迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

フジテレビへの批判は、将来の競馬中継のためにある?!

先日、オイラのこの記事に対してのコメントがあったんで読んでみたら、最後の一文だけでミスリードした回答だったので、一応、コメントで返答したが、改めて解説させてもらうが、地上波での競馬中継は、土曜日でも、中継を行っている放送局は、BS11からのサイマルか、テレ東の中継を回している。(西日本では、KBS京都製作のが流れる。)で、日曜日は原則としてFNS系列の放送局がメインをやっている…訳だが、批判の一番の“理由”は、競馬中継スタッフの育成を、他局が人員確保に必死になっていることを尻目に、かなり“手抜き”してるとしか思えない状況であることが、オイラ的にカチンと来てる訳である。ただ…ここで勘違いして欲しくないのは、放映権を返上しろというのは、関東“のみ”の話であって、地方の場合は、クロスネットを行っているトコもあるため、一概には言えないトコもあるってことだ。ぶっちゃけた話、要は実況アナのレベルが“低い”と、一部の競馬ファンが思っているからこその話であって、人材育成を怠ったツケが、今頃になってジワジワと、競馬中継に限らず、すべての番組で影響が出ている訳である。ま、こういう話は、ここではお門違いな話だが、MBSの説明をする時に“あどラン”をやってる手前上、避けては通れないことである。
では、ここまで人材育成に関してgdgd状態になったのか?その全ては、1980年台後半からの“快進撃”的な状態から始まる。ここでは、その“キーワード”となるアナウンサーの存在に関しては、名前ごと伏せさせてもらうが、要するに、一人の“カリスマ的存在”に依存したことから、すべての狂いは始まってると言っていい。そして、その“同期”も、後進の育成よりも最前線での活躍に執着し、そのことが原因の一つとなって、のちに退社することになる。(ちなみにその人は、オイラの記憶が正しければ、関西のとある片隅にいる…というトコまではわかってるのだがw)それだげではなく、腕利きのいいベテランを、開局間もないBS局WOWOWに出向させ、さらにはスポーツ中継自体をCSやBSの自前コンテンツとして取り扱う一方で、地上波での中継を、ある意味駆逐してしまった訳である。もちろん、BSやCSの運営費を賄うのであれば、スポンサーが簡単につきやすく、しかも視聴率が稼ぎやすいスポーツ中継をやった方が、番組制作のコストに見合う。しかし、それゆえの“弊害”として、実況アナが中継画像に頼りすぎて、現場で実況してるのに、視聴者無視して弛んだ感じの実況になりやすい。これは、テレビの実況アナ全般に言えた話で、NHKも例外ではない。(大相撲中継の実況でも、ラジオはともかく、テレビは余計なこと喋りすぎて、タマにイラッ…っとします。)
この件に関して、杉本アナが一番危惧していた事であり、彼の門下生に当たるKTVの競馬実況アナは、研修の際に“モニターを見るな”という指示が出る…これは、自分の五感で感じたことを、そのまま言葉にして実況を行うための“訓練”であり、これができて初めて、実際のモニター画面を見ながら、実践さながらの実況の訓練に入るのです。つまり、カメラワークだけの映像ではわかりづらい部分を、言葉で補いながら、レース全体の流れを実況するのが、いわゆる“杉本節”の真骨頂であって、その合間に時節柄や有力馬、あるいは注目馬に対する美辞麗句などを織り込む事で、あのド派手な実況が完成する訳です。その基本は、どこまでいっても吉田アナの競馬実況に対する哲学と一緒で、肝となる部分は、競馬ファンが情景を把握しやすく、なおかつ精密なまでにレースを描写する、実況アナ自身の観察力と言葉の表現力です。この二つが上手く組み合わさってこそ、あの名フレーズ“菊の季節にサクラが満開”とか“後ろから何も来ない”などが生まれる訳です。この点に関して言えば、ラジニケの実況アナ達もまた然り。まして彼らは、JRAの公式実況を担っている、他の競馬実況アナよりも責任重大な存在です。そして、そこに移籍したFNSのアナウンサーとして、仙台放送から小塚歩アナが、そして福島テレビから米田元気アナがいる訳です。(その反対側に行っちゃったのもいたけど…)
言い方が悪いですが、本気で競馬中継を単なる“スポンサー稼ぎ”としか思っていない様であれば、競馬ファン自体が見なくなるのは当たり前であり、本気で競馬実況をやり続けたいという気持ちがあるアナウンサーは、必然的に自らの修行の場を求めます。そんな社員達の、“プロ”としての気合に応えてやれない放送局…否、企業は、やがて誰からも相手にされません。当然ですが、広告を出しているスポンサー企業からも見放される事になるでしょう。それゆえの“戒め”として“放映権を返上しろ”と言ったまでです。当然ですが、同じことは他局にも言えた話…今後、腕利きのベテラン実況アナが、相次いで定年退職する時期に差し掛かっている事を踏まえると、どこの放送局でも喫緊の課題なのです。

