そのためにも、競馬実況アナとカメラマン、スイッチャーの息が合っていないとマズいのです。どのタイミングでズームをかけるか、どのタイミングで映像を切り替えるか…何度も現場で確認するだけでなく、実践で経験を積む事が非常に重要なのです。しかし…そこをベテランに任せっきりにしたり、コストカットを理由に若手を排除してる様では、後継の育成はできません。本気で視聴率、あるいはリスナーポイントを稼ぎたいのであれば、技術を積んでいく場を阻んではならない…要するに、技能や経験を積む事を無駄と切り捨て、蔑ろにする様な企業は、誰からも相手にされません。今を維持したいのであれば、なおさら、後継の育成は喫緊の課題なのです。

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語(の前にご挨拶w)

こちらの方ではあけおめです…w で、新年早々、なにやらおかしなタイトルをつけているが、今年はこの裏別館で、妄想物語を綴っていこうかと思う。要するに、本館(はてダの方ねw)は通常のgdgd話をするとして、こっちは独身時代…というよりも中学ん時から思案していた、いわゆる“厨二病”的な物語を、この際だから一つのキチンとした“読み物”としてWeb上で公開しようと思い、こっちで展開していこう…ということで、オイラ的に、既に完成系に達してるヤツとして、上記のタイトル“ティルタニア騎士団”という御伽話を時間を見て公開することにした。

で、“ティルタニア”とはなにか?これはオイラ的造語で、主要キャラクターのモチーフが、ラジニケの競馬実況アナ達から来てる訳で、ラジニケの以前の名称“ラジオたんぱ”から転じて、そして、ギリシャローマ神話ティターン十二神から捩って“ティルタニア”という言葉が生まれました。で、“騎士”と付いてはいるけど、どっちかといえば、人間版のポケモンですw なぜなら、姿こそ人間ですが、手首や背中から蔓のムチが出るし、岩石落しやハイドロポンプみたいな技を使うし…いろんな意味で妖怪ですw(ヲイ

ともかく、今回はイントロダクション。全ては、次回以降の更新から物語が始まります…

 

ここは、地球上の、とある限界集落。荒れ果てた耕作放棄地が無数に点在し、家屋の殆どは、既に人も住んでいない…そんな辺鄙で、誰も住みつかないであろうと思われた山の中の集落の一角に、ある日突然、近代的な農園が姿を現した…その名は、国神農園。しかし、この農園には、ある秘密がありました…それは、ここで従事してる者は全員、異界の地から来た、特殊な能力を持つ存在であり、そして、かつての屯田兵の如く、軍事訓練を受けた精鋭達だったのです。この物語は、そんな彼らの日常を描いた、カッコ悪い英雄たちの物語…

