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迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第3話。

「それでなくても、2日前に、ファンタジアの時空に異変が起きて、その修正のために我々が奔走したってのに、何考えているんですか?」

そう口走ったのは、リッキー隊に所属するミゼット=コットン…元々、別部隊にいたのに、ビスタ達が気になって関わるうちに、いつしか騎士団員の一人として、リッキー隊に籍を置く事になったのだが、事ある毎に他の世界への派遣に対し、最後まで反対した。しかし、ビスタが時の柱に残る事を提案したことで、渋々、了承した経緯がある。それゆえに、国柱であるビスタに対して、辛辣なまでのツッコミを入れるようになった。

「いや…それは…」

と、ビスタが言い訳をしようとした途端、円卓の間に勢い良くドアが開く音が響いた。

「おっと、お取込み中だったか?これは失礼…」

と、入口前に一人の男が姿を現した。ティルタニア騎士団以外の者が、円卓の間に立ち入ることは、国軍規定により禁じられていた…が、件の男は、少し様子が違っていた。同じティルタニアの民であるにも関わらず、その服装は完全に場違いな…海神マリノスが率いるヤマタイカのリーフェ帝国軍の制服をまとっていた。

「アスター中将、何か御用ですか?」

「いやなに、皇子からの遣いとして謁見を…と思ったんだが、どうもその様子からして、ビスタの機嫌が悪いようだな。」

アスター中将…かつて“ティルタニアの賢武”と称されたプレセア=アスターは、古くからの知人で親友だったヤマタイカ御柱、アスカ=マリノスとの義に応えるためにティルタニアを離れ、現在はヤマタイカの東宮隊総大将となった。“皇子”とは、御柱となる以前のアスカのことで、唯一、プレセアだけ使うことが許された、アスカに対する愛称である。“中将”とは、かつてプレセアがティルタニア国軍の精鋭部隊を指揮していた頃の肩書であり、ティルタニアを離れた今でも、事情を知る一部の関係者が使っている呼び名である。

「プレセア先輩、僕…」

「何も言わなくても、顔に書いているからわかるさ。国神農園の事が気になるんだろ?」

「アスター中将!!」

「君たちが苦労してるのもわかるさ…でもね、この3年もの間、ビスタは体調が優れなかった事もあって、できるだけティルタニアの中心で時空を支えてたけど、それが何を意味してるか、君たち自身、わかってるよね?」

プレセアのその一言を聞いて、その場にいた者たちは、何かに気づいた。

「ビスタはティルタニアの国柱である以上に、マム・アースの片隅で、忘れ去られた故郷をなんとかしようと、必死に戦っていた人との約束を守れない事が心苦しいんだよ?その代理として、君たちが出入りしてるだけであって、本来であれば、ビスタ自身が、あの場所の当主としていなきゃいけなかった…でもそうすれば、ティルタニアが支えている時空の理が乱れるから、仕方なしにマム・アースとティルタニアを結界によって分離する措置を執ったんだ。わかるか?ビスタにとって、どっちの選択肢も不幸でしかない…だけどそれゆえに君たちがいるんだろ?だったら、君たち自身、何をすべきなんだ?一見すれば、ビスタ自身の我儘だけど、どっちを優先すべきかを考えた時、ビスタは国柱としての責任の方を取った…だったら、君たちがすべきことって、単にビスタの護衛ではなく、その名代として、動くこともできるじゃないか。」

「プレセア先輩、すいません…僕、やはり…」

「気にするな、ビスタ…いや、ティルタニアの長、クロノスよ。出しゃばった真似をするのは、異国の使徒がすべき行為ではない…なに、ヤマタイカ御柱の名代の戯言です。」

恐縮するビスタを庇う様に、プレセアは応えた。

「まったく…中将に言われたら、返す言葉もないっすね。」

ランティス隊のカルタス=マッキンリーが笑みを浮かべながら声をかけると、緊迫した空気が、一瞬にして穏やかになった。

 

