迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬と鉄道の話:駅舎編

競馬場の最寄駅には、他の駅とは違う“競馬場がある駅”故の特徴がある。例えば、JR武蔵野線船橋法典駅。ここには、中山競馬場へ向かう専用の地下通路があり、競馬開催時以外の利用ができない様になっている。(実際に中山に行った事があるならご存知かと思うが、専用改札を抜けると、直接、内馬場に入れる様になっている。)これは、開催時の混雑を少しでも緩和する為の措置であり、周辺道路の渋滞や交通事故防止の為に、中山競馬場JR東日本が協議して設置してる訳である。
以前にも解説したが、鉄火場と公共交通機関が、周辺の交通事情を改善しようと整備する事はよくある話で、その為の助成金を、主催者が鉄道会社に出資する訳である。特に鉄道会社の場合、駅舎の改築や沿線道路との立体交差等の費用を捻出するには、新型車両を導入する以上に難しい事が多い。そこで、普通の鉄道会社なら、沿線の自治体と国交省に費用の負担を呼びかけるのだが、中央競馬の場合、競馬場および関連施設の周辺整備の費用として助成する事が義務になってるトコがあって、収益の一部がそういった周辺地域の整備費用として計上される訳である。故に、中央の競馬場がある私鉄沿線は、地元自治体と協議した上で、競馬関係者やファンに対して、そして周辺住民の利便性を考慮した駅舎になる事が多い。特に、駅直結で競馬場に入場できる…という点では、小倉競馬場北九州モノレール競馬場前駅の構造は、その典型と言っていい。(詳しくはコチラ…http://ch.nicovideo.jp/strayhorse_caller/blomaga/ar531526)この駅は、競馬場と反対側に自動車運転免許の試験場と大学、陸自の小倉駐屯地、少年鑑別所を併設した医療刑務所がある。改札口は一つだが、通常は競馬場側の出入口は封鎖されている。しかし、免許の更新や通勤・通学、鑑別所での面会等で利用する人もある為、競馬場と反対側の出入口は、モノレールが運行してる限り常に開いている。この他にも、同じ理由で競馬ファン以外で当地に用事がある、あるいは周辺に住居がある駅利用者の為に、駅の構造が競馬関係者と住民という区分けの下で、出入口や改札が2カ所以上ある駅がある。ただ…競馬に特化した駅も存在していて、京王電鉄競馬場線府中競馬正門前は、路線からし東京競馬場利用者に特化した駅と言っていい。そもそもは東府中駅府中駅で充分だったハズが、競馬ファンの増加や、周辺住民のマナーレスな競馬ファンに対する苦情が多かった事を受けて、普段は利用の少ない“盲腸線”を開設した訳である。近年では、それを逆手に映画やドラマ、CMでの通勤電車のシーンや電車待ちのシーンを撮影する“定番”として活用されているから、あながち“無駄”とは言えなくなっている訳で…w