競馬と鉄道の話:貨物輸送編

今でこそ、馬運車の性能が良くなった事と、高規格道が整備されたおかげで、レース当日に輸送する事も可能になった訳だが、今から40年以上前だと、そういう訳にもいかない“事情”があった…そう、競走馬の輸送に、大型の馬運車で“直送”ができなった時代において、貨車による鉄道輸送が一般的で、しかも効率がいいとはいえない環境下での取り扱いな訳である。ゆえに、関西馬が関東以北の馬場へ出走する際に、あるいは、関東馬が中京以西に遠征する際、貨物列車のダイヤと運行状況は、いろんな意味で結果を左右する問題でもありました。
先に、現在の競馬用の馬運車について解説しておくと、運送会社で保有してる馬運車は、基本、6頭までの搭載が可能で、掃除や消毒がやりやすい様に、車体床面はステンレス仕様になっていて、最新鋭のモノになると、人間だけでなく馬の方にも“冷暖房完備”という車体もある。で、殆どが大型バスか、精密機械用輸送車を改造してあるため、エアサスペンションは標準装備である。つまり、長距離輸送でも競走馬が快適にすごせる工夫が搭載されていて、また、運転席と馬房室をカメラで繋いで、馬の様子を見ながら輸送できる様になっている。もちろん、カメラが搭載されていない車両でも、運転席との仕切り部分に小窓が付いていて、そこから様子を伺う事ができる。通常の輸送では、4頭纏めて乗っけて競馬場とトレセンを行き交うのだが、GⅠクラスの競走馬の場合、安全面から帯同馬を乗せずに輸送する場合もある…こう説明すると、輸送コストが掛かりそうに思えるが、あくまでトレセンと競馬場、または関連施設への輸送は、中央競馬の場合、JRAの方から指定された運送会社によって行われるため、各厩舎への受託料などに含まれていたりする。だから、朝の早い時間に競馬場へ行くと、次々と馬運車が入っていく様子が見られるが、ほとんどの場合はピストン輸送で行われる訳である。でも、これは本当に30年ぐらい前までは、そういう事が出来なかった…競走馬の輸送も、鉄道輸送においては“家畜運搬”の一つでしかなく、ゆえに競馬場近隣の貨物駅では、他の家畜同様の取り扱いでしか輸送できなかった訳である。まして昔は、トレセン自体もなかった訳で、調教をつけるのも何も、すべて競馬場の中で行われていた。その名残は今でも、各競馬場の馬主協会にある。そう、中央の馬主は、原則として、地元の競馬場を拠点としていて、自分トコの馬を、その競馬場毎の調教師に預ける…という風習があった訳で、タマに競馬新聞等に所属が記載されるケースがある。
閑話休題。つまり、競馬場間での輸送が大前提としてあったため、最寄の貨物駅までトラック等で輸送し、そこから家畜用貨車に積み込んで、他の貨物車両と一緒に輸送する訳である。これが一番の問題で、いわゆる“突放(とっぽう…ブレーキ操作をせずに連結器を外して、貨車を勢いよく放す行為)”や、他の車両との連結待機等、狭いトコに閉じ込められる事を嫌う競走馬にとっては、苦痛でしかない作業が行われている訳で、これによるストレスが因で、いわゆる“輸送熱”を発症する事がある。現在の馬運車による高速輸送でも、ごくタマに聞く話ではあるが、40年ぐらい前は、夏競馬は遠征先での“滞在”にならざる得なかったのも、この“輸送による体力的疲労”を懸念しての話であった。だから、セントライトシンザンの時代において、三冠達成が偉業と言われたのも、この鉄道輸送による“体調変化”との戦いであった事は言うまでもなく、また、1頭でも体調不良となれば、該当する貨車にいた競走馬全馬が、防疫の観点から隔離される事もあった訳である。そして何より、有力馬が帯同馬のせいで“出走取消”となれば、身も蓋もない話になるから、なるだけ単体での輸送をしたくても、家畜用貨車を一両丸ごと借りるのは、必要以上にコストのかかる話であり、効率が悪かった。だから、モータリゼーションの一番の恩恵を受けたのは、競馬関係者…特に馬主であった事はいうまでななく、そして貨車による家畜の鉄道輸送が廃止になる要因となったのです。