20年前の話…阪神大震災と競馬

この時期になると、関西人…特に神戸っ子は、条件反射で“あの出来事”を思い出す。とはいえ、20年前の話ですから、実際に経験してる上で、なおかつ、克明に覚えている世代でも、アラサーであるから、若年層にはむしろ、東日本大震災の方が話としては、わかりやすいかと思う。だが、オイラぐらいの世代には、いろんな意味で衝撃すぎる出来事だった。それが、“1.17”という日付の意味でもある。
オイラの中の“1.17”は、その前日にあった出来事から始まる。法改正で成人の日が1月の第二月曜日になる以前は、1月15日がそうであった。で、1995年の1月15日は日曜日で、翌日は“振替休日”という事もあって、JRAの日程は、ちょうど今年と同じように“3日間開催”だった。で、その最終日である16日、ビワハヤヒデの引退式が挙行されるという事で、仕事をサボって…もとい有休を取って、京都競馬場まで行った訳である。で、何をトチ狂ったか、オイラが到着した時には、まだS指定席(現在の特A指定席)が空いてたんでそこをチョイスし、引退式直前までウトウトしてた…実際に淀の指定席(グランドスワン側)に入った経験がある人ならわかるが、あそこは日当たりが良すぎて、空調ナシでも冬場はヌクヌクなモンだから、午前中まるまる睡魔に負けて眠ってしまうことウケあいなトコであるw で、昼休みに行われた引退式を見て、昼メシ食ってから午後のレースを見た時、ふと締め切り直前のレースに、面白い馬名が目について、それを軸にした馬連を購入したら…人生初の万馬券となり、思わず周囲の席にバレンタインデーでもないのに、売店でアーモンドチョコを買って振舞った挙句、さらにメインもゲットして、ついでにA指定席エリアの報道機関が利用するゴンドラ席の出入り口付近で北野アナを見かけて雑談した後、阪急梅田を経由して帰路に着いた。当然、“戦利品”として阪急三番街のフードエリアに立ち寄って、普段なら買わない惣菜をしこたま買ったのは、言うまでもないw
で、翌日…いつもの様に出勤の準備をしようとベッドから起きようとした途端、地響きと共に目眩に似た酷い揺れを感じ、何が起きたかわからんままテレビを見たら…近畿地方に激しい地震が発生した旨を伝える報道が流れ、そして、ただならぬ空気が全てを包み込んだ。そして、付近の道路の安全確認をしながら勤務先の大阪南港付近に出社すると、自動倉庫に保管してる商品が全て落下してて、その殆どが衝撃で入れ物が破損した関係で、酷い悪臭(穀物酢や米酢の類w)を放っていた。食品を取り扱っている物流業ゆえの話だが、缶詰の類はモノによっては、重力加速度や、他の物品との衝突、集中して圧力がかかると、簡単に破裂することがある。(特に鯖缶が破裂した日にゃ、目も当てられんw)さらに、神戸より西側の物流が完全に滞ってしまい、どうしてなのかを、出勤できた同僚と一緒にラジオで情報確認をしたら、神戸市内を走る幹線道路と高速道路が震災で寸断されたという事が判明した。また、大阪府内も兵庫県に隣接する地域で甚大な被害が出たという情報が入り、本社から、出荷可能な商品を“災害援助物資”として拠出せよという指令が下った。このため、比較的無事だったペットボトルの飲料を中心に、被災地に近い店舗を“供給拠点”として提供することにし、そこへ商品を搬入させた記憶がある。
情報を収集してるうちに、当時、北野アナの雑談コラム目当てに買ってた夕刊紙で、神戸市内に住んでるスタッフが“所在不明”になっててんやわんやした…という話が載っていた。後でわかったことだが、実は広瀬アナとコバマサが同じトコの地域にいたらしく、それで二人から連絡がこなくて、藤田アナ共々パニックに陥ったのだとか。(この件に関しては、それぞれのアナ達の特集でも取り上げたが…)さらに困った事に、阪神競馬場周辺…特に西宮市内がエラい事になっていて、競馬場の方も、コースに亀裂が入ったり、スタンドの一部が壊れたり…と、とてもじゃないが春の開催には間に合わない様な状況となり、12月になるまで、阪神で行われる予定だった競馬は、ほぼ全て京都で代替開催となった。むしろ、神戸や淡路島が悲惨な状況の中で、被害がなかった事を理由に翌週に京都で競馬を再開したこと自体、東日本大震災に比べたら、今となってはヘでもないのかもしれんが、当時としては、むしろ関西での再開は、中京での開催以外は無理だと思われてただけに、無謀な話のようにも思えた。でも、園田競馬ですら、ゴールデンウィークぐらいまで開催できなかったのに、この判断は、今更ながらどうかと思う反面、正直、京都での開催には“影響ナシ”というのは、むしろありがたかった。