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第2話。

ーここは、一般的に“人間界”と称する通常の世界とは違う、あらゆる世界の時空の流れを監視する龍神と、その使徒が住まう世界…通称、ティルタニアと呼ばれる世界。その中心にある居城は、クロノパレスと呼ばれている。このクロノパレスにある玉座には、少々、お節介焼きな龍神、ビスタ=クロノスがいる。ビスタは、このティルタニアを統べる国柱であると同時に、時空を司る龍神としての力を持っている。いわば、ティルタニアという世界そのものを支配すると同時に、すべての世界で、正しく時を刻むために、その流れを監視し、時として、その異変に対して判断を下す使命を帯びた存在なのである。その彼の下に集いし精鋭部隊こそ、ティルタニア国軍近衛騎士団…通称、ティルタニア騎士団である。件の二人…シーマとヴェルファイアも、そこに在籍する兵士なのである。

「ワグナー隊のサンライズ曹長、およびビショップ隊士、ただいま帰還しました。」

「ご苦労さん。さっそくで悪いが、全員、円卓の間に集合する通達が出てる。お前たちも、今すぐ向かってくれ。」

「ワグナー隊長、何かあったのですか?」

「いやな、また、クロノス様が持ち場を離れて、マム・アースに向かうってうるさいんだよ…」

ヴェルファイアとシーマの上司であるエスクードは、溜め息混じりにそう答えた。

「懲りてないというか、よっぽど世話好きなのか…まったく、俺らが定期的に駐屯することで、マム・アースの時空を保っているってのに…国柱としての自覚、あるのかよ、あのボンクラは。」

「ヴェル先輩、仕方ないっすよ。元々、クロノス様自身、その素性を隠したまま、最前線で活動していた事もあって、玉座でじっとしてるのが、性に合わない人ですから。」

「あのなぁ…」

「ヴェル、そういう愚癡は、本人には言うなよ。オレ達が今でもお咎めナシで、騎士団にいられるのは、クロノス様と、モーザ隊の連中による恩情あってこそなんだぞ。」

「いや、わかってますって、隊長…それにしても、あれからもう3年か。アス…じゃなかった、渉とシンのヤツ、元気にしてっかなぁ。」

円卓の間へ向かう途中、ふと、ヴェルファイアは、とある二人の兄弟…っと言っても、実際の血縁関係ではないが、ある事件がきっかけで、事実上、ティルタニアからの永久追放処分が下った同僚達の事を想った。彼らは今、マム・アースにある都会の片隅で、普通の人間として生活を送っている。

 

「どうやら、全員が揃ったな…と言っても、シンの部隊は欠席のままだが。」

円卓の間には、騎士団に所属する精鋭部隊の面々が、顔を揃えていた。数あるティルタニア国軍の中で、たった4部隊にのみ、“騎士団”の名を使う事が許されていた。中でもランティス隊は、かつてビスタが隊長を務めていたモーザ隊…クロノスとしての素性が明らかになる以前は、国軍の中でも“愚連部隊”とバカにされた存在であった。しかし、 ビスタが国柱としての力に開眼し、ティルタニア全土で起きた騒乱を鎮めた途端に、クロノス直属の近衛部隊へと昇格したのである。そしてビスタの補佐官だったナージュ=ランティスが隊長として、部隊を引き継いだのである。もう一つの部隊、リッキー隊は、当初、モーザ隊の監視役を命ぜられた存在だったが、ビスタの素性を知って以降、モーザ隊に協力する様になり、いつしかランティス隊、ワグナー隊と同列で取り扱われる様になっていた。そして…唯一、騎士団内で名前だけの存在なのが、セフィーロ隊。とある事件でティルタニアから追放された身分でありながら、他の精鋭達から席を残す様ビスタに進言した事によって、形式上、騎士団の一部として残された存在である。

「全員に集まってもらったのは他でもない、今のティルタニアは、稀に見る平穏な状態である。そして、それは我が国軍総員と、名もなき民衆一人ひとりが、互いに手を取り合って、今日の平和を維持しているからである。」

