迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

外国人騎手に関する話。

すでに報道でもご存知かと思うが、今年3月1日付けて、ミルコ=デムーロ騎手とクリストフ=ルメール騎手が、JRA騎手としてデビューする事になった。もちろん、これは法改正によって、外国人であっても期間限定な短期免許ではなく、正規の騎手としての資格を取得する試験を受けられるようになったからであり、今後彼らは母国であるイタリアやフランスの“外国人騎手”ではなく、“日本競馬の騎手”として、中央や地方交流レースに、通年で騎乗できることを意味してる訳である。(つまり、今後、日本の騎手リーディング争いにも関わってくるって事で…ま、ニュースソースはコチラw)
では、外国人騎手が日本の競馬に参戦するようになった経緯はなんなのか?ぶっちゃけ論で言えば、海外遠征を計画している日本のホースマン達の技術向上や情報収集という名目があって、その一環として、国際交流(招待)レースとしてジャパンカップが施行され、さらに騎手の腕を純粋に競う場として、今年から札幌で開催されることになったワールドスーパージョッキーシリーズがある。(あれ自体は、暮れの阪神でやるから面白いんだけどと小一時間…w)しかし、一番の問題なのは、騎手の“参加基準”と騎手免許の取り扱いである。これは、競馬開催国によって、取得に必要な規定がバラバラであると同時に、国際的に統一された、明確なルールそのものが存在しない事が、事情をさらに複雑にさせていると言ってよい。
短期免許に関して言えば、今から20年ほど前に規制緩和が行われ、母国(所属開催国)でのリーディング上位であることや、日本の競馬関係者(主に馬主)が身元引受人である事などを条件に、年間で最長3カ月(但し、クラシック戦線でのスポット騎乗などの例外事案アリ)で日本の競馬での騎乗が可能となった事を受けて、まず最初に、オーストラリアの女性騎手、リサ=クロップが“短期免許第一号”となった。で、欧米諸国の競馬のシーズンは、殆どの場合、冬場がオフになりやすいこともあって、多くの外国人騎手は、この冬場にスケジュールを見計らって、短期免許を取得するケースが多いのである。今でこそ、欧州競馬関係者は、冬場にUAEへ厩舎まるごと移動して、そこでやることもできるようになったが、あの当時は、北半球で通年競馬を行っているのは、日本と香港ぐらいでしかなかった…だからこそ、多くの欧州の騎手たちが、冬場の“食い扶持”を求めて、日本や香港での騎乗を求めてた訳である。
で、この初期のルールでの“不都合”が、モロに出たのがネオユニヴァースの“三冠レース”でのゴタゴタである。そう、皐月賞優勝後にデムーロ騎手を“主戦”に据えたために、免許の“期間延長”をどうするかで、相当論議がモメたのである。そこで、NAR(地方競馬全国協会)の短期免許資格を利用して、ダービーまで日本に留まり、宝塚記念菊花賞は“GⅠ特例”として、臨時の免許を交付した訳である。これが実は、外国人に対しての騎手免許に関するルール作りを促すきっかけとなり、また、短期免許に関する取得条件も、免許保有期間を3ヶ月一括ではなく、騎手の都合に合わせて、年間最大で3ヶ月という方向へ切り替えた訳である。んでもって、今回の“通年で日本の競馬に騎乗可能”という状態になるには、欧州での競馬事情と、騎手免許試験の“グローバル化”が不可欠と言っていい。
特にイタリアは、いわゆる“リーマンショック”以降の金融不安で、財政が非常にヤバヤバな状態に陥り、EU(欧州連合)加盟各国からの金融支援の“条件”として、かなりの緊縮政策を強いられていることもあって、その影響が、日本と同じように公営競技として行われている競馬にも出てきてる訳である。(ま、貧困層の僻みで、いつも真っ先に犠牲になるのは、娯楽・遊興系産業になるのは、ある意味お約束な訳で…)ぶっちゃけ、本国での開催が危ぶまれ、収入も不安定ならば、新しい“仕事場”を探すのは、その道のプロなら至極当然な話で、しかも、当人が大の親日家であるとなれば、その“主戦場”を日本にしたいのは、すぐに考えがつく。しかし、一昨年までJRAは、騎手免許取得の規定を、“日本人のみ”にしてたんで、どんなにリーディング上位でも、通年での日本での騎乗は事実上不可能だった。それを緩和して、とりあえず日本での騎乗経験があること、日本語が通じる事などを条件に、受験資格を緩和したから、彼らは試験を受け、そして今回“合格”となった訳である。
そういう意味では、実は地方競馬の騎手が、JRAの騎手免許の試験を受けて、免許を切り替えるケースがあるのだが、これに関しての解説は、他の人もやっているのであえて割愛するが、
重要なのは、海外や地方で腕のある騎手が、わざわざJRAの騎手になろうとする背景には、所属する地域や国の“財政事情”が絡んでいて、それゆえに、収益が非常に安定している(とされている)日本の中央競馬甘えてる…もとい、憧れると言っていいだろう。とは言え、これで“蒼い目のサムライ”が今後、日本馬の背に跨って、海外競馬でも大暴れしてくれると、競馬を見てるこっちとしては、非常に面白くなる気がするのだが。