同じ理屈は、運行ダイヤにも言えてる訳だが、この話は、また次回…

京都競馬場の“池”の話w

他の競馬場と違って、馬場内に巨大な池を抱え込んでいる京都競馬場。実はこれ、人為的なモノではなく、競馬場が開設される以前から存在するのをご存知だろうか?というのも、実はこの池、元々は宇治川三日月湖(小椋池の一部?)で、その堰堤をコース状に形成したのが、今日の京都競馬場の原型であり、今でもその形状は維持されている。故に、淀川水系の河川の流水量によって、その池の貯水量が変化し、時には、コースの馬場状態にも影響を及ぼしていた。特に昔は、雨天時はただでさえ馬場がぬかるむだけでなく、池の影響で水はけが悪く、翌日晴天でも、馬場状態が回復しない…なんてのは日常茶飯事でしたw(今では、水はけが改善して、馬場への影響が少なくなったが…)
では、なんであの池を埋めようとはしなかったのか?一つは、建設当時の土木技術では、あの巨大な池を埋めるのに必要な土砂の量が見当もつかなかった事や、池の中央にある小島(通称:弁慶島)をイジると祟りに遭うなどの謂れがあった事、ほかにも近隣の田畑用の灌漑用溜池として活用したかったなどがありますが、一番の理由は、あの形状が、競馬場のコースとして造成するにはちょうど良かったのが大きいでしょう。
Wiki等の情報によると、元々この周辺は湿地帯であり、河川の合流部(宇治川・木津川・桂川)でもあるため、大小さまざまな三日月湖や沼地が点在し、その集合体の様なのが“小椋(おぐら)池”と呼ばれ、しかもそこは、ぶっちゃけ…身元不明者や身寄りのない者達の“水葬”の場(=死体遺棄の場)として使われてたといういわくがあって、そういう噂があるといって良いでしょう。しかし、京都競馬倶楽部(現在のJRAの前身の一つ)が大型の競馬場を開設しようと用地の選定をした際に、この場所だと一周1マイル(約1600m)のコースが作れる…という事で、この地に競馬場を開設した訳です。また、面白い事に、周囲から隔絶されたとされているこの池にも、実は外来生物ブルーギルミシシッピーアカミミガメ等が生息してるのが確認されているのだが、よくよく考えれば、排水のための作った水路がある以上は、河川の増水で逆流すれば、宇治川経由で琵琶湖から来たブルーギルブラックバスが迷い込んでもおかしくはないw(事実…オイラの近所にある溜池は、一部、近隣の金魚屋が管理する養魚場も兼ねてるトコがあって、大雨で増水したり、水田管理で池から水を送ると、一部の金魚が脱走して、用水路で野良状態になるw 当然、田んぼの中に迷い込めば、後日“肥料”となって美味しいお米に化けます…w)
戦後になって、とある動物商からコブハクチョウ8羽を購入してこの池に放って以降、現在、黒鳥も含めて100羽以上生息してるという白鳥だが、生息地…というか産卵場所は、なぜかあの弁慶島だったりする。ちなみに、ほぼ自然繁殖に近い状態でいるモンだから、餌やりが結構大変だそうで、しかも冬場は鴨や雁の飛来地にもなってる関係で、餌を求める水鳥が群がって、餌場に給餌できない事も…ま、そんな事もあって京都なのに“スワンステークス”が行われる背景には、この池で飼っている白鳥が由来になってる訳です。当然ながら、スタンドの一部や障害コースのバンケットの事を“ビッグスワン”というのも、ここから来てる訳で…