さて、今年のブロマガの更新はここまで。来年は、完全に気まぐれ更新になるかもしれません…が、よろしければお付き合いください。では、良いお年を…

政治と競馬の話。

この記事を編集してる最中は衆院選公示前日な訳だが、今までの公営ギャンブルの話とは別に、政治的な競馬に関する話。と言っても、経営的なことではなく、政争の一端としての部分。
ジャパンカップやドバイミーティング等の国際競走が競馬のある国で行われている裏側には、国際的な取引が行われている事を、以前のネタでも書いたと思うが、一口に“国際競走”といっても、それを実現させる上で、一番ネックになるのは、競走馬の検疫に関するルールが、国によってバラッバラな訳で、そこには、各国の家畜伝染病に対する防疫の観点から仕方ない部分と、いわゆる“ローカルルール”を押し付けてくる場合とある。前者に関しては、エボラ出血熱や変異型鳥インフルエンザなどの関係で、人間ですら様々な事柄があるからともかくとして、後者が一番“ウザい”話である。つまり、いくら“公平な競馬開催”と言えど、その“常識”が主催国によって通じない事があるってことだ。
アメリカの競馬では、呼吸器系疾患などの予防ということでのラシックスというクスリの処方に関して、結構規制が緩いのに対し、日本や欧州の殆どの国では“ドーピング行為”と見做されるために、国際競走に出走する際、使用できないために、海外遠征を行わないケースが多い。欧州…特にフランスの場合、さらに厳しい規制があって、植物(薬草)由来成分のクスリ以外の処方が禁じられているため、日本では規制対象になっていなかったクスリが因で、“失格”というケースがある…そう、ディープインパクト凱旋門賞の一件は、そういう薬事的な部分での取り決めが、日本側が把握していなかった事による結果と言っていいだろう。同じ理屈で言えば、日本の“枠帽”制度も、海外にはないルールであり、馬番と枠番が順番通りになるのは、実は日本独自のルールである。しかしこれらは、あくまで“ローカルルール”の一つであり、また、馬名のルール一つでも、日本の場合はカタカナ2文字以上9文字以内という規定があるが、香港だと漢字(広東語表記)で4文字まで、英語圏の場合、アルファベットで20文字以内という規定がある。また、オーストラリアなどでは、馬名による宣伝行為は規制対象になっていないため、レースの勝敗にかかわらずに実況でコールされる事を目的とした名前がつけられた馬もいる…1990年のジャパンカップに出走した、ベタールースンアップがそれで、オーストラリアではメジャーな清涼飲料水であったりする。他にも、勝負服のカラーリングやデザインに関する規制も、国によって様々…
でも、一番重要なことを言えば、馬主資格に関する規定や、国際競走を行う際の検疫などは、実は農業分野における閣僚級の議論を要する部分であり、ゆえに日本の場合、農水省の役人たちの“仕事”の一つとして執り仕切られている事である。ぶっちゃけ、TPP問題にも繋がる話であり、競馬を取り巻く環境における部分において、非常にデリケートな部分なのである。そう、コメや牛肉などの農畜産物の取引がニュースでは報じられがちだが、実は競走馬に関する輸出入にも影響があるのだ。特に馬産地にとっては死活問題であり、生産馬が海外でも自由に取引できるようになる反面、海外からの輸入も“解禁”されることを意味するため、零細農家は生き残れなくなる。大手であってもその影響は免れない反面、自家生産した馬が、海外の競馬で活躍し、賞金を稼ぐことができれば、それはそれでウハウハな話でもある。つまり、浦河や新ひだかで生産した競走馬が、日本ではなく海外の競馬場でデビューし、そこで活躍すれば、海外からも注目される“馬産地”として名が通る事になる。ところが、日本の競走馬に関する取引は、原則として“日本に限る”的な空気がある為に、ノーザンホースパーク中山競馬場等で行われるセレクトセール(競市)で、海外からも注目されるような血統の仔馬が上場してても、海外への輸出を断念せざる得ないケースが多い。さらに、馬主資格に関しても、日本の場合は法人所在地が日本国内にないと取得できない。これでもかなり“規制緩和”した方で、昔は日本に在留資格がある人でないと、外国人が日本の馬主になることはできなかった。つまり、ダーレーやゴドルフィンが日本で法人資格を得れたのは、規制緩和によるモノであって、さくらコマースの場合でも、旧来の法規制に従った上での取得(実質のオーナーが外国籍であっても、日本での在留資格があったから)できたのである。また、騎手の免許についても、去年から法改正され、外国人であっても中央、あるいは地方の騎手免許(短期ではなく通常の)を取得できるようになった訳で、短期免許自体も、実は紆余曲折があって、今日に至る訳である。(ここの部分は、後日、改めて解説させてもらう。)
このように、単に競馬ができることが、どれだけのモノかという事を理解した上で、罵るのは結構だが、政治的な意図を競技の場に持ち込む事ほど、バカバカしい話はない。むしろ、競馬場の中だけでも、愚かな考えで政治批判をするのはやめる様にしないと、いかなる競技も面白くない。馬には何に一つたりとも罪はないのだから。

ガキだな…

ここんトコ、世界のあっちゃこっちゃでイスラム原理主義を唱えるバカが、学校を襲撃したり、カフェに立て籠ったりしてる様だが、イスラム教の理念を利用して、やってる中身が盗人猛々しいのはこれいかに?ぶっちゃけ、どこまで“宗教”の理念や教義をバカにしてるよ?言っちゃなんだが、宗教そのものは、あくまで共栄共存の哲学であり、宗派や地域による概念の違いはあれど、共通認識に“未来を見据えた”概念の下に、信徒の研鑽と修行がある。それを無視して、単にマスメディアの報じる“理想像”にダマされ、暴力を振るう様では、真面目な信徒や宣教師に失礼なこと。では、なんでこんなことが繰り返されるのか?

