迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

ずるいよ…

昨日の昼間に、Twitterの通知が賑やかだったんで確認すると、後藤浩輝騎手が自殺したという一報で、競馬関係のフォロワーが騒然とした様子だった。確かに、彼の様なファンサービスを積極的にやってる騎手は、とんとお見かけしないだけに、これはあまりにも切ない…そして悲しい話ではないか。遺された者達にとって、精神にどれだけ傷つけたことか。
一部フォロワーから、自死した騎手に対して、一開催期間中、献花台を設けてファンの声を集めるのはおかしいという意見があるが、オイラからすれば、それは後藤騎手のやってきたことに対しての“返礼”であり、あまりにも唐突すぎる事だったから、現場が混乱したが故の話として無視するのが賢明…と判断する。どうせ、いつもと変わらない週末の競馬だし…

ここからが本題、自死を選ぶ人の心理は、誰にもわからないのではなく、誰にでも潜在的に存在する意識である…が、そのリミッターが壊れる時は、なんでもない様な事がきっかけになってる可能性がある。もっと言えば、今まで“できた”ことができなくなったり、自分自身の“居場所”を見失ったり、これまで自分がやってきたことに対して自信を失ったり…とにかく、本当に他人からすれば“どうでもいいこと”が、当事者にとっては“一大事”であり、たとえその悩みや苦しみを打ち明けられる場があったとしても、そこへ向かう事、あるいは、向こうから近づいて来たとしても、それ自体が既に嫌になっている…だから、突発的に死を選ぶ可能性がある。生きている間なら、どんな我儘も大概の場合、相手あってこその反応があり、そして、それに対して、ある程度までは笑って済ませることができる。が、死んでしまえれば、それに対する悲しみや怒り、憂いが先行し、そして二度と、誰であろうと、声をかけることができなくなる。
だけど、自死を選ぶ人の多くは、それが“鬱陶しい”からと、自分という“存在”が消えても、世界はどうにでもなる…という概念に捉われてしまっている。要するに、自分の中の“自分”が、勝手に“消滅”してるから、精神と肉体の両方を合致させる術としての“答え”が、戦い続けることによって自分を見出し、自分の意思で“生きている”という実感を求めるか、戦うことすら億劫になり、早く“次世代”へ切り替えたくて死を選ぶか…この“究極の二択”になる。生きてても虚しさだけしか残らないから死ぬのではなく、勝手な“満足感”に堕ちたから…そうなると、もはや誰も止めることはできない。残念だが、ファンや関係者が声をかけたとしても、まして、親族や親友が手を引いて止めようとしても、当人自身が“もう充分だ”と感じたその瞬間から、すべてが決まってしまう。故に“鬱陶しい”のであり、勝手に自分の存在そのものが“消滅”してるのである。
ただ…遺された者は堪ったモンじゃない。勝手に“精神のバトン”を放り上げて、その場からいなくなったからね。だからこそ、この喪失感に負けている訳にはいかない。むしろ、死んだ事を後悔させるぐらいの覚悟で、競馬に打ち込もうじゃないですか。だからこそ、失ったモノは仕方ないと割り切り、ただ寡黙に、愚直に、前へ進んでいきましょう…彼のことを忘れたくないのであれば。