放送席の位置

中央競馬の放送席は、大概の場合、スタンド最上階のゴンドラ…正確にいえば、決勝審判席があるエリアの、ゴール板近くに集中して存在する。(スタンドの構造上、競馬場によって位置が若干ズレている事もあるが…)これは、実況中継を行う放送局に対し、報道機関としてJRAが用意してる関係で、競馬専門誌や一般紙(スポーツ新聞など)の記者席も、同じトコにある。ただ、新聞記者の席は他社と合同で一つの大部屋を使うのに対し、放送席は局毎に部屋が区切られている。これは、当然ながら、放送局毎に実況の方法が違う事と、他局の音声ができるだけ実況マイクに入らないにしてる加減があるのだが、まぁ…デカ声で実況するアナウンサーですから、競馬場の施設の加減や並び位置の都合で、他局の実況音声が聞こえてしまう事があるw(以前解説したかと思うが、凱旋門賞の実況音声で、藤田アナが実況してる裏で、蜂谷アナの声がうっすらと聞こえたという事例は、まさにコレw)では、実際の放送席の並びは、どうなってるのか
中央のドコの競馬場であっても、ゴール板に一番近いトコに放送席があるのは、ラジオNIKKEIである。これは、JRAの“公式実況”を請け負っている関係で、元々は、JRAの実況を専門とする職員が使う区分として割り当てられている場所である。つまり、本来であれば、ラジオ局の席は、ゴール板よりかなり離れた位置にあるハズなのに、ラジニケの場合は、その実況がそのまま場内、あるいはWINS館内に流れるため、より正確な実況が求められる事になる。その観点から、ラジニケの放送席は、他局よりも“特等席”といえる場所にある訳である。で、次に大概の場合、テレビ局の放送席になる訳だが…競馬場によっては、テレビとラジオの放送席が入れ替わってたり、ゴチャまぜになってるトコがあるw これは、競馬場がある地域の放送局の加減もあり、中継を行う放送局が少ないと、その分、座席も減る訳である。しかし、レースの格や放送局の都合で、いろいろ変動があるため、実際は無駄になってる放送ブースがある訳で、逆にその“無駄”を省いた結果、新規に競馬中継を行う際に“ブースがない”という事で、急遽、新聞記者席の一部を改装して、放送席にし直すという事態になる事もある。実は、阪神競馬場の放送席で、一番辺鄙なトコに、OBCとABCの放送席があるのだが、これはスタンド改築当初、存在しなかったトコで、90年代前半…いわゆる“オグリブーム”にあやかる様に競馬実況をやる様になった関係で、新聞記者席を挟んでゴール板より遠い位置に、席を置かざる得なくなった訳である。(ちなみに、MBSは元から新聞記者席寄りのゴール板近くに、放送ブースがある。)ついでにいえば、NHKの放送席は、原則としてテレビ局とラジオ局の間に存在するのだが、基本的にはGⅠ開催時しか中継しないんで、普段は空席状態である。但し、2年前の福島でのイベントの様に、特殊な事情がある場合、この“空室”が利用される事もある。
オイラが阪神競馬場の放送席(ラジニケとKTV)に入ったのは、今から10年以上前の話。(もちろん、イベントの一環で、業務エリア見学の抽選に当たったからなんだが…)その経験から言わせると、阪神の場合、スタンドが小さい事と指定席エリアでも馬券売り場が非常に混雑する事もあって、関係者専用の窓口が設置されている事を覚えている。(ちなみに京都競馬場には、専用窓口がないんで、競馬記者のほとんどが、馬券購入は取材のついでを装って、A指定席エリアや馬主席付近の窓口で買うw)また、なんでKTVの競馬中継にラジニケの実況アナが映り込むかと言えば、通常だと、放送ブースが隣同士になってるからである。この関係で、タマにキャプチャ画像でラジニケの実況アナが準備をやってたり、フジの中継の様子を覗き込んでるというヘンテコリンな絵面がうpされる訳であるw あ、ちなみに、各放送ブースは、テレビ・ラジオの区別なくすべて均一な部屋割りでして、ラジニケやMBSなどのラジオ局なら中継スタッフの控室的な利用ができるスペースも、テレ東やKBS京都、FNS系のテレビ局の場合、簡易のスタジオとして使うため、放送機材で部屋が凄まじく狭い。とはいえ、午後からの放送であるから、また、放送日が土曜、または日曜のみなので、休憩とかは結構融通が利くので、どうにかなる様ですが…余談だが、中継を行う事を踏まえて、テレビの場合は、カメラや照明機材、マイク以外のセットは、そのままにしてある。つまり、番組改編などでデザインが変更になるまでは、ほぼそのままである。(放送機材は、中継の度に大型中継車に積んで、1R開始前までにスタンドに運ばれ、最終R終了まで、撤収作業をしない訳である。) 対して、ラジオの場合は、開催中なら機材は丸ごと、放送ブース内に置きっ放しである。故に、開催前日に回線チェックを兼ねた設営が行われ、最終日で、しかも開催が別の場所で行われる場合は、放送終了後に撤収を行う訳である。