あれ以来、オイラが5桁以上の払い戻しを受けると、その1週間以内に災い”が降りかかるという、厄介なジンクスができたのは言うまでもなく、新型インフルエンザやSARSでパニックになったときは、確か6桁配当だったと覚えている…ここんトコ、馬券を買う事がなくなって久しいが、そろそろ7桁以上の馬券を取ってみたいモノであるw

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第1話。

繁栄ある都市がある一方で、食の根幹となる農村や漁村は、衰亡の一方で、多くは集落としての機能すら失っていた。そんな限界集落の中で、ある農園が注目を集めていた。それは、地方都市の希望であり、食糧危機が叫ばれた世界を救う、一筋の光として持て囃され、いつしか“地球の未来像”として注目されるようになった。多くの人々は、ここを訪れる度に、その完璧さに驚かされ、そして、考えさせられた。それもそのはず、ここは数年前まで、耕作放棄地と廃墟しかない、荒れ果てた集落の跡地だったからである。

農園の名は、国神農園…数年前まで、その存在すらなかったここは、広大な農地を有してる訳でも、近隣の農家と提携してる訳でもないのに、いつでも新鮮な野菜や果物と、それを使った加工品が充実していた。また、観光牧場も兼ねていることもあり、乳製品や加工肉などの畜産物の品揃えもある。しかし、周囲に提携酪農場がある訳でもないのに、ここまでの充実ぶりに、疑問を抱かない人はいない…だが、それはここが、あまりにも特殊な事情があったからである。そう、一見すると限界集落内にあるしがない農場でも、そこに従事する人々自身が、普通の人間ではなかったからである。この物語は、そんな彼ら…ティルタニア騎士団に属する精鋭達の、ひょんなことから始めた、人間界での日常話である。

 

「ふぅ…今日も完売っと。」

空っぽになった直売所の商品棚を見ながら、あどけない顔したエプロン姿の青年は、ため息をついて手にした竹の棒を、くるっと反転させた。すると、下にした先が箒に変化した。その様子を見ていた、体格のいいスキンヘッドの同僚が、

「まったく…今は客人がいないからいいけど、錬成術は極力使うなって言っただろ?」

と、後輩の行動にしかめっ面をして指摘した。

「でも、早く片付けないと…今日は交代要員との引き継ぎの日ですよ。」

「まだ、時間があるだろ?」

「ヴェル先輩、何言ってるんですか。今日は合同演習がある関係で、早めに本界に戻らないと…」

「やっべ…そうだった。シーマ、急ぐぞ。」

そう言うと二人は、床を綺麗にした後、店舗のシャッターを閉め、裏手に回ると、スキンヘッドの男は壁に手を当て、

「ティルタニアの柱、クロノスに誓いし近衛騎士団、ワグナー隊曹長、ヴェルファイア=サンライズ…」

「同じく、ワグナー隊二等、シーマ=ビショップ、只今帰還します。」

と、二人が唱えると、時計盤の様な紋様が現れ、まるで観音開きの扉の様に真ん中から二つに開くと、そのまま吸い込まれるように、彼らは姿を消した。そして、何もなかったように、直売所から人の気配が消えた。

 