陽気でファン思いなアンちゃんに哀悼の意を表し、今を懸命に生きる者達にご武運を…南無。

関西における競馬中継と芸人の関係。

昨日、Twittreでのやりとりで、関西における競馬中継で芸人がMCを担当する件で、ツッコミを入れたら、過去にもそういうことがあったのを知らないという返答があったんで、この場を借りて、オイラのわかる範囲で解説をさせてもらう。以前、山田雅人と旭堂南鷹に関する話をやったが、彼らも実は、競馬中継のMCを経験してるから無関係な話とは言えない。が、現在と70年代頃の競馬中継では、ちょっと事情が違う。そこも踏まえた上で、歴史的な話をしていこうと思う。
まずはKTVの競馬中継の話から。単発、あるいは結果速報程度の放送時は、それこそ松本アナや杉本アナが、MCと実況を行っていたのだが、いわゆるカラー放送のコンテンツとして格上げされ、レギュラー放送になった際、更に番組を盛り上げるためと、アナウンサーの仕事を実況と取材に専念させることを目的に、進行役として採用したのが始まりで、その先駆者が、森乃福郎…と言っても、現在の方ではなく初代の方で、本職は落語家であった。後で説明するが、先代の桂春蝶(現在の春蝶の父親w)も含め、落語家は東西問わずに“競馬好き”が多く、ゆえに“競馬でメシが喰える”とあれば、ホイホイと乗る人が多かった様で、中でもこの人の場合、馬主資格まで取ったほどの“馬バカ”であったことは言うまでもなかったw のちに番組改編でのテコいれで小野ヤスシと交代するまで、KTVでの競馬中継の顔として知られる存在となった…が、実はMBSの競馬中継の方にも、関わってた時期があったようです。
で、MBSでの話をすると、70年代に入って、レギュラー放送復帰後に、KTVと同じような理由…というより、実況アナが実質、高木良三アナと薫兄…もとい、蜂谷アナだけになってしまったこともあって、そのフォロー役としてMCを担当させたのは始まりで、最初は俳優の津川雅彦が担当してたのを、土曜日も放送してた関係もあって、先代春蝶と先代福郎が担当した時期があったとか。まぁ…先代春蝶の話をするとアレだが、いろんな意味で“ギャンブル好き”で、生き様そのものが博打の様な感じでした。脱線ついでに解説すると、当人は虎党でありながら、他のトラキチ…特に甲子園常連のファンからは“疫病神”という二つ名をつけられ、球場内で姿を見た者は、即座に“帰れコール”を浴びせられたというほどw けど、それは当時、かなりの人気者であったが故の裏返しであり、また、現在の春蝶は当時を振り返り、それだけ本当は、ファンに愛されていたからこそ、試合に関係ないヤジが球場で飛んでたんだと思う…と、ある日のラジオ番組で宣っておりました。(超満員の甲子園で“春蝶帰れw”コールって、どうよ?)
で、KBS京都といえば、いろんな意味で青芝フック“Only”でして、土曜日の放送枠では南鷹(当時は旭堂南太平洋→太平洋)やしましまんず池山心、フリーキャスターの出光ケイなどが担当してたこともあったが、日曜日に限れば、BS11に丸投げするまで、ほぼフック師匠の独壇場でしたw なんせ途中でKTVの中継による休止時間を含めて、競馬中継に携われる芸人となると、通常のタレントだと割が合わない…ゲフンガフン、よっぽどテレビでの放映時間の調整が利く人でないと務まらないからである。つまり、15時から1時間だけ動けると言えど、実質は収録番組に限られる上に、日曜日といえば、昼間から夕方にかけて娯楽番組が非常にブッキングしやすく、ヘタすればレギュラー番組を他局での特番放映の都合で、出演自粛も致し方ないこともあった。言い方は悪いが、ある意味マイナー系の漫才師だったこともあって、そこらへんの時間調整が非常にフレキシブルな立場だったからこそ、一番適任だったと思われる。まぁ…とはいえ、もともとフック師匠の場合、トリオで漫才やってた頃から他の二人と別の意味で格差があったトコがあって、それで芸名を変更した経緯がある人だから、本当ならかなりメジャーな存在だったのに、敢えて地味な存在であり続けることに徹した人だと言ってもいいだろう。現在でも、園田競馬場に出没することがあり、実際に協賛レースも企画されているから、今回紹介する人としては、ある意味現役で、競馬を楽しんでいらっしゃる人と言って良いでしょう。
最後に、地方競馬…というよりも、園田競馬をテレビで中継してた頃の話も触れておく。実は去年、ナイター開催時にOBCが中継を入れてたんだが、その先駆として、SUN-TVで中継を行ってた時期がありました。主に、重賞が組まれている水曜日の放送でしたが、オイラが覚えている範囲では、放送作家(だったかな?)の鏡宏一がMCを務め、実況は吉田アナや竹之上アナのモノがそのまま使われました。で、途中でケツカッチン高山に変更になった後、地上波での放送が打ち切られ、CS放送での間借りを余儀なくするハメになるんだが、その原因は、兵庫県競馬組合の懐事情が、館内スタジオ(実は、スタンド内部に本格的なスタジオがある!!)の整備などに費用が回せないほど困窮してて、ぶっちゃけ、SUN-TVに放送枠確保の使用料が払えないからという、なんか切ない事情が見え隠れしてる訳である。(ちなみに、中継車両とかは、プラスミック…現在の山口シネマがSUN-TVにレンタルする形式で用意してたw)
ざっくりとではあるが、基本的に、関西のいずれの放送局も、70年代から80年代初頭あたりに、関西の芸人で、しかも無類のギャンブル好きにMCをやらせてた時代があって、のちに放送形態を、よりシンプルな形式に移行する際に、同じ競馬好きでも、好印象が持てる俳優や、ギャンブル以外での楽しみ方を知っている競馬好き芸人にシフトしていった訳である。芸人にMCをやらせる背景には、主に競馬実況アナの負担軽減と、番組進行上、レースやパドック紹介の時間の合間を繋ぐ上で、多彩な知識や芸を披露して、視聴者(リスナー)を退屈させないよう、場を保たせる役目を担ってたトコがあった。だからタマに、競馬の話題から脱線した小話が始まったり、タイトルコールでふざけるケースも多々あった。その系譜は、今でもKTVBS11での放送でよく見られる訳であり、また、グリーンチャンネルで三遊亭五九楽師匠がMCを務める番組があったりするのは、単に競馬好きな芸人だからではなく、過度に競馬以外の無駄話を番組内でやらないからこそ務まるのである。(ここを勘違いする芸人が多いから、滅多なことで競馬番組のMCを変更することがない訳で…w)