「御託はいいよ、ナージュ。」

「ビスタ、ちっとは時空の龍神として、自覚持てよ…お前がそういう態度だから、いつまで経っても不安定な状態の世界ができるんだぞ?」

「僕としては、国柱とか、龍神だとか…そういう固っ苦しい肩書きがない方が、もっと気楽に動けていいんだけど…」

「ビスタ!!だからお前は…」

「ナージュ先輩、話が進みませんよ。クロノス様はいつでも、長としてではなく、一人の人間として、みんなと対等に話をしたい人ですから。」

「…ともかく、僕としては、久々にマム・アースに行きたいんだけど、その間、ここが留守になってしまうからって、ナージュが煩いんだ。」

「当たり前だろ!!お前が玉座にいないと、ティルタニアで不穏な動きがあったら…」

“…またかよ。”

ヴェルファイアは、ビスタ達のやりとりを見ておもわず顔を伏せた。その様子を、エスクード=ワグナーは見逃さなかった。

「気持ちはわかりますが、クロノス様、すべての世界に流れる時空を管理されている事を、よもやお忘れになって…」

エスクードがそう切り出すと、今度はビスタ自身が暗い顔をした。

「わかってるんだけど…でも、僕にとって、あの場所は、今の僕になるための原点。だから、タマに帰りたいんだ。この角さえなければ…」

そう呟きながら、ビスタは耳の後ろから天に向かって生えている、一対の角に手を当てた。その角は、クロノスが時空の龍神であることの証であり、どんなに人間の姿を模したとしても、完全に隠す事ができない、唯一の欠点でもあった。素性を隠していた頃は、ターバンの様な布を頭に巻いて隠してたのだが、結局、時空を統べる力自体を封じ切れずに姿を現してからは、クロノパレルより外に出る機会が減った…そう、ティルタニアの長であるという事は、時空の龍神としてすべての世界を監視するために、常にクロノパレスにある、“時の柱”の前で留まらなければならない宿命を背負う事を指していたからである。

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第1話。

繁栄ある都市がある一方で、食の根幹となる農村や漁村は、衰亡の一方で、多くは集落としての機能すら失っていた。そんな限界集落の中で、ある農園が注目を集めていた。それは、地方都市の希望であり、食糧危機が叫ばれた世界を救う、一筋の光として持て囃され、いつしか“地球の未来像”として注目されるようになった。多くの人々は、ここを訪れる度に、その完璧さに驚かされ、そして、考えさせられた。それもそのはず、ここは数年前まで、耕作放棄地と廃墟しかない、荒れ果てた集落の跡地だったからである。

農園の名は、国神農園…数年前まで、その存在すらなかったここは、広大な農地を有してる訳でも、近隣の農家と提携してる訳でもないのに、いつでも新鮮な野菜や果物と、それを使った加工品が充実していた。また、観光牧場も兼ねていることもあり、乳製品や加工肉などの畜産物の品揃えもある。しかし、周囲に提携酪農場がある訳でもないのに、ここまでの充実ぶりに、疑問を抱かない人はいない…だが、それはここが、あまりにも特殊な事情があったからである。そう、一見すると限界集落内にあるしがない農場でも、そこに従事する人々自身が、普通の人間ではなかったからである。この物語は、そんな彼ら…ティルタニア騎士団に属する精鋭達の、ひょんなことから始めた、人間界での日常話である。

 

「ふぅ…今日も完売っと。」

空っぽになった直売所の商品棚を見ながら、あどけない顔したエプロン姿の青年は、ため息をついて手にした竹の棒を、くるっと反転させた。すると、下にした先が箒に変化した。その様子を見ていた、体格のいいスキンヘッドの同僚が、