競馬は文化?それとも…

公営ギャンブルの存廃問題を取り上げると、必ず、“古い慣習は滅びるべきだ”という旨の意見を出す人が散見されるが、競馬に関して言えば、世界規模で見ても、その意見がまかり通るほど簡単な話ではない。なぜなら、家畜として馬を利用する文化がある国や地域では、それぞれの民族性や風習に即したカタチの競馬が存在し、ギャンブルとしての一面は、あくまで表面上の話でしかない。むしろ、ギャンブル…博打としての競馬は、ファンや主催者、参加者の勝手でやってる訳であって、スポーツとしての競馬は、どこまでいっても乗馬の馬場馬術エンデュランス競技の延長線上にある種目でしかない。では、なんでこうも目の敵にされがちなのか?
日本の場合は、近代競馬…すなわち、西洋文化の一つとしての競馬は、明治以降になってからの話であり、それ以前は、神社での神事として執り行われるモノを指していた。この件に関しては以前、このブロマガでも解説したと思うが、いわゆる“競馬神事(くえべうましんじ)”とは、一種の占いであり、また、五穀豊穣と国土の繁栄、地鎮の意味合いが強かった。ゆえに、レースとしての競技というより、例祭の為の行事として行われる訳であって、どこぞかの峠のカーチェイスみたいなモノではなかった。また、地域によっては、無理矢理崖を登らせたり、相馬野馬追の様に、神が宿るとされるモノを取り合うための“乗り物”として馬を使うなど、様々な形式の“競馬”が行われていた訳である。これを戦後復興の財政確保に利用しようと考えた自治体が、中央が再開されるよりも先に、興行としての競馬を執り行った事から、現在の地方競馬に至る訳である。まして、ばんえい競馬の場合、東北や北海道での開拓史に欠かせない話があって、ぶっちゃけ、村(集落)の祝い事や収穫祭の余興として、自分が飼っている馬の“力自慢”をやるために始めたのが、通年でも楽しめるようにと発展したのが今日の姿であると言って良い訳で、そこんトコの話を抜きに、単純に“ばんえい競馬を廃止しろ”と叫ぶのは、かなり乱暴、かつ、開拓に勤しんだ先人達に失礼な話である。
同じ話は、海外の競馬…特に欧州の競馬にもあって、トロッターレースや氷上競馬などの、超が付くほどのローカルな競馬も(馬券の発売がないレースもあるが…)存在する。ちなみに、トロッターレースとは、日本では“竸駕(けいが)徒競走"という名で、今から50年以上前に存在してたが、ぶっちゃけると、古代ローマの戦車…ほれ、馬がリヤカーを引っ張り回してると想像したらわかりやすいかと思うが、アレをレースにしたヤツである。ただ…現在ではイタリアやフランスのごく一部で開催があるだけで、馬術競技としての“バレルレース”に取って代わられているトコも多い。(こっちの解説は、緑茶でやってる“ハートランド物語”を見た人ならご存知かと…w)その理由にあるのは、過剰な“動物愛護”の概念である。宗教批判はお門違いだが、いわゆる“キリスト教保守派”といわれる市民団体に多い概念で、深く物事を考えない人に、よくある“落とし穴”的な思想と言っていい。なぜなら、家畜の殆どは、狩猟に行く手間を省くためと、食糧の安定供給を担う為に肥育してるのであって、また、人間以上に牽引力や耐荷重に優れているから、大量輸送を担う為に大型の家畜馬が必要だった事は、言うまでもない農耕の歴史である。当然、乗馬用の家畜馬…軽種馬が繁殖してる理由も、長距離移動と高速移動の概念から存在する訳であり、舗装されていない、いわゆるオフロードでの移動手段としての役割が大きかったからこそ、それに適合した品種改良や調教が行われた訳である。これを“邪悪”と切り捨てるのであれば、当然ながら、畜産業を営む農家に対して侮辱してるのと同意である。
つまり、農耕をやってる以上、しかも馬を利用してる以上は、競馬を単にギャンブルとして切り捨てるのは、他の農家に対して、開拓や耕作を放棄しろと言ってる様なモンであり、また、収穫祭などの余興として、あるいは、祭礼の一つとしてやっている事を“中止しろ”と声高に叫ぶ行為は、農業をバカにして見下してるのと同じであり、食糧の供給源に唾を吐く様な行為でしかない。もっと言えば、古来からの娯楽を破壊しておきながら、他の娯楽を推奨したトコで、それが根付くまでにどれだけの時間がかかるか…文化を否定するのは、結局、自分自身が“興味ない”事を理由にしてる我儘でしかない。そして、今までに至るまでの歴史を直視せずに、“正しい歴史認識を”と叫んでも、それは、単なる感情論でしかない。すなわち、いわゆる“黒歴史”を含めた部分も、文化として築き上げてきた経歴であり、また、それによって賑わいを保ってきた側面がある以上、無碍に扱ってはいけない。そういう部分を無視して、それでも競馬を“社会悪”呼ばわりするのであれば、自分が今打ち込んでいる趣味や、今まで集めたコレクションを、見ず知らずの他人から…ではなく、自分の親友や家族に否定された挙句、勝手に廃棄処分されても、絶対に文句を言うな。なぜなら、競馬ファンや関係者を罵った上で、競馬を廃止に追い込む行為は、まさに、自分自身に置き換えた時、どれだけ屈辱的、かつ、理不尽な事をやってるかに気付いていないからだ。