競馬を愛する語り部達…vol.26 途上の後継者・竹之上次男

久々に園田競馬ですw 今回は吉田アナの正当な後継者、竹之上アナの話。彼自身、実は最初から競馬実況に携わっていた訳ではありません。しかし、あるきっかけからこの道を選んだのです。彼が兵庫県競馬組合主催の競馬場で実況を始めたのは何故か…ともかく、今ではJRA交流重賞での実況を中心に、吉田アナの“名代”として活躍している話をやっていきましょう。
競馬実況アナとしてデビューする以前は、不動産仲介業の端くれだったという…ま、いわゆるバブル景気の終末期だった事もあり、そこそこの収入が保障された状況だったが、ぶっちゃけ、後々の不況時代が予期されて、将来に不安を抱えていた。だから、社畜として残る事よりも、自分が一番好きな事を、仕事にしたいと考えた。そこで、当時のラジオたんぱ(現:ラジオNIKKEI)がやっていたレース実況アナ養成講座に通う事になった。ここで、基本的な事を、今は亡き広瀬アナから学ぶ事になり、競馬実況アナを“自分の天職”として選ぶ事になる。しかし、なんで競馬実況アナという職業を選んだか?そのきっかけは、やはり前の職場で同僚と一緒に行った競馬に魅了された事が大きい。しかも、初めて行った競馬場が、園田競馬場だったのが全ての始りとなる…まさかここが、今の自分が実況するメインの競馬場になるとは、この時は思いも拠らなかった。当然、この時代は吉田アナがほぼ全レースを実況してた時代であり、もちろん、明確な後継者がいない時代である。
競馬実況アナとしての訓練を修了し、いよいよプロとして転職の準備をはじめたが、公営ギャンブルも、不況の煽りで廃止が相次ぎ出していた。競馬のみならず、競輪やボートも例外ではなく、そんな簡単に、実況アナの仕事が来る事はなかった…しかし、どうしても競馬実況の仕事がしたい。そんな一途さに、広瀬アナは応えてやろうと、吉田アナに頭を下げた。実は、吉田アナ自身も、将来に対する不安があった…以前、吉田アナの話をした際に解説したが、吉田アナは視神経の障害で右目の視力を失っていた。しかも、左目もいつ、失明するかわからないと医師から宣告を受けていた。いつまでも園田の実況席にいられるとは限らない…もちろん、本当に後継者がいなかったという訳ではない…が、古くからのファンに支持された吉田アナから、突然及川サトルアナにスイッチする事は、当時の状況では不可能だった。(及川アナは当時、大井競馬場をメインに、南関の競馬場で実況してた。今でこそ金沢競馬場がメインだが…w)及川アナに関しては、いずれキチンと紹介するが、デビュー前は、吉田アナの下で修業を積んでいた。が、園田で実況したという話は、オイラは聞いた事がない。
広瀬アナの紹介を受け、吉田アナの下へ赴く事になったのは良いが、最初は午前中の1レースのみとか、あくまで“実習生”的な扱いで活躍の場が限られていた。だけど、吉田アナ自身が体力的に無理ができなくなっていた事もあって、次第に、仕事の量を増やしてやる様になると、メキメキと頭角を現す様になる。吉田アナの播州弁で捲し立てる様なスタイルとは真逆の、レースの流れに素直に、そして冷静に、丁寧に実況するスタイルは、広瀬アナのスタイルを踏襲している部分である。が、それが園田のファンに受け入れられる様になったのは、吉田アナ自身が、イベントの司会等を竹之上アナ自身に任せる様になった事が一番大きい。それもそのはず、吉田アナの考えとしては、園田の実況に固定する事よりも、いろんな仕事…特にイベントのMCを数多くこなす事で声を覚えてもらい、それをきっかけに園田へ足を運んでもらい、そのファン向けに竹之上アナに実況をさせる…という流れを作って行く事で、万が一、兵庫県競馬組合が廃止・解散となった時に、他の公営競技のイベントに使ってもらえる様に仕向けた訳である。この考えがハマったからこそ、吉田アナは次第に、竹之上アナを自身の“正当な後継者”として認め、できるだけ多くの仕事を回す様になった訳である。(とはいえ、今でも竹之上アナがMCを行うイベントには、その観客席後方で様子を伺う吉田アナの姿があるんだがw)そして、2008年…園田競馬場JBCが開催される事になった際、そのメイン2レースを、吉田アナは竹之上アナに任せた事によって、事実上の“主役”として格上げされる事になる。あれから6年…今では佐賀競馬等で実況をやっていた三宅きみひとアナが“後輩”として園田での実況陣に加わり、吉田アナの活躍する場面は減ったが、その“名代”として、竹之上アナはマイクの前に座る。目指すべき頂は遠くても、いつか“園田の名物アナ”として語られるべき存在になるために…