「まったく…今は客人がいないからいいけど、錬成術は極力使うなって言っただろ?」

と、後輩の行動にしかめっ面をして指摘した。

「でも、早く片付けないと…今日は交代要員との引き継ぎの日ですよ。」

「まだ、時間があるだろ?」

「ヴェル先輩、何言ってるんですか。今日は合同演習がある関係で、早めに本界に戻らないと…」

「やっべ…そうだった。シーマ、急ぐぞ。」

そう言うと二人は、床を綺麗にした後、店舗のシャッターを閉め、裏手に回ると、スキンヘッドの男は壁に手を当て、

「ティルタニアの柱、クロノスに誓いし近衛騎士団、ワグナー隊曹長、ヴェルファイア=サンライズ…」

「同じく、ワグナー隊二等、シーマ=ビショップ、只今帰還します。」

と、二人が唱えると、時計盤の様な紋様が現れ、まるで観音開きの扉の様に真ん中から二つに開くと、そのまま吸い込まれるように、彼らは姿を消した。そして、何もなかったように、直売所から人の気配が消えた。

 

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語(の前にご挨拶w)

こちらの方ではあけおめです…w で、新年早々、なにやらおかしなタイトルをつけているが、今年はこの裏別館で、妄想物語を綴っていこうかと思う。要するに、本館(はてダの方ねw)は通常のgdgd話をするとして、こっちは独身時代…というよりも中学ん時から思案していた、いわゆる“厨二病”的な物語を、この際だから一つのキチンとした“読み物”としてWeb上で公開しようと思い、こっちで展開していこう…ということで、オイラ的に、既に完成系に達してるヤツとして、上記のタイトル“ティルタニア騎士団”という御伽話を時間を見て公開することにした。

で、“ティルタニア”とはなにか?これはオイラ的造語で、主要キャラクターのモチーフが、ラジニケの競馬実況アナ達から来てる訳で、ラジニケの以前の名称“ラジオたんぱ”から転じて、そして、ギリシャローマ神話ティターン十二神から捩って“ティルタニア”という言葉が生まれました。で、“騎士”と付いてはいるけど、どっちかといえば、人間版のポケモンですw なぜなら、姿こそ人間ですが、手首や背中から蔓のムチが出るし、岩石落しやハイドロポンプみたいな技を使うし…いろんな意味で妖怪ですw(ヲイ

ともかく、今回はイントロダクション。全ては、次回以降の更新から物語が始まります…

 

ここは、地球上の、とある限界集落。荒れ果てた耕作放棄地が無数に点在し、家屋の殆どは、既に人も住んでいない…そんな辺鄙で、誰も住みつかないであろうと思われた山の中の集落の一角に、ある日突然、近代的な農園が姿を現した…その名は、国神農園。しかし、この農園には、ある秘密がありました…それは、ここで従事してる者は全員、異界の地から来た、特殊な能力を持つ存在であり、そして、かつての屯田兵の如く、軍事訓練を受けた精鋭達だったのです。この物語は、そんな彼らの日常を描いた、カッコ悪い英雄たちの物語…

ガキだな…

ここんトコ、世界のあっちゃこっちゃでイスラム原理主義を唱えるバカが、学校を襲撃したり、カフェに立て籠ったりしてる様だが、イスラム教の理念を利用して、やってる中身が盗人猛々しいのはこれいかに?ぶっちゃけ、どこまで“宗教”の理念や教義をバカにしてるよ?言っちゃなんだが、宗教そのものは、あくまで共栄共存の哲学であり、宗派や地域による概念の違いはあれど、共通認識に“未来を見据えた”概念の下に、信徒の研鑽と修行がある。それを無視して、単にマスメディアの報じる“理想像”にダマされ、暴力を振るう様では、真面目な信徒や宣教師に失礼なこと。では、なんでこんなことが繰り返されるのか?