およそ20年前に起きた、いわゆる“オウム事件”関連の騒動…その発端は、実は、一部のマスメディアが彼らを取り上げ、担ぎ上げた事から始まる。それは、どうしても創価学会を潰したいという、他の宗教団体や政治家の意図が見え隠れしてて、創価学会と同じように、異端なる存在として叩くための下準備をして取り上げた…と考えていい。しかし、創価学会と違って、オウムには、基礎となる宗派・戒律が曖昧過ぎた事と、教祖自体が社会に対して強い恨みを持っていた事が、事態が明後日の方角へ向いてしまうことになる。つまり、当時の創価学会は、あくまで日蓮正宗の在家信徒の集団であり、また、宗教法人上は東京都に本拠地を構える宗教団体として認められた存在である。(学会恨むなら、当時の鈴木東京都知事を罵りな…彼が下した判断だからなw)逆にオウムは、そういう経緯もないまま宗教団体として設立したトコがあり、しかも、詐欺紛いに近いような勧誘を行っていた。(空中座禅とか、ハルマゲドンとか…あ、ちなみにオイラも、空中座禅はできる…胡座かいたまま腰を勢いよく上に振れば、簡単に飛べたりするw)だけど、その頃から優秀な頭脳や技能を持つ若年層は、この“イカサマ奇術師”の行動に興味を持ち、やがて賛同し、そして…あの事件へと走る様になる。あの当時から…否、その前の“あさま山荘事件”よりも前から、一部の大学生には“世間知らずな正義”を振りかざすバカがいた訳で、それを諌める術を、大人たちも持っていなかった事が、悲劇を繰り返す一因になってると考えられる。要するに、以前から散々やってるように、若者が社会の中で何か行動を起こしても、それを真っ当に評価してもらえないと勘違いしてるからこそ、それに対する逆恨みが、テロやバスジャック等の重大事件に発展する訳である。要するに、自分の“思い通り”にならないのを、自分ではなく“他人”…言い換えれば、社会そのものが“悪い”と断罪する訳で、その“拠り所”として、宗教哲学を悪用する訳である。言っとくが、宗教が教えるのは、人間らしさの追求であって、他者の排除や撲滅を求めるような概念は、むしろ“後付け”解釈でしかない。違いを認め合い、互いを支え合う為に、信頼関係を築くための教義であって、そこを履き違えて侮蔑するような態度をとってはならない…と、どこの宗派でも最初に教える事である。が、ここを勘違いしてる以上、どんなに教義が素晴らしい宗教団体であっても、理解されないどころか、むしろ、色眼鏡で侮蔑する人たちの思惑通りな集団になり得る訳である。つまり、オウム系宗教団体が、今でもテロ組織として公安委員会から監視され続けるのは、この“カルト異端”と見做す連中の手中で踊らされた結果であり、もしも、毒ガステロや信徒撲殺などの重篤な犯罪行為をやっていなかったら、他の宗教団体同様に、周囲から“キモい”と罵られても、存続できた可能性がある。あ、ちなみに言っとくけど、宗教団体は大なり小なり、公安委員会からなんらかの監視を受ける対象であって、いわゆる右翼団体や零細政治結社指定暴力団同様に、警察や自治体の行政指導を受ける事は、日常茶飯事ですよ、単にマスメディアが報じないだけで…w