(2018年4月23日追記)
そして、2017年の大晦日ラジオNIKKEIでの競馬特番で、まるで“師匠への恩返し”と言わんがばかりに、第二放送(関西主場)での中継分において、主に午前中の進行役として、競馬中継に登場することが告知され、京都金杯の中継から、全国の競馬ファンの耳に声を轟かせる事となった。流石に実況こそ“畑違い”なこともあって、現時点ではやらないだろうが、今年、京都競馬場JBCが開催されることを踏まえると、現地限定での実況を任される可能性もある…10年前(2008年)の経験が、まさかここで生きる事になるとは、露にも思わなかっただろうが、もしも実況となれば、地方と中央でJBCを実況するという“快挙”が待ってる事となる。さて…その結末は、開催日まで待つとしよう。

さて、競馬を離れた部分で話をすると、かなりのプロレスマニアで、毎年、全日本プロレスが協賛レースをやってくれるモンだから、今年は特設リングを競馬場内のステージエリアに設置し、マジでプロ相手に取っ組み合いをやった様ですw(詳しくはこちら…http://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/201407120001/)格闘技好きが高じて相撲も好きなモンだから、相撲開催時は常にワクテカw さて、9月場所から豪栄道大関に昇進する事となり、おそらく来年の大阪場所は仕事の合間を縫って、通い詰める事になる可能性が…w



“ヲタク嫌い”の正体…

前回のネタと若干被るが、今回は、某深夜番組の内容について、多くのヲタ達が反論をSNS上で罵ってる事について…何でも、アニメを見たから犯罪が…とか、アニメは子供の見るモノだろとか、相当無茶苦茶な事を出演者が番組内で言ってた様だが、大概、こんな事言ってる連中なんぞ、かつて“若者文化”というモノに対してイチャモン付けられた挙げ句、潰された“被害者”であり、それが今の自由奔放な若者を見て羨ましいあまりに難癖付けてる“愚か者”である。そう、あそこでヲタをバカにした人達もまた、20代の頃にやった事が、当時の“保護者世代”に批判され、かつてのファンにまで見放された、哀れな人達でしかない。

ヲタク嫌いの殆どは、見た目や生活感がとても健全とは思えないトコを嫌ってる訳であり、また、あまりにもマニアックな事ばかり自慢するのが、非常に“キモい”と思うからである。が、ちょっと考え方を変えると、俗にいう“専門家”という連中は、自分の得意分野に関しては非常に詳しい反面、俗世間…というか、一般常識に関する部分は、ドコか抜けてるトコがある。逆を言えば、一般常識に疎くても、人生には何の影響もないって事だ。ただ…肝心な事を一言でいえば、世間に多大な迷惑をかける存在が“全員”ヲタクという訳ではない。寧ろ、自分の世界に没頭できる程の趣味を持っていない人の方が、そういうヲタクを羨むあまりに僻んで罵るから、一部の人間が“オマエこそ何様だよ!!”ってなる訳であり、また、実際に犯罪をする人の殆どが、人間関係に“疲れ”て自暴自棄になってるだけである。もっと言えば、犯罪者となる“原因”は様々であって、無関心と偏見は、いかなる差別の根源であり、また、勝手に犯人像を作り上げて騒ぐ様な人程、自分自身も“同類”だって事に気付かない“愚か者”である。