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第5話。

「そろそろ、こっちに来るんじゃねぇかと思ったが…旧モーザ隊が雁首並べているということは、プレセアに説得された上での行動だな。」

ビスタ達がいる居間に、突如、小柄ながらも武芸に覚えあるような風貌の男が入り込んできた。通常、ティルタニア騎士団以外の者が、結界を無視して侵入する事は不可能に近いのに、この男は、何の気配も見せずに、すんなりとビスタ達の下へ姿を現せた。ナージュとカルタスは一瞬、警戒する仕草を見せたが…

「マーグ…キミがここに来たという事は、修繕ができたってことだね。」

と、ビスタが声を男に声をかけると、

「おう、親父が…否、賢皇プラネクスが直々に作り直した神具だ。これで、やっとオマエも自由に動けるな。」

と、答えた。

「ははん…てことは、プレセア先輩も一枚噛んでたな?」

何かに気づいたナージュは、少しマーグに突っ掛かる様に尋ねると、

「いつまで柱の間に閉じ込めとくんだ?過保護なのも大概にしろよ。第一、とっくに神具の修繕は出来てたのに、待てど暮らせど受け取りに来ねぇから、オレの方で預かってたんだぞ。」

「それは、ティルタニアの…」

「“基礎の時空”を安定させるため…だろ?だがな、それをビスタ一人に任せっきりで、オマエらは何してた?そういう理屈で、ビスタを狭い牢獄の様なトコに閉じ込めてるオマエらの方が、よっぽどどうかしてるぜ。」

「だが、ティルタニアの長である龍神が不在のままで…」

「だとすりゃ、他の柱神はどうだ?ハッキリ言えば、須く“世界”を支えているのは、柱神ではなく、オマエ達の様な凡人だ。柱神として崇められているのは、あくまで“人成らざる姿”の方で、柱神の依代でしかない人間の姿は、むしろ蔑まされてるじゃねぇか。」

 「だったら…」

「いいか…いくら“時空の龍神”といえど、ビスタはビスタだ。どんなに国長だからといって、狭っ苦しい玉座に括り付けて良いなんて考えは、逆に世界をダメにする“一凶”だってのは、オマエ達は経験してるだろ?本物だからではなく、影響がどうのとかじゃなく、本気でビスタを思うんなら、他にやることあるだろ?」

ナージュ達の言い分は、すべてマーグの答えによって打ち消された。確かに、他の世界にいる“柱神”と呼ばれる者達は、神具を付けている事でマム・アースでの影響を最小限に抑え込む事ができる様になっているが、ビスタにはそのための神具が壊れていた…しかし、マーグが持ってきた、真新しい懐中時計のような物が目の前にある以上、反論するだけ無駄になる…そう、この懐中時計、実はビスタ専用の神具の“仮の姿”であり、その正体は、ビスタでなければ取り扱うことすらできない、非常に強固で重い、円形状の盾…“刻龍の円盾”と呼ばれる神具である。