競馬中継の将来性は?

ブロマガ的には、あけおめですw 金杯の日に何やってんだかですが、今年はアナウンサーに関する個別なネタは、控えめで更新する関係上、今までみたいに毎週水曜日深夜更新ではなくなります。(要するに、行き当たりばったり更新に変更ですw)そんな訳で、今回はいきなり重たいネタですいません号ですw
今までの記事で散々やってきた事なんで、今更感もあるかと思うが、競馬実況を行うアナウンサーは、ラジニケに限らず、減少傾向にある。もちろん、地方競馬の廃止も大きいのだが、要するに、後継者不足…というより、後継の人材育成を怠ったツケが、ここに来てジワジワ影響が出始めている。わかりやすく言えば、昔から競馬中継を行っている放送局ですら、外部の芸能事務所や個人経営のプロダクションから、競馬実況ができる人材をアウトソーシング(人材派遣)で賄おうかと考えているトコがあるからである。(ドコとは言わん、そこのオメーらだw)また、競馬実況ができる局アナ自身が、定年を機に籍を外れる事もあって、ここら辺の関係で、バックアップ要員として嘱託職で契約を結んでいても、ある一定までの延長でしかなく、結局、マイクの前から離れてしまう訳である。当然、定年を前にして諸般の事情(大病を患ったり、家族の都合…などの理由)で辞める人もいる訳で、そうなると、他の部署から…という訳にいかないのが競馬実況を行う上では厄介なのである。まして、スポンサーが付く番組であればどうにでもなる話でも、昨今の放送事情を踏まえれば、そういう訳にもいかない…しかし、これは社会全般にも言えた話で、コストパフォーマンス優先で物事を決める事による弊害であり、人材育成に経費が掛かり過ぎるという概念がまかり通ってる以上、どうすることもできない部分である。
実は、この概念こそが一番の間違いであり、今の景気が悪い最大の元凶は、円安でも、原料高騰でもなく、この“人材育成”を疎かにしたツケであり、また、指導者としての中堅が少ないことも、品質の低下を招いていると言っていい。つまり、先人達が築いてきた歴史に対して、それを引き継ぐことを“無駄”と言って切り捨てた結果、本来であれば継続できる事業すらままならなくなってしまった…というのが、今の日本が抱える“病巣”なのです。
競馬実況の場合、他のアナウンス業務以外に、競馬に関する精密な描写が必須のスキルとして存在し、他のスポーツ実況よりも、高度な技術を要します。そのため、単に叫んでるだけのスポーツ実況アナが競馬中継で実況を行えば、視聴者は鬱陶しいだけで、レース内容が伝わらないだけでなく、本当に欲しい情報が何一出てこないような実況は、本当に邪魔なだけです。確かに、テレビの場合だと、映像がある分多少の手抜きができるでしょうが、吉田アナの解説でもやった様に、現場にいてても、コースが見えない場所にいる人にとって、実況だけが唯一、レースの状況を知る手がかりなのです。この概念がすっぽ抜けてる競馬実況アナがいるとすれば、その人は、どんなに杉本アナ以上の美辞麗句をレース中に並べることができるスキルがあっても、競馬実況アナとしては“失格”です。そう、肝心な事はレースの内容を伝えることが“仕事”であり、“職務”であらねばならないのです。杉本アナの実況でも、基本にはラジオでの技能が念頭にあり、そこに、テレビを見てる視聴者に対して、状況把握をしやすいようにするための言葉として、洒落を効かせた美辞麗句を使ってる訳です。その部分に関しては、馬場アナ以下、杉本門下生達が引き継いだ部分であり、それがあった上での実況表現なのです。ここを勘違いしている様では、本物の“競馬実況アナ”として認めることはできません。そういう危機感から、ラジニケでは、基本となる実況の技術を仕込む場として、レースアナ養成講座を設けて、競馬実況アナ志願者を対象に、プロアマを問わず募集をかけてます。それでも、ラジニケの社員として、あるいは地方競馬の実況アナとしてデビューできるのは、ほんの僅か…それだけ、育成が難しいのが、競馬実況アナなのです。
それと同じ様に、テレビの場合だと、カメラマンやスイッチャーの技術も重要になります。特に、実況アナと息が合わないカメラワークは、どんなに素晴らしい実況をやったとしても、映像的にはボツです。しかも、競馬中継に限らず、スポーツ中継の殆どは生放送ですから、いろんな意味で“ぶっつけ本番”です。だからこそ、実況アナの“仕事”を邪魔しない、尚且つ、実況アナの“見落とし”をいかにしてカバーするかは、カメラマンとスイッチャーの腕に掛かってます。グリーンチャンネルの映像でもそうですが、基本的に、実況アナが何を実況してるかを把握した上で、且つ、彼らが見逃した展開を逃さない様に、カメラでレースを追うのです。そのためにも、競馬実況アナとカメラマン、スイッチャーの息が合っていないとマズいのです。どのタイミングでズームをかけるか、どのタイミングで映像を切り替えるか…何度も現場で確認するだけでなく、実践で経験を積む事が非常に重要なのです。しかし…そこをベテランに任せっきりにしたり、コストカットを理由に若手を排除してる様では、後継の育成はできません。本気で視聴率、あるいはリスナーポイントを稼ぎたいのであれば、技術を積んでいく場を阻んではならない…要するに、技能や経験を積む事を無駄と切り捨て、蔑ろにする様な企業は、誰からも相手にされません。今を維持したいのであれば、なおさら、後継の育成は喫緊の課題なのです。