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第3話。

「それでなくても、2日前に、ファンタジアの時空に異変が起きて、その修正のために我々が奔走したってのに、何考えているんですか?」

そう口走ったのは、リッキー隊に所属するミゼット=コットン…元々、別部隊にいたのに、ビスタ達が気になって関わるうちに、いつしか騎士団員の一人として、リッキー隊に籍を置く事になったのだが、事ある毎に他の世界への派遣に対し、最後まで反対した。しかし、ビスタが時の柱に残る事を提案したことで、渋々、了承した経緯がある。それゆえに、国柱であるビスタに対して、辛辣なまでのツッコミを入れるようになった。

「いや…それは…」

と、ビスタが言い訳をしようとした途端、円卓の間に勢い良くドアが開く音が響いた。

「おっと、お取込み中だったか?これは失礼…」

と、入口前に一人の男が姿を現した。ティルタニア騎士団以外の者が、円卓の間に立ち入ることは、国軍規定により禁じられていた…が、件の男は、少し様子が違っていた。同じティルタニアの民であるにも関わらず、その服装は完全に場違いな…海神マリノスが率いるヤマタイカのリーフェ帝国軍の制服をまとっていた。

「アスター中将、何か御用ですか?」

「いやなに、皇子からの遣いとして謁見を…と思ったんだが、どうもその様子からして、ビスタの機嫌が悪いようだな。」

アスター中将…かつて“ティルタニアの賢武”と称されたプレセア=アスターは、古くからの知人で親友だったヤマタイカ御柱、アスカ=マリノスとの義に応えるためにティルタニアを離れ、現在はヤマタイカの東宮隊総大将となった。“皇子”とは、御柱となる以前のアスカのことで、唯一、プレセアだけ使うことが許された、アスカに対する愛称である。“中将”とは、かつてプレセアがティルタニア国軍の精鋭部隊を指揮していた頃の肩書であり、ティルタニアを離れた今でも、事情を知る一部の関係者が使っている呼び名である。

「プレセア先輩、僕…」

「何も言わなくても、顔に書いているからわかるさ。国神農園の事が気になるんだろ?」

「アスター中将!!」

「君たちが苦労してるのもわかるさ…でもね、この3年もの間、ビスタは体調が優れなかった事もあって、できるだけティルタニアの中心で時空を支えてたけど、それが何を意味してるか、君たち自身、わかってるよね?」

プレセアのその一言を聞いて、その場にいた者たちは、何かに気づいた。

「ビスタはティルタニアの国柱である以上に、マム・アースの片隅で、忘れ去られた故郷をなんとかしようと、必死に戦っていた人との約束を守れない事が心苦しいんだよ?その代理として、君たちが出入りしてるだけであって、本来であれば、ビスタ自身が、あの場所の当主としていなきゃいけなかった…でもそうすれば、ティルタニアが支えている時空の理が乱れるから、仕方なしにマム・アースとティルタニアを結界によって分離する措置を執ったんだ。わかるか?ビスタにとって、どっちの選択肢も不幸でしかない…だけどそれゆえに君たちがいるんだろ?だったら、君たち自身、何をすべきなんだ?一見すれば、ビスタ自身の我儘だけど、どっちを優先すべきかを考えた時、ビスタは国柱としての責任の方を取った…だったら、君たちがすべきことって、単にビスタの護衛ではなく、その名代として、動くこともできるじゃないか。」

「プレセア先輩、すいません…僕、やはり…」

「気にするな、ビスタ…いや、ティルタニアの長、クロノスよ。出しゃばった真似をするのは、異国の使徒がすべき行為ではない…なに、ヤマタイカ御柱の名代の戯言です。」

恐縮するビスタを庇う様に、プレセアは応えた。

「まったく…中将に言われたら、返す言葉もないっすね。」

ランティス隊のカルタス=マッキンリーが笑みを浮かべながら声をかけると、緊迫した空気が、一瞬にして穏やかになった。

 

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第2話。

ーここは、一般的に“人間界”と称する通常の世界とは違う、あらゆる世界の時空の流れを監視する龍神と、その使徒が住まう世界…通称、ティルタニアと呼ばれる世界。その中心にある居城は、クロノパレスと呼ばれている。このクロノパレスにある玉座には、少々、お節介焼きな龍神、ビスタ=クロノスがいる。ビスタは、このティルタニアを統べる国柱であると同時に、時空を司る龍神としての力を持っている。いわば、ティルタニアという世界そのものを支配すると同時に、すべての世界で、正しく時を刻むために、その流れを監視し、時として、その異変に対して判断を下す使命を帯びた存在なのである。その彼の下に集いし精鋭部隊こそ、ティルタニア国軍近衛騎士団…通称、ティルタニア騎士団である。件の二人…シーマとヴェルファイアも、そこに在籍する兵士なのである。