つまり、クリスマスの時期にイスラム教徒を名乗るテロリストが暴れるのは、単に“リア充爆発しろ”である。要するに、自分が不幸なのは不公平だというガキっぽい理由で、女性や子供、さらには身障者や高齢者を襲う訳である。“Do they know it's Christmas?”の歌詞ではないが、自分さえ幸せなら、なんでもいいというなら、なんで他の人を襲って、その幸せを奪う権利がある?(歌詞の一部を和訳すると、「君がその犠牲者の中に入ってなくってよかった」と叫ぶ部分がある。が、これは、単に“綺麗事”だけを歌詞にするよりも、“冷酷な真実”を突きつけることで、本当の慈善とは何かを考えて欲しかった…いう意図があった。)自分が幸せになるために、他人の幸せを奪ったり、将来を否定する権利は、誰にもない。だが、テロをやってる連中は、自分たちの幸福を“否定された”という勘違いから、なりふり構わず暴力を振るうのである。だからこそ、躊躇してはいけない…同じ宗派の者だからとか、同じ民族だからとか、同じ国民だからとかではない。同じ仲間であると認めてるなら、だからこそ、自らが襟を正して叱らなければならない。貴様らがやった行為によって不幸に見舞われたヤツの方が、もっと気の毒だと…特に、将来を嘱望された子供たちを殺す行為は、たとえ信仰上の理由があったとしても、一番許されない行為であると同時に、自分自身が、“ガキ”だと言ってるのと変わりない。そんなに時代の“主役”になりたいのであれば、勝手にどうぞ…世間が誰一人、自分を支持しないのは、あまりにもその世界観が、他者から見れば小さ過ぎる事に気付いていないからである。バカにされるのは別にいいんだよ…その瞬間は悔しいかもしれんけど、後々、そのちっぽけな概念が、自分を苦しめる枷だったんだと気づく時が来るから。罵られたって、自分が思う正義を、きちんと示し続けるために、社会と向き合い続ける根性さえあれば、必ず陽の目を見る時がくる…御金言“法華経は冬の如し、冬は必ず春となる”どんなに凍てつく寒さが続いても、そんなに長くは続かない。巡るべき時か来れば、それを逃さない限り、それに応じた功徳を得られる。自らがそれを嫌った時点で、それは巡ってこないだけ。だからこそ、自分が汚れること、傷つくことを嫌ってる以上は、誰からも罵られないどころか、本当に“いらないヤツ”呼ばわりされるだけ。何度も傷つき、汚れても、立ち上がれる人が一番強い。そして、歴史上の偉人たちは、その多くは当時の世間から“奇人・変人”呼ばわりされた。だけど、本当に“変態”であるなら、歴史の汚点として消されるのがオチである。ガギにはそれがわからんのだよ…自分がどれだけ成長を拒んだかを。

アニキャラ馬名が増えた理由(わけ)とは…

先月の記事(ar640192)と、3月下旬にやった記事(ar458606)の補足とオマケですw 昨今、アニメやコミック、ラノベ等のキャラクターから付けた馬名がGⅠ戦線を賑やかし、しかも実際に国際レーティングのトップにまで君臨してる馬まで存在する。(ついでに言えば、先月、エリザベス女王杯で勝った馬も、あの作品の主役キャラである事は、ファンならご存知の事w)しかし、前回の解説では“広告になる様な馬名は禁止”という話で疑問を持たれた方も多いだろう。実は、アニメやラノベ等の名称に関しては、ちょっとひと工夫する事で、審査をパスする事がある。そこについて、少し解説しておこう。
現時点(2014年12月)で、現役GⅠ馬でアニキャラなのは、“ドバイの英雄”ジャスタウェイ(@銀魂)と、エリザベス女王杯で初の戴冠となったラキシス(@F.S.S.シリーズ)なのはご存知の通り。オイラの記憶では、かつて2歳女王になったテイエムプリキュアを含めて、3頭のGⅠ馬がぶっちゃけ“アニキャラ馬名”を持つ状態になっている。このほかにもオツウやレディオスソープ、セイラ等が実際に走ってたりする訳だが、どうやって“アニヲタホイホイ”な馬名が審査を通過するのかといえば、実は幾つかのポイントがある。それは…