「ビスタ、これでやっと、この農園を守れるな。」

「恩に着る…マーグ。やっと、これでボクは、柱の間にいなくても、時空を統べることができる。」

「礼を言うなら、親父に言ってくれ。オレはあくまで、親父の使いとしてそいつを届けたまで…まして今のオレは、勝手にティルタニアに出入りできる立場じゃねぇからな。」

嬉しそうに笑みを浮かべるビスタに対し、マーグはやれやれといった表情を示した。そう、彼こそマム・アースの柱神…アトラスの権化にして賢皇プラネクスの子息なのである。

 

二十三回忌…

タイトルを見て、ちょっと驚かれた方も多いかと思うが、オイラよりも年上の人であれば、そして、今日更新である事で気付いた方には、わかる話かと思う…そう、今日は落馬事故で亡くなった、岡潤一郎騎手の命日。今でも忘れることができない事故であった。そして何より、あまりに不憫で仕方がないことばっかだった。
22年前の1月30日、京都でのレースで騎乗馬が故障発生して転倒…ここまでなら普通の事故で、馬はともかく、騎手が怪我をしたとしても、打撲程度で済む可能性が高い内容だった。が、後続の馬に後頭部を蹴られ、病院に担ぎ込まれたが、騎乗メットが砕ける程の衝撃が加わった事による頭蓋骨陥没骨折…2週間も意識不明のまま、力尽きた。一報が入った時、覚悟はしてたが、辛すぎて言葉を失った。まだ24歳…当時、関西の若手騎手五人衆の一人として、今後の活躍も期待されていた矢先での事故だった。同期の岸滋彦騎手(現在は厩務員)は、翌日に行われた、ダイタクヘリオスの引退式の際、とても気が気でなかった状態で臨んでいた。無理もない、当時の引退式での“お約束”として、4コーナーからホームストレッチをキャンターで流す時、その“事故現場”を走る事を躊躇っていた様に見えた…ダイタクヘリオスも、鞍上の“相棒”が、不安がっていることを察してか、なかなか走ろうとしなかった。司会進行をやっていた薫兄は、ちょっとその様子を茶化す様に煽ってたが、薫兄もそれはそれで、心配していたからこそ、敢えてファンの前で道化師のフリをしたまでで、いつものクールな感じではなかった。たまたまオイラは、何も知らずに当日、ダイタクヘリオスの引退式を見に行った訳だが、その時には、なんでそんな無茶振りをしてたのか、いまいちピンとこなかったが、直後にMBSの競馬中継を聞いて、状況を把握した…彼らはそれぞれの立場で、岡騎手の事故に触れていて、そしてそれをファンの前では表に出さないよう、気を配ってたのである。
確かに、武豊騎手や松永幹夫騎手(現:調教師)等と比べたら、勝鞍や騎乗回数には恵まれてはいなかったけど、馬に対する気遣い、関係者に対する礼節を弁えた態度は、ファンや関係者からも愛される“気のいいアンちゃん”であった。そして、リンデンリリーで勝ったエリザベス女王杯でも、レース後に故障したのは“自分のせい”として、レースを勝った喜びよりも、馬を怪我させた責任を感じていた。だからこそ、勝つ事よりも馬が無事完走することが大事と思って騎乗していた…それが仇となったからかはわからないが、あの事故において、誰しもが考えさせられた。本当に“大切なこと”とは何か…今もその答えは、誰にもわからない。
あの時以来、結婚するまでオイラは、京都競馬場に行く度に、事故現場が見える芝生エリア付近に花と酒を手向け、手を合わせるのが、一つの儀礼となった。できるだけ早朝に家を出て、できるだけ混み合わない時間帯に着く様に電車を乗り継ぎ、事故現場前の芝生エリアにたどり着いたら、そのフェンスに花を一輪手向け、“今日一日、重篤な事故が発生しませんように…“と手を合わせ、そして一口分の酒を献杯して飲み干す…そして、命日に近い日の京都開催時は、バレンタインデーも兼ねて、チョコレートも供えた…今となっては、かなりイタい中二病な行為だが、それでも、一競馬ファンとして、その存在を“忘れない”という意思表示として、本当に結婚するまで続けてきた。岡騎手が亡くなってすぐの京都競馬場へ行って、その時薫兄に無理言って、当時のレープロにサインを書いてもらった。


あの日を忘れないという“誓い”は、このサイン入りレープロと共に、今もオイラの胸の中で守り続けていく。こんな悲しい思い、あまり見たくないから、そして…これからも、その誓いと共に、競馬を愛するために…