「ワグナー隊のサンライズ曹長、およびビショップ隊士、ただいま帰還しました。」

「ご苦労さん。さっそくで悪いが、全員、円卓の間に集合する通達が出てる。お前たちも、今すぐ向かってくれ。」

「ワグナー隊長、何かあったのですか?」

「いやな、また、クロノス様が持ち場を離れて、マム・アースに向かうってうるさいんだよ…」

ヴェルファイアとシーマの上司であるエスクードは、溜め息混じりにそう答えた。

「懲りてないというか、よっぽど世話好きなのか…まったく、俺らが定期的に駐屯することで、マム・アースの時空を保っているってのに…国柱としての自覚、あるのかよ、あのボンクラは。」

「ヴェル先輩、仕方ないっすよ。元々、クロノス様自身、その素性を隠したまま、最前線で活動していた事もあって、玉座でじっとしてるのが、性に合わない人ですから。」

「あのなぁ…」

「ヴェル、そういう愚癡は、本人には言うなよ。オレ達が今でもお咎めナシで、騎士団にいられるのは、クロノス様と、モーザ隊の連中による恩情あってこそなんだぞ。」

「いや、わかってますって、隊長…それにしても、あれからもう3年か。アス…じゃなかった、渉とシンのヤツ、元気にしてっかなぁ。」

円卓の間へ向かう途中、ふと、ヴェルファイアは、とある二人の兄弟…っと言っても、実際の血縁関係ではないが、ある事件がきっかけで、事実上、ティルタニアからの永久追放処分が下った同僚達の事を想った。彼らは今、マム・アースにある都会の片隅で、普通の人間として生活を送っている。

 

「どうやら、全員が揃ったな…と言っても、シンの部隊は欠席のままだが。」

円卓の間には、騎士団に所属する精鋭部隊の面々が、顔を揃えていた。数あるティルタニア国軍の中で、たった4部隊にのみ、“騎士団”の名を使う事が許されていた。中でもランティス隊は、かつてビスタが隊長を務めていたモーザ隊…クロノスとしての素性が明らかになる以前は、国軍の中でも“愚連部隊”とバカにされた存在であった。しかし、 ビスタが国柱としての力に開眼し、ティルタニア全土で起きた騒乱を鎮めた途端に、クロノス直属の近衛部隊へと昇格したのである。そしてビスタの補佐官だったナージュ=ランティスが隊長として、部隊を引き継いだのである。もう一つの部隊、リッキー隊は、当初、モーザ隊の監視役を命ぜられた存在だったが、ビスタの素性を知って以降、モーザ隊に協力する様になり、いつしかランティス隊、ワグナー隊と同列で取り扱われる様になっていた。そして…唯一、騎士団内で名前だけの存在なのが、セフィーロ隊。とある事件でティルタニアから追放された身分でありながら、他の精鋭達から席を残す様ビスタに進言した事によって、形式上、騎士団の一部として残された存在である。

「全員に集まってもらったのは他でもない、今のティルタニアは、稀に見る平穏な状態である。そして、それは我が国軍総員と、名もなき民衆一人ひとりが、互いに手を取り合って、今日の平和を維持しているからである。」

「御託はいいよ、ナージュ。」

「ビスタ、ちっとは時空の龍神として、自覚持てよ…お前がそういう態度だから、いつまで経っても不安定な状態の世界ができるんだぞ?」

「僕としては、国柱とか、龍神だとか…そういう固っ苦しい肩書きがない方が、もっと気楽に動けていいんだけど…」

「ビスタ!!だからお前は…」

「ナージュ先輩、話が進みませんよ。クロノス様はいつでも、長としてではなく、一人の人間として、みんなと対等に話をしたい人ですから。」

「…ともかく、僕としては、久々にマム・アースに行きたいんだけど、その間、ここが留守になってしまうからって、ナージュが煩いんだ。」

「当たり前だろ!!お前が玉座にいないと、ティルタニアで不穏な動きがあったら…」

“…またかよ。”

