迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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関西における競馬中継と芸人の関係。

昨日、Twittreでのやりとりで、関西における競馬中継で芸人がMCを担当する件で、ツッコミを入れたら、過去にもそういうことがあったのを知らないという返答があったんで、この場を借りて、オイラのわかる範囲で解説をさせてもらう。以前、山田雅人と旭堂南鷹に関する話をやったが、彼らも実は、競馬中継のMCを経験してるから無関係な話とは言えない。が、現在と70年代頃の競馬中継では、ちょっと事情が違う。そこも踏まえた上で、歴史的な話をしていこうと思う。
まずはKTVの競馬中継の話から。単発、あるいは結果速報程度の放送時は、それこそ松本アナや杉本アナが、MCと実況を行っていたのだが、いわゆるカラー放送のコンテンツとして格上げされ、レギュラー放送になった際、更に番組を盛り上げるためと、アナウンサーの仕事を実況と取材に専念させることを目的に、進行役として採用したのが始まりで、その先駆者が、森乃福郎…と言っても、現在の方ではなく初代の方で、本職は落語家であった。後で説明するが、先代の桂春蝶(現在の春蝶の父親w)も含め、落語家は東西問わずに“競馬好き”が多く、ゆえに“競馬でメシが喰える”とあれば、ホイホイと乗る人が多かった様で、中でもこの人の場合、馬主資格まで取ったほどの“馬バカ”であったことは言うまでもなかったw のちに番組改編でのテコいれで小野ヤスシと交代するまで、KTVでの競馬中継の顔として知られる存在となった…が、実はMBSの競馬中継の方にも、関わってた時期があったようです。
で、MBSでの話をすると、70年代に入って、レギュラー放送復帰後に、KTVと同じような理由…というより、実況アナが実質、高木良三アナと薫兄…もとい、蜂谷アナだけになってしまったこともあって、そのフォロー役としてMCを担当させたのは始まりで、最初は俳優の津川雅彦が担当してたのを、土曜日も放送してた関係もあって、先代春蝶と先代福郎が担当した時期があったとか。まぁ…先代春蝶の話をするとアレだが、いろんな意味で“ギャンブル好き”で、生き様そのものが博打の様な感じでした。脱線ついでに解説すると、当人は虎党でありながら、他のトラキチ…特に甲子園常連のファンからは“疫病神”という二つ名をつけられ、球場内で姿を見た者は、即座に“帰れコール”を浴びせられたというほどw けど、それは当時、かなりの人気者であったが故の裏返しであり、また、現在の春蝶は当時を振り返り、それだけ本当は、ファンに愛されていたからこそ、試合に関係ないヤジが球場で飛んでたんだと思う…と、ある日のラジオ番組で宣っておりました。(超満員の甲子園で“春蝶帰れw”コールって、どうよ?)
で、KBS京都といえば、いろんな意味で青芝フック“Only”でして、土曜日の放送枠では南鷹(当時は旭堂南太平洋→太平洋)やしましまんず池山心、フリーキャスターの出光ケイなどが担当してたこともあったが、日曜日に限れば、BS11に丸投げするまで、ほぼフック師匠の独壇場でしたw なんせ途中でKTVの中継による休止時間を含めて、競馬中継に携われる芸人となると、通常のタレントだと割が合わない…ゲフンガフン、よっぽどテレビでの放映時間の調整が利く人でないと務まらないからである。つまり、15時から1時間だけ動けると言えど、実質は収録番組に限られる上に、日曜日といえば、昼間から夕方にかけて娯楽番組が非常にブッキングしやすく、ヘタすればレギュラー番組を他局での特番放映の都合で、出演自粛も致し方ないこともあった。言い方は悪いが、ある意味マイナー系の漫才師だったこともあって、そこらへんの時間調整が非常にフレキシブルな立場だったからこそ、一番適任だったと思われる。まぁ…とはいえ、もともとフック師匠の場合、トリオで漫才やってた頃から他の二人と別の意味で格差があったトコがあって、それで芸名を変更した経緯がある人だから、本当ならかなりメジャーな存在だったのに、敢えて地味な存在であり続けることに徹した人だと言ってもいいだろう。現在でも、園田競馬場に出没することがあり、実際に協賛レースも企画されているから、今回紹介する人としては、ある意味現役で、競馬を楽しんでいらっしゃる人と言って良いでしょう。
最後に、地方競馬…というよりも、園田競馬をテレビで中継してた頃の話も触れておく。実は去年、ナイター開催時にOBCが中継を入れてたんだが、その先駆として、SUN-TVで中継を行ってた時期がありました。主に、重賞が組まれている水曜日の放送でしたが、オイラが覚えている範囲では、放送作家(だったかな?)の鏡宏一がMCを務め、実況は吉田アナや竹之上アナのモノがそのまま使われました。で、途中でケツカッチン高山に変更になった後、地上波での放送が打ち切られ、CS放送での間借りを余儀なくするハメになるんだが、その原因は、兵庫県競馬組合の懐事情が、館内スタジオ(実は、スタンド内部に本格的なスタジオがある!!)の整備などに費用が回せないほど困窮してて、ぶっちゃけ、SUN-TVに放送枠確保の使用料が払えないからという、なんか切ない事情が見え隠れしてる訳である。(ちなみに、中継車両とかは、プラスミック…現在の山口シネマがSUN-TVにレンタルする形式で用意してたw)
ざっくりとではあるが、基本的に、関西のいずれの放送局も、70年代から80年代初頭あたりに、関西の芸人で、しかも無類のギャンブル好きにMCをやらせてた時代があって、のちに放送形態を、よりシンプルな形式に移行する際に、同じ競馬好きでも、好印象が持てる俳優や、ギャンブル以外での楽しみ方を知っている競馬好き芸人にシフトしていった訳である。芸人にMCをやらせる背景には、主に競馬実況アナの負担軽減と、番組進行上、レースやパドック紹介の時間の合間を繋ぐ上で、多彩な知識や芸を披露して、視聴者(リスナー)を退屈させないよう、場を保たせる役目を担ってたトコがあった。だからタマに、競馬の話題から脱線した小話が始まったり、タイトルコールでふざけるケースも多々あった。その系譜は、今でもKTVBS11での放送でよく見られる訳であり、また、グリーンチャンネルで三遊亭五九楽師匠がMCを務める番組があったりするのは、単に競馬好きな芸人だからではなく、過度に競馬以外の無駄話を番組内でやらないからこそ務まるのである。(ここを勘違いする芸人が多いから、滅多なことで競馬番組のMCを変更することがない訳で…w)