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語(の前にご挨拶w)

こちらの方ではあけおめです…w で、新年早々、なにやらおかしなタイトルをつけているが、今年はこの裏別館で、妄想物語を綴っていこうかと思う。要するに、本館(はてダの方ねw)は通常のgdgd話をするとして、こっちは独身時代…というよりも中学ん時から思案していた、いわゆる“厨二病”的な物語を、この際だから一つのキチンとした“読み物”としてWeb上で公開しようと思い、こっちで展開していこう…ということで、オイラ的に、既に完成系に達してるヤツとして、上記のタイトル“ティルタニア騎士団”という御伽話を時間を見て公開することにした。

で、“ティルタニア”とはなにか?これはオイラ的造語で、主要キャラクターのモチーフが、ラジニケの競馬実況アナ達から来てる訳で、ラジニケの以前の名称“ラジオたんぱ”から転じて、そして、ギリシャローマ神話ティターン十二神から捩って“ティルタニア”という言葉が生まれました。で、“騎士”と付いてはいるけど、どっちかといえば、人間版のポケモンですw なぜなら、姿こそ人間ですが、手首や背中から蔓のムチが出るし、岩石落しやハイドロポンプみたいな技を使うし…いろんな意味で妖怪ですw(ヲイ

ともかく、今回はイントロダクション。全ては、次回以降の更新から物語が始まります…

 

ここは、地球上の、とある限界集落。荒れ果てた耕作放棄地が無数に点在し、家屋の殆どは、既に人も住んでいない…そんな辺鄙で、誰も住みつかないであろうと思われた山の中の集落の一角に、ある日突然、近代的な農園が姿を現した…その名は、国神農園。しかし、この農園には、ある秘密がありました…それは、ここで従事してる者は全員、異界の地から来た、特殊な能力を持つ存在であり、そして、かつての屯田兵の如く、軍事訓練を受けた精鋭達だったのです。この物語は、そんな彼らの日常を描いた、カッコ悪い英雄たちの物語…