およそ20年前に起きた、いわゆる“オウム事件”関連の騒動…その発端は、実は、一部のマスメディアが彼らを取り上げ、担ぎ上げた事から始まる。それは、どうしても創価学会を潰したいという、他の宗教団体や政治家の意図が見え隠れしてて、創価学会と同じように、異端なる存在として叩くための下準備をして取り上げた…と考えていい。しかし、創価学会と違って、オウムには、基礎となる宗派・戒律が曖昧過ぎた事と、教祖自体が社会に対して強い恨みを持っていた事が、事態が明後日の方角へ向いてしまうことになる。つまり、当時の創価学会は、あくまで日蓮正宗の在家信徒の集団であり、また、宗教法人上は東京都に本拠地を構える宗教団体として認められた存在である。(学会恨むなら、当時の鈴木東京都知事を罵りな…彼が下した判断だからなw)逆にオウムは、そういう経緯もないまま宗教団体として設立したトコがあり、しかも、詐欺紛いに近いような勧誘を行っていた。(空中座禅とか、ハルマゲドンとか…あ、ちなみにオイラも、空中座禅はできる…胡座かいたまま腰を勢いよく上に振れば、簡単に飛べたりするw)だけど、その頃から優秀な頭脳や技能を持つ若年層は、この“イカサマ奇術師”の行動に興味を持ち、やがて賛同し、そして…あの事件へと走る様になる。あの当時から…否、その前の“あさま山荘事件”よりも前から、一部の大学生には“世間知らずな正義”を振りかざすバカがいた訳で、それを諌める術を、大人たちも持っていなかった事が、悲劇を繰り返す一因になってると考えられる。要するに、以前から散々やってるように、若者が社会の中で何か行動を起こしても、それを真っ当に評価してもらえないと勘違いしてるからこそ、それに対する逆恨みが、テロやバスジャック等の重大事件に発展する訳である。要するに、自分の“思い通り”にならないのを、自分ではなく“他人”…言い換えれば、社会そのものが“悪い”と断罪する訳で、その“拠り所”として、宗教哲学を悪用する訳である。言っとくが、宗教が教えるのは、人間らしさの追求であって、他者の排除や撲滅を求めるような概念は、むしろ“後付け”解釈でしかない。違いを認め合い、互いを支え合う為に、信頼関係を築くための教義であって、そこを履き違えて侮蔑するような態度をとってはならない…と、どこの宗派でも最初に教える事である。が、ここを勘違いしてる以上、どんなに教義が素晴らしい宗教団体であっても、理解されないどころか、むしろ、色眼鏡で侮蔑する人たちの思惑通りな集団になり得る訳である。つまり、オウム系宗教団体が、今でもテロ組織として公安委員会から監視され続けるのは、この“カルト異端”と見做す連中の手中で踊らされた結果であり、もしも、毒ガステロや信徒撲殺などの重篤な犯罪行為をやっていなかったら、他の宗教団体同様に、周囲から“キモい”と罵られても、存続できた可能性がある。あ、ちなみに言っとくけど、宗教団体は大なり小なり、公安委員会からなんらかの監視を受ける対象であって、いわゆる右翼団体や零細政治結社指定暴力団同様に、警察や自治体の行政指導を受ける事は、日常茶飯事ですよ、単にマスメディアが報じないだけで…w