改めて、若くして天に召された愛すべき騎手に哀悼の意を。そして、今を生き、戦い続ける騎手たちにご武運を…南無。

サラブレッドが人工授精をやらない理由…

バレンタインデーだってのに、下ネタ系でスンマセンw と言っても、馬の繁殖に関する話なんだが…先週木曜に、ステイゴールドが大動脈破裂で死亡した訳だが、繁殖に上がった競走馬が事故死するケース(今回の場合は病死だが)は、現役時代以上に多い訳で、放牧中以外で頻発するのが、いわゆる交配作業中(要するに“種付け”w)でのトラブルである。もちろん、細心の注意を払って交尾を行う訳なんだが、それでも人間で言うトコの“腹上死”ってのもある訳で、その多くは、やってる間に大動脈や心臓にトラブルが起きて…ってヤツである。そう、サラブレッドだって、高血圧による血管トラブルで死亡することはあるって事だ。

で、そういうリスクを少しでも回避したいを考えるのは、畜産業を営む農家なら誰しもが思うことであり、実際、食肉用の牛や豚の繁殖は、人工授精が一般的であり、繁殖用の精子を種畜場で冷凍保存して、必要に応じて手持ちの家畜に受精させていく訳である。(当然だが、種畜となるオスは、ほとんどの場合メスと交わることなく、一生ダッ●ワイフで自家発電する訳で…w ちなみにメスも、オスと直にやりあうことがない訳で…)

しかし、競走馬…特にサラブレッドに関して言えば、未だに“自然交配”を行うことが“お約束”となっている。これは、厳格な国際ルールがあって、どんなに“大量生産”したくても、人工授精による“弊害”を避けなければならないからである。つまり、人気種牡馬以外淘汰され過ぎると、血統的な近親交配による身体的な障害が出る可能性が高いからである。人間でもそうだが、近親者同士での婚姻関係が認められない最大の理由は、遺伝子異常による障害が出るからであり、同じ理屈がサラブレッドの場合、通用する訳である。もちろん、ワザと近親交配状態(インブリード配合)にして競走能力を向上させる考えもあるんだが、あまりやり過ぎると、血統的なバランスが歪になりすぎて、次の繁殖用に使えないケースも出てくる。だから、成績がイマイチでも、生産上の観点で、血統的な配合バランス調整用に繁殖に回すことがあり、逆に、人気種牡馬の産駒で成績が優秀であっても、繁殖用に回せない“理由”もここにあって、単にGⅠ勝ちがあったとしても、乗馬用に回される競走馬がいるのも、実はここの問題だったりする。特に日本の馬産に関して言えば、競走成績で物事を見る馬主や牧場関係者が多い事もあって、どうしても、特定の血統に偏りがちになる。現在の血統は、圧倒的にサンデーサイレンス系の繁殖馬が多いため、そのアウトブリード(外部血統)の繁殖馬が貴重な存在となる。ゆえに毎年、海外から種牡馬繁殖牝馬を輸入する訳であり、競走馬として海外から買い付けて輸入するケースも、基本的には、重要な役割なのである。

もちろん、それゆえのデメリットとして、交配を行った後で体調不良になることもあるし、やってる最中に興奮しすぎて蹴られたり、双方が暴れて倒れるなどの事故がある。だけど、他の家畜の様に人工授精を認めないのは、事故よりも“血統の正当性”を明らかにする事が主眼にあり、また、インブリードの多用を避けるためにも必要な措置なのです。そういう意味では放牧地で、牡馬と牝馬を分けるのも、不用意な繁殖行為を避けるためであり、事故防止の観点からも、乗馬クラブでも牡馬と牝馬の馬房は、できるだけ距離を置くようにしてるのです。(でないと、牝馬の匂いが残った馬房にうっかり牡馬を入れると、興奮しすぎて馬房内で暴れますから…冗談抜きで。)当然ですが、競馬場でパドック周回中の競走馬が興奮するのも、2歳馬や3歳馬の場合は、場の空気に不安を感じてそうなるのだが、古馬の場合はおおよそ、かすかに残った牝馬のフェロモンに反応して、いわゆる“馬っ気”を出すのですw

