迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

二十三回忌…

タイトルを見て、ちょっと驚かれた方も多いかと思うが、オイラよりも年上の人であれば、そして、今日更新である事で気付いた方には、わかる話かと思う…そう、今日は落馬事故で亡くなった、岡潤一郎騎手の命日。今でも忘れることができない事故であった。そして何より、あまりに不憫で仕方がないことばっかだった。
22年前の1月30日、京都でのレースで騎乗馬が故障発生して転倒…ここまでなら普通の事故で、馬はともかく、騎手が怪我をしたとしても、打撲程度で済む可能性が高い内容だった。が、後続の馬に後頭部を蹴られ、病院に担ぎ込まれたが、騎乗メットが砕ける程の衝撃が加わった事による頭蓋骨陥没骨折…2週間も意識不明のまま、力尽きた。一報が入った時、覚悟はしてたが、辛すぎて言葉を失った。まだ24歳…当時、関西の若手騎手五人衆の一人として、今後の活躍も期待されていた矢先での事故だった。同期の岸滋彦騎手(現在は厩務員)は、翌日に行われた、ダイタクヘリオスの引退式の際、とても気が気でなかった状態で臨んでいた。無理もない、当時の引退式での“お約束”として、4コーナーからホームストレッチをキャンターで流す時、その“事故現場”を走る事を躊躇っていた様に見えた…ダイタクヘリオスも、鞍上の“相棒”が、不安がっていることを察してか、なかなか走ろうとしなかった。司会進行をやっていた薫兄は、ちょっとその様子を茶化す様に煽ってたが、薫兄もそれはそれで、心配していたからこそ、敢えてファンの前で道化師のフリをしたまでで、いつものクールな感じではなかった。たまたまオイラは、何も知らずに当日、ダイタクヘリオスの引退式を見に行った訳だが、その時には、なんでそんな無茶振りをしてたのか、いまいちピンとこなかったが、直後にMBSの競馬中継を聞いて、状況を把握した…彼らはそれぞれの立場で、岡騎手の事故に触れていて、そしてそれをファンの前では表に出さないよう、気を配ってたのである。
確かに、武豊騎手や松永幹夫騎手(現:調教師)等と比べたら、勝鞍や騎乗回数には恵まれてはいなかったけど、馬に対する気遣い、関係者に対する礼節を弁えた態度は、ファンや関係者からも愛される“気のいいアンちゃん”であった。そして、リンデンリリーで勝ったエリザベス女王杯でも、レース後に故障したのは“自分のせい”として、レースを勝った喜びよりも、馬を怪我させた責任を感じていた。だからこそ、勝つ事よりも馬が無事完走することが大事と思って騎乗していた…それが仇となったからかはわからないが、あの事故において、誰しもが考えさせられた。本当に“大切なこと”とは何か…今もその答えは、誰にもわからない。
あの時以来、結婚するまでオイラは、京都競馬場に行く度に、事故現場が見える芝生エリア付近に花と酒を手向け、手を合わせるのが、一つの儀礼となった。できるだけ早朝に家を出て、できるだけ混み合わない時間帯に着く様に電車を乗り継ぎ、事故現場前の芝生エリアにたどり着いたら、そのフェンスに花を一輪手向け、“今日一日、重篤な事故が発生しませんように…“と手を合わせ、そして一口分の酒を献杯して飲み干す…そして、命日に近い日の京都開催時は、バレンタインデーも兼ねて、チョコレートも供えた…今となっては、かなりイタい中二病な行為だが、それでも、一競馬ファンとして、その存在を“忘れない”という意思表示として、本当に結婚するまで続けてきた。岡騎手が亡くなってすぐの京都競馬場へ行って、その時薫兄に無理言って、当時のレープロにサインを書いてもらった。


あの日を忘れないという“誓い”は、このサイン入りレープロと共に、今もオイラの胸の中で守り続けていく。こんな悲しい思い、あまり見たくないから、そして…これからも、その誓いと共に、競馬を愛するために…

改めて、若くして天に召された愛すべき騎手に哀悼の意を。そして、今を生き、戦い続ける騎手たちにご武運を…南無。