つまり、クリスマスの時期にイスラム教徒を名乗るテロリストが暴れるのは、単に“リア充爆発しろ”である。要するに、自分が不幸なのは不公平だというガキっぽい理由で、女性や子供、さらには身障者や高齢者を襲う訳である。“Do they know it's Christmas?”の歌詞ではないが、自分さえ幸せなら、なんでもいいというなら、なんで他の人を襲って、その幸せを奪う権利がある?(歌詞の一部を和訳すると、「君がその犠牲者の中に入ってなくってよかった」と叫ぶ部分がある。が、これは、単に“綺麗事”だけを歌詞にするよりも、“冷酷な真実”を突きつけることで、本当の慈善とは何かを考えて欲しかった…いう意図があった。)自分が幸せになるために、他人の幸せを奪ったり、将来を否定する権利は、誰にもない。だが、テロをやってる連中は、自分たちの幸福を“否定された”という勘違いから、なりふり構わず暴力を振るうのである。だからこそ、躊躇してはいけない…同じ宗派の者だからとか、同じ民族だからとか、同じ国民だからとかではない。同じ仲間であると認めてるなら、だからこそ、自らが襟を正して叱らなければならない。貴様らがやった行為によって不幸に見舞われたヤツの方が、もっと気の毒だと…特に、将来を嘱望された子供たちを殺す行為は、たとえ信仰上の理由があったとしても、一番許されない行為であると同時に、自分自身が、“ガキ”だと言ってるのと変わりない。そんなに時代の“主役”になりたいのであれば、勝手にどうぞ…世間が誰一人、自分を支持しないのは、あまりにもその世界観が、他者から見れば小さ過ぎる事に気付いていないからである。バカにされるのは別にいいんだよ…その瞬間は悔しいかもしれんけど、後々、そのちっぽけな概念が、自分を苦しめる枷だったんだと気づく時が来るから。罵られたって、自分が思う正義を、きちんと示し続けるために、社会と向き合い続ける根性さえあれば、必ず陽の目を見る時がくる…御金言“法華経は冬の如し、冬は必ず春となる”どんなに凍てつく寒さが続いても、そんなに長くは続かない。巡るべき時か来れば、それを逃さない限り、それに応じた功徳を得られる。自らがそれを嫌った時点で、それは巡ってこないだけ。だからこそ、自分が汚れること、傷つくことを嫌ってる以上は、誰からも罵られないどころか、本当に“いらないヤツ”呼ばわりされるだけ。何度も傷つき、汚れても、立ち上がれる人が一番強い。そして、歴史上の偉人たちは、その多くは当時の世間から“奇人・変人”呼ばわりされた。だけど、本当に“変態”であるなら、歴史の汚点として消されるのがオチである。ガギにはそれがわからんのだよ…自分がどれだけ成長を拒んだかを。

知る権利と黙る“義務”

さて…一部の弁護士やマスメディアの記者にとって“都合が悪い”法律(特定秘密保護法)が施行された訳だが、ぶっちゃけて言えば、一般庶民にとっては“どうでもいい”話でしかない。なぜなら、知る権利というのは、単に情報を共有することではなく、情報の“性質”によっては、無闇矢鱈に開示してはいけない部分…つまり、秘密にしておく事で、事の混乱を抑えなければならないことだってあるという事。そこを含めた意味で振りかざす分には良いのだが、何でもかんでも“開示すべき”というのは、むしろ本当の意味で相手を信用してない証拠であり、情報の正確さを有耶無耶にしかねない話である。つまり、真贋を見極められない人に、特定の情報を喋ったとして、その“事の重大さ”がわからない以上、不特定多数の相手に開示することが、いかに“危険な行為”であるか…それを踏まえた上で批判すべきであって、情報をすべて開示すべきであるなら、プライバシー(個人情報)の保護なんぞ、クソくらえな話になりかねない。

つまり、国家の重大な危機を招きかねない様な事案があったとして、それを一般庶民に喋るのはいいが、もしもその中に他国の諜報部員がいて、それを聞いたとしたらどうなる?更に、自分自身が調べた情報の内容に、誤りがあった場合、それによる混乱は、誰の責任となるか?ここの部分を踏まえた上で、“知る権利”というものを考えるべきである。つまり、誰にも言えない様な“秘密”を、第三者に打ち明ける事ができるのは、あくまで相手が守秘義務を守れることを約束してるからこそであって、口の軽い人に相談事をやって、回り回って自分の下に、自分の“情報”が外部に漏れた事を知れば、感情的に激怒するのは目に見えた話。つまり、そこんトコの概念をすっぽかして、“知る権利の侵害”を叫んだとしても、誰がその意見に賛同するか?ここが一番重要なことである。