話が脱線したついでに言っておくが、今の子育て世代は、アニメを見て育った世代であり、そういうアニヲタを嫌う世代は、実は自分達が仕事に没頭し過ぎて、子育てをテレビに押し付けた世代である事に気付かない人が多い。つまり、アニヲタを産んだのは、自分達だという自覚そのものがないから、平気でアニヲタを叩くのである。そう、自分達の“責任”であるにもかかわらず、それをまるで“他人事”として叩いてる姿は、滑稽を通り超えて哀れでしかない。“鋼の錬金術師”の終盤で、エンヴィーが主人公のエドワードに諭されて、自らにとどめを刺した様に、他人…しかも自分よりも若い世代の、自由で生き生きとしたヲタ活動が羨ましく、そして自分の世代で恥を掻いた事が悔しくて、故に大人ぶってバカにするのであれば、それは自分自身が目の前の若者以上に“幼い”事を意味する。ぶっちゃけ、岩ちゃんやせんとくんのアニヲタぶりや、泉タソやヲタナベ局次長のアイドルヲタは、正直キモいw が、若者文化を“理解する”という概念でやっているのであれば、寧ろこっちの方が“大人”である…かまやつひろしが自分よりも若い…しかも既に孫世代に該当する様なアーティスト相手に、一緒にバンド組もうぜと呼びかけたり、夏場のロックフェス等に参加するのもまた然りで、常に若者とともに行動する大御所こそ、本物の“大人”であり、そして偉大なる“指導者”の片鱗である。逆に、肩書きや歴戦の成果で満足する者は本物に非ず…過去に囚われ、今現代を生きようとせずに縋る姿は、若い世代にとっても、そして同年代の活動家に対しても非常に迷惑この上ない存在である。それこそ本当に“幼いガキ”以下の存在でしかない。ぶっちゃけ、ヲタクが憎いのではなく、単に自分がその場にいない事に対して僻んでるだけだ。羨ましいのであれば、バカにされても良いから、その世界に飛び込めば良い…そこから、自分の世界観が一変する、大きなきっかけが生まれるのだから。

 

24時間100kmマラソンで苦言するのは“何様”だ?

テレビを全然見てなくて、Twitterでの実況ハッシュタグのタイムラインで結果を知ったのだが、今年は放送時間内に、ランナー完走という結果だった様である。ま、走ったのがTOKIOの城島だから、ある意味余裕…っちゃ余裕な結果だろうとは思うがw しかし、毎年の事ながら、この24時間テレビにおける“マラソンチャレンジ”に関して、いろいろとブーイングを書く記事が目立つが、根幹的な事を言えば、“事の初め”を質した上で書いてるのかと疑いたくなるし、まして、炎天下で100kmを、しかも、管轄警察による交通規制なしで走れとなれば、どれだけ“難しい”かを知らない人が多すぎる。ぶっちゃけ、ALSアイスバケットチャレンジと一緒で、目的はあくまで番組内での募金参加への呼びかけと、それに付随して、身障者や被災者の支援を呼びかける事であって、その為の“活動”にイチャモン付けるのであれば、それに似合うだけの代替の“活動”を自らが責任を持って行うのがスジである。そんな事もせずに、単に批判するのであれば、最初から見なきゃ良いだけの話だ。

で、ここからが本題…そもそも、24時間テレビで“ウルトラマラソン”が定番化したのはいつからか、覚えてる人はいるだろうか?そもそもは、番組が20回目の節目を迎え、リニューアル企画を打ち上げた事から始まる訳であり、現在のテーマソング“サライ”も、この時に誕生した楽曲である。以前の“愛はマジック”等のテーマサウンドを一切排し、完全に番組を作り替える必要があったからこその話であり、その一環として、身障者のチャレンジ企画だけでなく、著名人…芸能人のチャレンジ企画も放送していこうという事が、全ての発端な訳であり、そこで吉本興業が一つの提案をやった事から始まっている訳である。そう、ここで気付いた人は、相当なベヴィ視聴者であり、事の次第を見届けてきたからこそ言える話である…この“24時間100kmマラソン”の事の始まりは、間寛平の“スパルタスロンチャレンジ”の一環として、番組で取り上げた事が“全ての間違い”であると言って良い訳である。