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第4話。

翌日…といっても、マム・アースでは夕方なのだが、国神農園の敷地でも、奥深くにある、従業員専用の寄宿舎、本陣寮本舘。ここは、国神農園に常駐する従業員達の生活の場であると同時に、マム・アースで唯一、ティルタニアと同じ時空となる様に、特殊な結界が敷地内に張り巡らされ、ティルタニアン以外の者が入ると、廃校となった小学分校を再利用した宿舎にしか見えない仕掛けになっている。しかし、ティルタニアンや、ある程度の特殊能力を有する者が見ると、これほど近代設備を満載した前線基地はないという程、軍事施設としての機能に気付かされるのである。

「ふぅ…やはり“我が家”は落ち着くねぇ。」

ビスタはそう言うと、完全に昭和テイストな内装の和室で、掘りごたつに足を突っ込んだ。

「何言ってんだよ、ビスタ。本職ほっぽり出して、こんなトコにいるのが民にバレたら…」

「ナージュ先輩、無駄ですよ…そもそも、ビスタ先輩よりも、プレセア中将の方が民に慕われてますからねぇ。」

「あのなぁ、カルタス。そんなこと言ってるから、いつまで経っても…」

「それに、今回は本陣寮から出ない事を条件に、ここにいる訳ですから、外界に影響は出ませんよ。」

ナージュは少し、釈然としない様子だったが、カルタスの言う通り、結界内にある本陣寮の敷地は、実質はティルタニアのクロノパレスを直結させた時空にあるため、結界を破らない限り、時空の龍神としての力が暴走する恐れはない。仮に、ビスタが自分の意思で外界へ出ようとすれば、人間としての姿を維持する事ができなくなるからである。人間の姿のままで、ティルタニア以外の世界へ赴く時は、必ず、時空の龍神としての力を封じる“神具”を身に着けていなければならない…だが、その神具自身が、とある事件の際に壊れて以降、人間の姿見を維持することができないどころか、その力の暴走によって、全身が傷だらけになり、一時危ぶまれたのである。それ以来、パレスの奥にある“柱の間”に殆ど閉じ籠った状態になっていたのである。もちろん、それは暴走した力を中和させるためでもあるが、体調不良で全ての時空が不安定になったことを受け、それを修復させるために、龍神としての力を集中させる必要があった為である。膨大な時空の歪みに対抗するためには、龍神としての体力が重要な鍵となる…しかし、今までビスタがマム・アースにいたことが原因で、マム・アースの時空が、他の世界よりも一万年以上遅く流れてしまうようになってしまったのである。それをどうにか修復させようとした結果、神具なしでは、結界の外に出たくても身が保たない状態になってしまったのである。

「ともかく、ビスタ先輩…今回のここでの滞在は、一週間だけですよ。」

「悪いな、カルタス、ナージュ。外に出られないのは仕方ないけど、今はこれで充分だよ。」

「まったく…長年の付き合いだけど、お前のそういうお人好しな部分、なんとかならないのか?」

「僕はただ…国神翁との約束を果たしたかっただけ。この場所を…荒れ果てた農村を、たった一人でどうにかして、活気ある場所へと復活させたいという想いを、カタチにしていきたかったんだよ。そのために、みんなに迷惑をかけてるのは、正直すまないと思ってるよ。でも…」

ビスタはいつも、この農園の本当の管理人であった、国神祐介との“約束”を気にかけていた。その人は、ビスタが最初に訪れた時には、既に齢80を超える老農夫だった。しかし、ビスタの献身的な行動に心を開き、身寄り無き身を理由に、小さな農地と古ぼけた民家、そして、なけなしの財産を、マム・アースでの仮の名“国神守護”と共に、全て託したのである。以来、名義上の所有者は、ビスタの…否、架空上の“後継者”である国神守護となっている。

