迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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競馬を愛する語り部達…vol.26 途上の後継者・竹之上次男

久々に園田競馬ですw 今回は吉田アナの正当な後継者、竹之上アナの話。彼自身、実は最初から競馬実況に携わっていた訳ではありません。しかし、あるきっかけからこの道を選んだのです。彼が兵庫県競馬組合主催の競馬場で実況を始めたのは何故か…ともかく、今ではJRA交流重賞での実況を中心に、吉田アナの“名代”として活躍している話をやっていきましょう。
競馬実況アナとしてデビューする以前は、不動産仲介業の端くれだったという…ま、いわゆるバブル景気の終末期だった事もあり、そこそこの収入が保障された状況だったが、ぶっちゃけ、後々の不況時代が予期されて、将来に不安を抱えていた。だから、社畜として残る事よりも、自分が一番好きな事を、仕事にしたいと考えた。そこで、当時のラジオたんぱ(現:ラジオNIKKEI)がやっていたレース実況アナ養成講座に通う事になった。ここで、基本的な事を、今は亡き広瀬アナから学ぶ事になり、競馬実況アナを“自分の天職”として選ぶ事になる。しかし、なんで競馬実況アナという職業を選んだか?そのきっかけは、やはり前の職場で同僚と一緒に行った競馬に魅了された事が大きい。しかも、初めて行った競馬場が、園田競馬場だったのが全ての始りとなる…まさかここが、今の自分が実況するメインの競馬場になるとは、この時は思いも拠らなかった。当然、この時代は吉田アナがほぼ全レースを実況してた時代であり、もちろん、明確な後継者がいない時代である。
競馬実況アナとしての訓練を修了し、いよいよプロとして転職の準備をはじめたが、公営ギャンブルも、不況の煽りで廃止が相次ぎ出していた。競馬のみならず、競輪やボートも例外ではなく、そんな簡単に、実況アナの仕事が来る事はなかった…しかし、どうしても競馬実況の仕事がしたい。そんな一途さに、広瀬アナは応えてやろうと、吉田アナに頭を下げた。実は、吉田アナ自身も、将来に対する不安があった…以前、吉田アナの話をした際に解説したが、吉田アナは視神経の障害で右目の視力を失っていた。しかも、左目もいつ、失明するかわからないと医師から宣告を受けていた。いつまでも園田の実況席にいられるとは限らない…もちろん、本当に後継者がいなかったという訳ではない…が、古くからのファンに支持された吉田アナから、突然及川サトルアナにスイッチする事は、当時の状況では不可能だった。(及川アナは当時、大井競馬場をメインに、南関の競馬場で実況してた。今でこそ金沢競馬場がメインだが…w)及川アナに関しては、いずれキチンと紹介するが、デビュー前は、吉田アナの下で修業を積んでいた。が、園田で実況したという話は、オイラは聞いた事がない。
広瀬アナの紹介を受け、吉田アナの下へ赴く事になったのは良いが、最初は午前中の1レースのみとか、あくまで“実習生”的な扱いで活躍の場が限られていた。だけど、吉田アナ自身が体力的に無理ができなくなっていた事もあって、次第に、仕事の量を増やしてやる様になると、メキメキと頭角を現す様になる。吉田アナの播州弁で捲し立てる様なスタイルとは真逆の、レースの流れに素直に、そして冷静に、丁寧に実況するスタイルは、広瀬アナのスタイルを踏襲している部分である。が、それが園田のファンに受け入れられる様になったのは、吉田アナ自身が、イベントの司会等を竹之上アナ自身に任せる様になった事が一番大きい。それもそのはず、吉田アナの考えとしては、園田の実況に固定する事よりも、いろんな仕事…特にイベントのMCを数多くこなす事で声を覚えてもらい、それをきっかけに園田へ足を運んでもらい、そのファン向けに竹之上アナに実況をさせる…という流れを作って行く事で、万が一、兵庫県競馬組合が廃止・解散となった時に、他の公営競技のイベントに使ってもらえる様に仕向けた訳である。この考えがハマったからこそ、吉田アナは次第に、竹之上アナを自身の“正当な後継者”として認め、できるだけ多くの仕事を回す様になった訳である。(とはいえ、今でも竹之上アナがMCを行うイベントには、その観客席後方で様子を伺う吉田アナの姿があるんだがw)そして、2008年…園田競馬場JBCが開催される事になった際、そのメイン2レースを、吉田アナは竹之上アナに任せた事によって、事実上の“主役”として格上げされる事になる。あれから6年…今では佐賀競馬等で実況をやっていた三宅きみひとアナが“後輩”として園田での実況陣に加わり、吉田アナの活躍する場面は減ったが、その“名代”として、竹之上アナはマイクの前に座る。目指すべき頂は遠くても、いつか“園田の名物アナ”として語られるべき存在になるために…

(2018年4月23日追記)
そして、2017年の大晦日ラジオNIKKEIでの競馬特番で、まるで“師匠への恩返し”と言わんがばかりに、第二放送(関西主場)での中継分において、主に午前中の進行役として、競馬中継に登場することが告知され、京都金杯の中継から、全国の競馬ファンの耳に声を轟かせる事となった。流石に実況こそ“畑違い”なこともあって、現時点ではやらないだろうが、今年、京都競馬場JBCが開催されることを踏まえると、現地限定での実況を任される可能性もある…10年前(2008年)の経験が、まさかここで生きる事になるとは、露にも思わなかっただろうが、もしも実況となれば、地方と中央でJBCを実況するという“快挙”が待ってる事となる。さて…その結末は、開催日まで待つとしよう。

さて、競馬を離れた部分で話をすると、かなりのプロレスマニアで、毎年、全日本プロレスが協賛レースをやってくれるモンだから、今年は特設リングを競馬場内のステージエリアに設置し、マジでプロ相手に取っ組み合いをやった様ですw(詳しくはこちら…http://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/201407120001/)格闘技好きが高じて相撲も好きなモンだから、相撲開催時は常にワクテカw さて、9月場所から豪栄道大関に昇進する事となり、おそらく来年の大阪場所は仕事の合間を縫って、通い詰める事になる可能性が…w