競馬と鉄道の話:貨物輸送編

今でこそ、馬運車の性能が良くなった事と、高規格道が整備されたおかげで、レース当日に輸送する事も可能になった訳だが、今から40年以上前だと、そういう訳にもいかない“事情”があった…そう、競走馬の輸送に、大型の馬運車で“直送”ができなった時代において、貨車による鉄道輸送が一般的で、しかも効率がいいとはいえない環境下での取り扱いな訳である。ゆえに、関西馬が関東以北の馬場へ出走する際に、あるいは、関東馬が中京以西に遠征する際、貨物列車のダイヤと運行状況は、いろんな意味で結果を左右する問題でもありました。
先に、現在の競馬用の馬運車について解説しておくと、運送会社で保有してる馬運車は、基本、6頭までの搭載が可能で、掃除や消毒がやりやすい様に、車体床面はステンレス仕様になっていて、最新鋭のモノになると、人間だけでなく馬の方にも“冷暖房完備”という車体もある。で、殆どが大型バスか、精密機械用輸送車を改造してあるため、エアサスペンションは標準装備である。つまり、長距離輸送でも競走馬が快適にすごせる工夫が搭載されていて、また、運転席と馬房室をカメラで繋いで、馬の様子を見ながら輸送できる様になっている。もちろん、カメラが搭載されていない車両でも、運転席との仕切り部分に小窓が付いていて、そこから様子を伺う事ができる。通常の輸送では、4頭纏めて乗っけて競馬場とトレセンを行き交うのだが、GⅠクラスの競走馬の場合、安全面から帯同馬を乗せずに輸送する場合もある…こう説明すると、輸送コストが掛かりそうに思えるが、あくまでトレセンと競馬場、または関連施設への輸送は、中央競馬の場合、JRAの方から指定された運送会社によって行われるため、各厩舎への受託料などに含まれていたりする。だから、朝の早い時間に競馬場へ行くと、次々と馬運車が入っていく様子が見られるが、ほとんどの場合はピストン輸送で行われる訳である。でも、これは本当に30年ぐらい前までは、そういう事が出来なかった…競走馬の輸送も、鉄道輸送においては“家畜運搬”の一つでしかなく、ゆえに競馬場近隣の貨物駅では、他の家畜同様の取り扱いでしか輸送できなかった訳である。まして昔は、トレセン自体もなかった訳で、調教をつけるのも何も、すべて競馬場の中で行われていた。その名残は今でも、各競馬場の馬主協会にある。そう、中央の馬主は、原則として、地元の競馬場を拠点としていて、自分トコの馬を、その競馬場毎の調教師に預ける…という風習があった訳で、タマに競馬新聞等に所属が記載されるケースがある。
閑話休題。つまり、競馬場間での輸送が大前提としてあったため、最寄の貨物駅までトラック等で輸送し、そこから家畜用貨車に積み込んで、他の貨物車両と一緒に輸送する訳である。これが一番の問題で、いわゆる“突放(とっぽう…ブレーキ操作をせずに連結器を外して、貨車を勢いよく放す行為)”や、他の車両との連結待機等、狭いトコに閉じ込められる事を嫌う競走馬にとっては、苦痛でしかない作業が行われている訳で、これによるストレスが因で、いわゆる“輸送熱”を発症する事がある。現在の馬運車による高速輸送でも、ごくタマに聞く話ではあるが、40年ぐらい前は、夏競馬は遠征先での“滞在”にならざる得なかったのも、この“輸送による体力的疲労”を懸念しての話であった。だから、セントライトシンザンの時代において、三冠達成が偉業と言われたのも、この鉄道輸送による“体調変化”との戦いであった事は言うまでもなく、また、1頭でも体調不良となれば、該当する貨車にいた競走馬全馬が、防疫の観点から隔離される事もあった訳である。そして何より、有力馬が帯同馬のせいで“出走取消”となれば、身も蓋もない話になるから、なるだけ単体での輸送をしたくても、家畜用貨車を一両丸ごと借りるのは、必要以上にコストのかかる話であり、効率が悪かった。だから、モータリゼーションの一番の恩恵を受けたのは、競馬関係者…特に馬主であった事はいうまでななく、そして貨車による家畜の鉄道輸送が廃止になる要因となったのです。

さて、今年のブロマガの更新はここまで。来年は、完全に気まぐれ更新になるかもしれません…が、よろしければお付き合いください。では、良いお年を…