外国人騎手に関する話。

すでに報道でもご存知かと思うが、今年3月1日付けて、ミルコ=デムーロ騎手とクリストフ=ルメール騎手が、JRA騎手としてデビューする事になった。もちろん、これは法改正によって、外国人であっても期間限定な短期免許ではなく、正規の騎手としての資格を取得する試験を受けられるようになったからであり、今後彼らは母国であるイタリアやフランスの“外国人騎手”ではなく、“日本競馬の騎手”として、中央や地方交流レースに、通年で騎乗できることを意味してる訳である。(つまり、今後、日本の騎手リーディング争いにも関わってくるって事で…ま、ニュースソースはコチラw)
では、外国人騎手が日本の競馬に参戦するようになった経緯はなんなのか?ぶっちゃけ論で言えば、海外遠征を計画している日本のホースマン達の技術向上や情報収集という名目があって、その一環として、国際交流(招待)レースとしてジャパンカップが施行され、さらに騎手の腕を純粋に競う場として、今年から札幌で開催されることになったワールドスーパージョッキーシリーズがある。(あれ自体は、暮れの阪神でやるから面白いんだけどと小一時間…w)しかし、一番の問題なのは、騎手の“参加基準”と騎手免許の取り扱いである。これは、競馬開催国によって、取得に必要な規定がバラバラであると同時に、国際的に統一された、明確なルールそのものが存在しない事が、事情をさらに複雑にさせていると言ってよい。
短期免許に関して言えば、今から20年ほど前に規制緩和が行われ、母国(所属開催国)でのリーディング上位であることや、日本の競馬関係者(主に馬主)が身元引受人である事などを条件に、年間で最長3カ月(但し、クラシック戦線でのスポット騎乗などの例外事案アリ)で日本の競馬での騎乗が可能となった事を受けて、まず最初に、オーストラリアの女性騎手、リサ=クロップが“短期免許第一号”となった。で、欧米諸国の競馬のシーズンは、殆どの場合、冬場がオフになりやすいこともあって、多くの外国人騎手は、この冬場にスケジュールを見計らって、短期免許を取得するケースが多いのである。今でこそ、欧州競馬関係者は、冬場にUAEへ厩舎まるごと移動して、そこでやることもできるようになったが、あの当時は、北半球で通年競馬を行っているのは、日本と香港ぐらいでしかなかった…だからこそ、多くの欧州の騎手たちが、冬場の“食い扶持”を求めて、日本や香港での騎乗を求めてた訳である。
で、この初期のルールでの“不都合”が、モロに出たのがネオユニヴァースの“三冠レース”でのゴタゴタである。そう、皐月賞優勝後にデムーロ騎手を“主戦”に据えたために、免許の“期間延長”をどうするかで、相当論議がモメたのである。そこで、NAR(地方競馬全国協会)の短期免許資格を利用して、ダービーまで日本に留まり、宝塚記念菊花賞は“GⅠ特例”として、臨時の免許を交付した訳である。これが実は、外国人に対しての騎手免許に関するルール作りを促すきっかけとなり、また、短期免許に関する取得条件も、免許保有期間を3ヶ月一括ではなく、騎手の都合に合わせて、年間最大で3ヶ月という方向へ切り替えた訳である。んでもって、今回の“通年で日本の競馬に騎乗可能”という状態になるには、欧州での競馬事情と、騎手免許試験の“グローバル化”が不可欠と言っていい。
特にイタリアは、いわゆる“リーマンショック”以降の金融不安で、財政が非常にヤバヤバな状態に陥り、EU(欧州連合)加盟各国からの金融支援の“条件”として、かなりの緊縮政策を強いられていることもあって、その影響が、日本と同じように公営競技として行われている競馬にも出てきてる訳である。(ま、貧困層の僻みで、いつも真っ先に犠牲になるのは、娯楽・遊興系産業になるのは、ある意味お約束な訳で…)ぶっちゃけ、本国での開催が危ぶまれ、収入も不安定ならば、新しい“仕事場”を探すのは、その道のプロなら至極当然な話で、しかも、当人が大の親日家であるとなれば、その“主戦場”を日本にしたいのは、すぐに考えがつく。しかし、一昨年までJRAは、騎手免許取得の規定を、“日本人のみ”にしてたんで、どんなにリーディング上位でも、通年での日本での騎乗は事実上不可能だった。それを緩和して、とりあえず日本での騎乗経験があること、日本語が通じる事などを条件に、受験資格を緩和したから、彼らは試験を受け、そして今回“合格”となった訳である。
そういう意味では、実は地方競馬の騎手が、JRAの騎手免許の試験を受けて、免許を切り替えるケースがあるのだが、これに関しての解説は、他の人もやっているのであえて割愛するが、
重要なのは、海外や地方で腕のある騎手が、わざわざJRAの騎手になろうとする背景には、所属する地域や国の“財政事情”が絡んでいて、それゆえに、収益が非常に安定している(とされている)日本の中央競馬甘えてる…もとい、憧れると言っていいだろう。とは言え、これで“蒼い目のサムライ”が今後、日本馬の背に跨って、海外競馬でも大暴れしてくれると、競馬を見てるこっちとしては、非常に面白くなる気がするのだが。