当時、ギリシャで行われていた“鉄人マラソンレース”に参加し、完走を目指してた事もあって、その“追い切り”も兼ねた企画として、24時間テレビの中で、およそ200km先から、メイン会場の日本武道館を目指すという“無謀な挑戦”を提案し、実行に移したのが、今から17年程前の話。その時は、沿線での野次馬が進路を妨害するケースが後を絶たなくて、あえなく“リタイヤ”となった訳だが、その後、300kmにチャレンジする際に、事故防止の観点から走行コースを公開しなかった事が、イチャモンの原因になってる訳であり、他の芸能人が100kmマラソンに挑戦する際も、敢てコースを公表しないのも、そういう事があってこその話である。まして、実行時の天候によっては、マラソン…というよりも、野外での活動は差し控えるべき状況下で走らなきゃならんのに、そこで“インチキ”だとか、“ヤラセ”だとか言い始めたら、それこそ昔の体育会系にある“運動時は一切休憩するな”を本気でやって、しかも放送中に熱中症で死亡しても、それで視聴者は“満足か?”って話になる。言っとくけど、競技での100kmウルトラレースの場合と、ジョギングの延長線上の100kmランニングとでは、ルールも意味合いも全然違う。

具体的な話をするなら、薫兄なら12時間程あれば100km走れるけど、それはサロマ湖100kmウルトラマラソンの様に、コースに交通規制を掛けて、しかも適度に給水やエネルギー補給、靴の履き替え等に必要なスポットが整備された上での話であり、同じ条件で三代澤アナが挑戦しても、彼の場合はいつも、70km付近で“タイムアイト”となる…つまり、同じ条件でも、元々の体力、持久力の差で完走できるかどうかのギリギリで設定されたレースで走るのと、同じ距離であっても、休憩施設の有無や実行時の天候、さらにコースの形状や高低差が違えば、走破タイムにも影響が出る。競馬でも、同じ1600m戦で、芝とダート、右回りと左回り、良馬場と重馬場、性別と斤量等の条件の違いで結果が変わる様に、同じマラソンでも、参加者の体力や経験値等の違いによって、得手不得手なコースや条件になる事もある。よく、ホノルルマラソンは“初心者向き”と言われるが、アレは、元々が呼吸器系・循環器系の疾患を持ってる人達のリハビリ目的で始まったレースであって、完走する事が目的であって、タイムアタックのレースではないからである。故に、公式の給水ポイントが3km毎にあり、更に沿線住民や企業のサポートがそこかしこにある為、実質は500m〜1km毎に何らかのサポートが受けられる体制になってるからこその話であり、時間制限もある意味ない訳であるからこそ、“参加しやすい市民マラソン”として定着した訳である。(ちなみに、アメリカの三大市民マラソンのうち、日本人の出走エントリー数が最も多いのも特徴w)

つまり、レース(大会)じゃないから、大規模な道路封鎖を含めた交通規制を掛けられない上に、マナーレスな視聴者によるランナー(参加者)に対する走行妨害をいかに減らすか、そこを重点において考えれば、周辺地域での様々な“仕掛け”は何の為にやっているのか、マラソン大会に参加した事がない者であっても察しがつく。それを“ヤラセ”と批判するなら、自分が実際に“普段の道”をジョギングすれば良いだろう。オイラの近所は観光地であるが故に、実際に5kmジョギングしようと思うと、時間帯によっては“走りにくい”条件になる事がある。また、都会の幹線道路なら歩道がある分、安全にジョグングができるだろうけど、歩道のない、対面通行の道路をジョギングしようモノならば、どれだけ危険か…そういった事も知らずに批判するのであれば、一度、練習なしで、市民マラソンや2〜3km程度のファンランに参加すれば良い。そしてその後、自宅の前の道路をジョギングしてみれば、今オイラが言った事がわかると思う。何もせずにほざくのは勝手だが、経験がある人は、こんなしょうもないイチャモンは言わない…寧ろ、やらないヤツの方が愚かだと見下すだけだ。