1)いわゆる“外来語”として一般的にある名称である。

2)タイトルや主人公ではない。

3)冠称などを付ける事で意味が変わる。

この要素がある場合、馬名登録でバカを見ずに済む訳である。特に1)の場合、実際にL'Arc-en-Cielのファンが名付けたネオユニヴァースは、ラルクの楽曲名でありながら登録できたのは、別の意味…新世紀(新世界)を意味する“英訳”として通用したからこそであり、ファンと音楽好きの一部以外、この馬名が“そういう意味”である事を知らずに通用する訳である。だから、引退式の際に、あの楽曲がBGM(馬場入場曲)として使うことができた訳でもある。オツウの場合は2)が該当する訳で、さすがに露骨なネーミングだと、却下される可能性の方が高いw 同じ理由でセイラやシャア、ヒートホーク等のガノタならすぐわかる“単語”についても、ぶっちゃけ2)が該当する訳で、ガンダムの場合でも、3)にしてしまえば、なぜか通用してしまう訳であるw(実際にエーティーガンダムとか、ヒシガンダムなどがいましたw)かつてセラムンヲタどもが狂喜した馬名にセーラージュピターってのがいたのだが、これに至っては、たまたま冠称が“セーラー”であったが故の偶発的なモノであり、おそらく審査の際に他の名称を使おうとして引っかかったから、この馬名になったと推測される。(そりゃ、“ムーン”なんて付けたら、まんまでんがなw)また、ルパンやコナンの場合、取り合えず“一般的な外国人名”ということで通用するため、特にひねらずに付ける人もいる。当然ながら、1)と3)のコンボで通過してる訳で、もしも同じレースに、“ルパン”馬名と“コナン”馬名が同時に走ってゴールまで接戦を繰り広げたら、“ルパン三世”と“名探偵コナン”のファンは、ニヤニヤが止まらないでしょうw
でも、なんでこんなにアニキャラ系の馬名が増えたかと言えば、これは馬主自身がそもそもアニヲタであったり、関係者である事がヒントになる。ジャスタウェイやオツウの場合はご存知の通り、馬主がアニメ版の“銀魂”の構成作家であるからこそであり、ラキシスの場合、馬主自身がF.S.S.のファンであったからこそ、こうなったという訳である。しかし、これ以外の理由の中には、子供や孫が愛馬を愛でてくれるように、ワザとつけたケースもある。実はテイエムプリキュアは、当時幼稚園児だった娘が大好きなアニメのキャラだった事と、プリキュア自身は化学工業用語で、熱硬化性のプラスチックの硬化前処理の段階で、予備硬化(事前の結晶化)の事を指す…この点から名付けたのがアレである。(故にパドック用メンコに、キュアホワイトのステッカーが付いてたりした訳でw)ちなみに、同じ“逃げ道”はジャスタウェイラキシスにもあって、前者は“我が道を行く”という英訳、後者はギリシャ神話の女神様を指す…とすれば、誰もコレが“アニメのキャラクター名”とは気付かないw 同じ理屈は“コナン”でも通用する話で、推理小説“シャーロック=ホームズ”シリーズの作者であるコナン=ドイルから名付けたとすれば簡単だし、湖南(琵琶湖の南部を指す地名)とか、小楠(こなん)という苗字であるとすれば、これだけで“一発通過”であるw

30年ほど前だと、実はアニキャラでも登録NGになるケースが多々あって、なかなか難しかったのだが、昨今のアニヲタが、馬主資格を有する程の富裕層にもいて、また、実況アナですらアニヲタがいる状況にあって、いわゆるポップカルチャーとの結び付きが徐々に増えているからこそ、アニヲタから競馬の世界へ関心を引きつけるために、ぶっちゃけ“規制緩和”を行った事が、ここまでアニメキャラ系の馬名が登場する背景にあると思われる。とはいえ、せっかくアニキャラ系馬名を付けても、オープンクラスまで勝ち残れなかったら、単なるネタ馬扱いであって、オダギラー馬名や悪ふざけな馬名と同様に、笑い者にされるのは、いささか心苦しいかと…