況や、チェック機関が身内の者であったとしても、秘密にしたい“情報”は、必ずどっかで“漏洩”するモノであり、それゆえの“犯人探し”をやったとしても、それで不利を受けるのは、不特定多数の民ではなく、情報を漏らした張本人であり、情報の発信源となった機関自体です。ぶっちゃけ論で言えば、自分自身に不都合な事があっても、それを外部に漏らさない“約束”が守れない状況であれば、故に黙秘するのは当たり前なことです。つまり、“知る権利”というのは、“黙る義務”を守れてナンボな訳であり、それが守れない様な状況では、却って情報に惑わされた挙句、情報を仕入れた当事者がパニックを起こしかねないのです。もちろん、それを“目的”としてる不逞の輩がいる訳だが…その“理由”だって、ある意味感情的なトコがあって、単に相手を、あるいは不特定多数の民衆を蔑むための行為でしかありません。

“誰か”に“何か”を話す時、本当に気をつけなければならない事は、その“話”をして、どんな影響が出るかを考えずに喋る事です。例えば、医師に身体検査を依頼し、その結果を聞く時、その“判断”を信じられるかどうかは、一種の信頼関係に基づいた判断が試されます。仮に、胃カメラの検査で異常があって、組織生検を行うために、粘膜の一部を切り取って検査した旨を伝えられた時、何もわからないままでやれば、それはそれで一瞬パニックになるでしょう…しかし、正確な診断を下すために行った事を、浅はかな情報のみで勘違いすれば、さらに混乱するだけです。だから、検査の結果に対してさらに正確さを求めるためのセカンドオピニオン(他の医師による再検査)が認められている訳であり、総合判断から結論を出しても遅くない訳です。(胃にポリープがあったとしても、それがガン細胞なのか、あるいは単なる炎症なのかは、生検での組織解析を行った上で判断される事であって、素人の考えてパニってたら、助かる命も無駄になる。)だから、開示できる情報に制限をかけている訳でもないのに、まして国防の観点からの“情報規制”であって、それをさも“知る権利の侵害”と騒ぐ方が、他国から見れば異常なのです。企業でもまた然りで、特許製法の類は、業種ごとの“最重要機密”な訳であり、そこを明け透けで公表すれば、製品の価値が下がるだけでなく、粗悪な模造品が大量に、市場に流れることになり、利益を損ねる事になりかねません。だから、下請け企業であっても、受注先からの要望で部品製造を行う際、自作を含めて他に転用しないことを条件にライセンス(製造許可)を取る訳です。そこをバラすべきだと言ってる時点で、お察しですw

だからこそ、秘密を作るべきでないという人は、今一度、考えた方が良いでしょう…自分の秘密を他人にベラベラ喋る事の怖さと、それが拡散した時に、謂われなき侮蔑を受ける事が、どれだけ腹立たしいか。

本気で世間を変革したいなら…

単刀直入に言えば、自分自身が“変わる”ことに尽きる。特に、固定概念を捨てる事と、自分自身の責任を自覚した上で、行動を起こす事である。言い方変えれば、他人のせいにしたり、他人の意見に何も考えずにホイホイとついて行かない様にすれば、自ずとその“答え”が見えてくる。但し、あくまで“個人的観点”での話であって、全体を変えようと思うなら、それこそ、上質な酒を作るように、じっくりと時間をかける必要がある。

もうすぐ始まる衆院選に関して言えば、この2年で、何ができて、何ができなかったかを考えた時、5年前の衆院選での結果が、何を意味していたかがわかる。急激な変化を求め過ぎて、その反動でgdgdな政治になったのはいうまでもなく、更に、貧富の差が激しくなったと感じたかと思う。けど、要は富裕層が気持ち良く、金銭を使ってくれないからこうなるのであって、貧困層が騒げば騒ぐほど、富裕層は逃げていく…自分の財産を奪われたくないあまりにねw 自分でも考えたらわかるけど、不特定多数のヤンキーに囲まれて、“カネカネサイフw”と恫喝されて、誰が手持ちの財布を緩めるよ?まして、そういう被害に遭いたくないから、その場に近付かなくなるだけで、いつまでも富裕層に対して負担をかけてたら、そら逃げられるわ。で、そういった大口の顧客がいないのに商売しようと考える方がおかしい訳だし、貧困を招いているのは、実は貧困層の富裕層に対する僻みが全てと言っていい。貧しいことを“言い訳”に、自分の責任を放り出している時点で、余計に社会が困窮するだけで、何にもならない。だから、変革に必要なのは、いろんな意味での“貧者の一灯”なのである。