アイヌ民族問題は、部落差別と同じです…

ここんトコ、北海道議の“発言”が問題になっている…いわゆる“アイヌはいない”というヤツ。一応、日本史を学ぶ上でアイヌ語をかじった身として、そもそも論を言えば、アイヌ“民族”という概念が生まれたのは戦後の話であり、それ以前…特に明治政府が誕生する前は、松前藩以外の本土人が北海道で交易する事はなかった訳であり、それ以前として、北海道以外にも“アイヌ”と称する存在は、東北にもいた訳であり、その名残は主に、秋田や山形の集落の地名に存在する。もっと言えば、松前藩の策略と明治政府の要人が、北海道の先住民…特に平取(びらどり)や浦河の人々を侮蔑し、彼らの生活圏を“開拓”の名の下に奪っていった歴史がある。この件に関しては、オイラが尊敬してたエカシ(長老)、今は亡き萱野茂氏が私財を抛って“アイヌ”の民族文化を取りまとめた資料館にデータが残ってて、なおかつ、大阪・万博公園にある国立民族学博物館にある資料は、そのほとんどが萱野氏が提供した物である。そこで解析すると、同じ“アイヌ”とまとめられた民族には、それこそ、北海道中にいくつもの“王国”を作り、それが切磋琢磨しながら独自の交流を行う事で、様々な生活様式を作り上げていた事が窺い知れる。しかし、残念ながら、オイラが理解できる範囲での“アイヌ”は、日高地方のみであって、他の地域の“アイヌ”に関しては、道民でないからわからんw

まして、同じ“アイヌ語”と言っても、日高の“アイヌ語”と他の“アイヌ語”では、意味がかわってしまう事もしばしばあり、また、一般的な“アイヌ語”も、多くの場合は胆振・日高・十勝の集落で使われたモノであって、本来であれば、北方領土南樺太の言語もあったのに、集約できたのはそこだけという事実がある。これを金田一京介が日本語(標準語)訳しようと必死になった訳であり、これがそもそもの“利権”の発端と言っていい部分だったりする。実は、アイヌと本土(日本)人との交渉役に“シサㇺ”という役人がいた訳だが…これが自分達のやりたい放題やった事が“原因”で、本格的な交流を阻んだだけでなく、アイヌに対する“誤解”や“偏見”を招く事になる訳である。

ちなみに“アイヌ”という言葉自身、本来の意味は“人間”を指す言葉であり、森羅万象を“神(カムイ)”と崇めた事から、“カムイイタㇰ(神託)”と“アイヌイタㇰ(人語)”という風に分けた。んで、狭義としての“アイヌ”とは、尊敬する者…家族でいえば父親であり、集落でいえば長老であり、そして会社でいえば社長…といった具合である。(正確には、“アコㇿアイヌ”と言えば、“尊敬できる先生”という意味になる。)また、平取のブランドトマト“ニシパの恋人”の“ニシパ”ってのは、狭義としては旦那を意味し、広義では男性諸氏全般を指す“おだて言葉”だったりするw(余談だが、あそこのトマトジュースは、オイラでも飲める程青臭さが少なくて美味い…)

つまり、交渉役の連中が、相手を見下した挙げ句、民衆の総意を無視して利権を要求し過ぎた事が、結果としていらん差別が生まれる構造は、日本における部落差別の典型的な図式と一緒であり、宗教に関する誤解や偏見と、全く一緒と言って良い。もっと言えば、今の日中・日韓関係と一緒で、自分達を“優位”な立場に置いて交渉してる様に民衆に“見せる”事によって支配する様に、それによる誤解や偏見で、後々問題が拗れても“向こうが悪い”と子供時代から教え込む事で、正しい事を“正しい”と認識させようと頑張っている歴史学者やその支援者を“悪者”に仕立てた…この図式は、今も昔も変わらない訳です。だって、それによって築いた“自分の地位”を、真の“正義”によって破壊されたくないですからねw だからこそ、身近な“差別”に対して目を逸らさずに、きちんとその本質を学び、指摘する事も必要なのです。ただ…だからといって全て“向こうが悪い”と罵る事自体、それは一番の間違い。双方“悪い”事をしてる自覚を持つ事こそが肝心であって、自分が少しでも相手よりも“身分が上”だと声高に叫ぶのは、お門違いも甚だしい話。イスラエルハマスの問題にしろ、ロシアとウクライナの件にしろ、根幹は全く“一緒”です。