臨時投稿:馬のドーピングについて…

ブルヒーン、オグりんだお。このブロマガではお久しぶりだおw
さて…なんで本編の前にボクちんが登場したかといえば、今日(21/10)のJRAからの発表で、12月7日に行われた、中山の第6Rで、1着入線した馬から、カフェインが検出されたというニュースを受けて、ご主人様の指示で解説を頼まれただお。何が問題かといえば、ボクちん達、馬にとって、カフェインを含む食品は、人間以上に興奮を促す作用があることから、摂取が禁止されているだお。もちろん、これは日本中央競馬会規程にも規定されている“禁止薬物”扱いで、当然だけど、法律上、この牝馬ちゃんはルール違反で“失格”となり、さらに偶発的なのかどうなのかや、体内に残ってる薬物の影響が消えるまで、出走が禁じられるんだお。(詳しい規定とかは、これを参考にしてほしいだお。)
中央競馬では、こういう事案は実に21年ぶりの事だという訳だけど、なんでボクちん達にもドーピング検査があるのかといえば、ボクちんも一応、競走馬という“アスリート”だからだお。つまり、薬物による影響を受けてレースに出走する事は、他のスポーツ同様に、違反行為に該当するからだお。もちろん、ボクちん達は、現役引退後に繁殖に回ることもあるから、影響が子孫に出る可能性もあるだお。だから、家畜防疫以上に、薬物の使用に関しても、厳しい規制がかかるだお。特に、タバコ(ニコチン)とカフェインに関しては、飼葉の中に少量でも混じってたら、とんでもない影響が出るから、細心の注意が必要なんだお。だから、本来、厩務員のオッチャンとか、ジョッキーさん達は、ボクちんの前でコーヒーやお茶を飲まない様にしてるだお。だって、眠気覚ましで飲むコーヒーやお茶には、ボクちんらでも同じように、興奮剤としての効果があるだお。実際、一部の神事で使われるボクちんの仲間に、祭礼の前にワザと茶葉を食べさせる風習があるけど、それはカフェインに拠る興奮作用を利用して、暴れさせる為だお。
もしも競馬で、しかも出走直前に厩務員のオッチャンが、ボクちんらの目の前でコーヒーなんかを飲んだら、せっかくレースに勝っても、薬物使用による影響と判断されたら、気分が悪いだお。もちろん、検体として提出するのは、通常はレース後の排尿なんだけど、サンプルに必要な量が出ない場合、採血を行うことがあるだお。もしかすると、サンブルに必要な量の尿が採取できなくて、水増しで厩務員のオッチャンが自分の尿を混ぜてた可能性もあるかもしれないけど、血液検査でカフェインの陽性反応が出たなら、飼葉に混じってた可能性が高いだお。(ちなみに、何年か前に高知競馬で、検体用の尿の量が足りなくて、厩務員のオッチャンが、自分の尿を混ぜたせいで、失格になった馬がいただお。あれはマジで気の毒だお…)もちろん、故意にカフェインを飼葉に混ぜて食べさせた場合、競馬法で定める法律違反(ドーピング)にあたり、それを行った者は、3年以下の懲役、または300万円以下の罰金が科せられるだお。万一、該当馬の管理厩舎全体検査で、他の管理馬の検体からもカフェインが検出されれば、その管理調教師自身が疑われるだお。(現時点では、該当馬以外からはカフェインの反応があったかどうかは判断できないけど…)該当馬がたまたま、厩務員のオッチャンや、誘導などの係員の“うっかりミス”によってカフェイン混入の飼葉を食べちゃったか、コーヒーやお茶を飲んじゃった、あるいは検体サンプルの“水増し”などであれば、単なる“事故”として処理されるけど、そうでない場合は、中央競馬の公正な競馬開催を阻害したと見做されるだお。だから、今回の様に、記録上の結果に関しては“失格”という処分になるんだお。但し、馬券上での結果に関しては、現場での結果であり、そこにいた裁決委員による判断で確定してる以上、覆る事はないだお。でも…馬主にとっては、入賞賞金が手に入らないどころか、むしろ嫌疑をかけられるんで、踏んだり蹴ったりな結果になるだお。
ま、どっちにしても気の毒なのは、これで失格扱いになった該当馬だお。ボクちんらは家畜である以上、人間様の都合に振り回された挙句、罵られるからだお。こういう被害は、できればあんまり繰り返されたくないだお。だから、管理する人間様には、より一層の注意を払ってほしいだお。

と、いう訳で、この辺でボクちん帰るだお。また、何かあったらこっちにお邪魔するだおw んじゃ、バイバイ…ノシ