仏法の概念上での“貧者の一灯”とは、貧しくて灯油(この場合はランプや提灯に使う蝋燭)すら買えないほどの貧民が、有り金叩いて僅かな灯油を買い求め、それを仏に供養した真心を意味する。富裕層の信徒があぶく銭で灯油を大量に買い漁って供養しても、ある意味事務的な行動であり、ゆえに、すぐ燃え尽きたり、風に煽られて消えてしまいがちになる。でも、自分自身の意志で、自分が出来る精一杯の事をやった上で灯した炎は、最後まで残った…という故事。言い方変えれば、資産持ちはそれゆえに散財するけど、得られる充足感は一瞬。貧困でも、社会に貢献したいという思いを込めた行動は、どんなにささやかな事であっても、その充足感は無尽蔵。

しかし…昨今の若年層は、富裕層の“偽りの幸福”に惑わされた上に、それを憧れているからどうしようもないw まして、自分たちが貧困なのは、すべて“上の世代”のせいにし過ぎてるからタチが悪い。自分たちが“報われない”のは、先人たちも全く一緒。どんな施しを行っても、それに見合う対価をもらえてないと勘違いしてるから、いつまでたっても報われないのであり、苦しいのである。だから、開き直って、余分な欲望を捨てることも必要であり、小欲知足を学ぶべきなのである。

まぁ…若いうちは、戦隊ヒーロー等に憧れ、いわゆる“正義の味方”がカッコイイと思うから、拙き“正義”を振りかざす訳で、それがいつまで通用するかって言えば、小学校を卒業するまでである。本当の“正義”ってのは、実はとんでもなく“カッコ悪い”モンである事に気づくのは、自分が思う“ヒーロー”という存在が、実は単なる“幻影”だと悟った瞬間である。もっと言えば、自分のクチで“正義”を唱える人ほど、本物の“正義”になる事はない。本物の“正義”ってのは、救済を受けた者だけが、自分に対して施した人に感じるモノであって、万人に受ける存在ではない。どんな“悪人”でも、その意見や行動を支持する人がいる限り、“完全悪”とは言い切れない。しかし…その一方で被害を受けた者は、例え当事者でなくても、当事者が所属する組織の者である事を理由に、あるいは、全く関係のない事案で問題を起こした事を理由に、フルボッコにしたくなるぐらいに“極悪な存在”として見做すのである。同じイスラム教徒でありながら、過激派組織を支持する宣教師と、そんな彼らを“異端”とする宣教師がいるから対立する訳であり、それを利用して“代理戦争”をやっているのが、アメリカやロシアといった先進国…否、白人迎合主義の人々である。ぶっちゃけ、バカバカしい話ではないか。

だからこそ、相手を真正面から見て、受け止められる英知を学ぶべきであり、それに対して老若男女の隔たりを設けてはいけない。当然だが、民族や宗教の違いでバカにするのはもってのほか。自分が本当に世界平和を唱えるにふさわしい人物になりたいのであれば、民衆から嫌われ、罵られる事を恐れない人にならなければいけない。そして、いかなる災いの元凶となったとしても、目の前の人を救済するために命を賭して戦う人でなければならない。だけど勘違いしてはいけないのは、だからと言って、無抵抗な相手をフルボッコしたり、過去の因縁を理由にしたり、とにかく他人から“いい人”として崇め奉られようとカッコつける事である。相手からいらん恨みを買ったとしても、それをも“許せる”人になりなさい…人はどこまでも人であって、神様でも、空想上の魔物でも、妖怪でもない。