ヴェルファイアは、ビスタ達のやりとりを見ておもわず顔を伏せた。その様子を、エスクード=ワグナーは見逃さなかった。

「気持ちはわかりますが、クロノス様、すべての世界に流れる時空を管理されている事を、よもやお忘れになって…」

エスクードがそう切り出すと、今度はビスタ自身が暗い顔をした。

「わかってるんだけど…でも、僕にとって、あの場所は、今の僕になるための原点。だから、タマに帰りたいんだ。この角さえなければ…」

そう呟きながら、ビスタは耳の後ろから天に向かって生えている、一対の角に手を当てた。その角は、クロノスが時空の龍神であることの証であり、どんなに人間の姿を模したとしても、完全に隠す事ができない、唯一の欠点でもあった。素性を隠していた頃は、ターバンの様な布を頭に巻いて隠してたのだが、結局、時空を統べる力自体を封じ切れずに姿を現してからは、クロノパレルより外に出る機会が減った…そう、ティルタニアの長であるという事は、時空の龍神としてすべての世界を監視するために、常にクロノパレスにある、“時の柱”の前で留まらなければならない宿命を背負う事を指していたからである。

フジテレビへの批判は、将来の競馬中継のためにある?!

先日、オイラのこの記事に対してのコメントがあったんで読んでみたら、最後の一文だけでミスリードした回答だったので、一応、コメントで返答したが、改めて解説させてもらうが、地上波での競馬中継は、土曜日でも、中継を行っている放送局は、BS11からのサイマルか、テレ東の中継を回している。(西日本では、KBS京都製作のが流れる。)で、日曜日は原則としてFNS系列の放送局がメインをやっている…訳だが、批判の一番の“理由”は、競馬中継スタッフの育成を、他局が人員確保に必死になっていることを尻目に、かなり“手抜き”してるとしか思えない状況であることが、オイラ的にカチンと来てる訳である。ただ…ここで勘違いして欲しくないのは、放映権を返上しろというのは、関東“のみ”の話であって、地方の場合は、クロスネットを行っているトコもあるため、一概には言えないトコもあるってことだ。ぶっちゃけた話、要は実況アナのレベルが“低い”と、一部の競馬ファンが思っているからこその話であって、人材育成を怠ったツケが、今頃になってジワジワと、競馬中継に限らず、すべての番組で影響が出ている訳である。ま、こういう話は、ここではお門違いな話だが、MBSの説明をする時に“あどラン”をやってる手前上、避けては通れないことである。
では、ここまで人材育成に関してgdgd状態になったのか?その全ては、1980年台後半からの“快進撃”的な状態から始まる。ここでは、その“キーワード”となるアナウンサーの存在に関しては、名前ごと伏せさせてもらうが、要するに、一人の“カリスマ的存在”に依存したことから、すべての狂いは始まってると言っていい。そして、その“同期”も、後進の育成よりも最前線での活躍に執着し、そのことが原因の一つとなって、のちに退社することになる。(ちなみにその人は、オイラの記憶が正しければ、関西のとある片隅にいる…というトコまではわかってるのだがw)それだげではなく、腕利きのいいベテランを、開局間もないBS局WOWOWに出向させ、さらにはスポーツ中継自体をCSやBSの自前コンテンツとして取り扱う一方で、地上波での中継を、ある意味駆逐してしまった訳である。もちろん、BSやCSの運営費を賄うのであれば、スポンサーが簡単につきやすく、しかも視聴率が稼ぎやすいスポーツ中継をやった方が、番組制作のコストに見合う。しかし、それゆえの“弊害”として、実況アナが中継画像に頼りすぎて、現場で実況してるのに、視聴者無視して弛んだ感じの実況になりやすい。これは、テレビの実況アナ全般に言えた話で、NHKも例外ではない。(大相撲中継の実況でも、ラジオはともかく、テレビは余計なこと喋りすぎて、タマにイラッ…っとします。)
この件に関して、杉本アナが一番危惧していた事であり、彼の門下生に当たるKTVの競馬実況アナは、研修の際に“モニターを見るな”という指示が出る…これは、自分の五感で感じたことを、そのまま言葉にして実況を行うための“訓練”であり、これができて初めて、実際のモニター画面を見ながら、実践さながらの実況の訓練に入るのです。つまり、カメラワークだけの映像ではわかりづらい部分を、言葉で補いながら、レース全体の流れを実況するのが、いわゆる“杉本節”の真骨頂であって、その合間に時節柄や有力馬、あるいは注目馬に対する美辞麗句などを織り込む事で、あのド派手な実況が完成する訳です。その基本は、どこまでいっても吉田アナの競馬実況に対する哲学と一緒で、肝となる部分は、競馬ファンが情景を把握しやすく、なおかつ精密なまでにレースを描写する、実況アナ自身の観察力と言葉の表現力です。この二つが上手く組み合わさってこそ、あの名フレーズ“菊の季節にサクラが満開”とか“後ろから何も来ない”などが生まれる訳です。この点に関して言えば、ラジニケの実況アナ達もまた然り。まして彼らは、JRAの公式実況を担っている、他の競馬実況アナよりも責任重大な存在です。そして、そこに移籍したFNSのアナウンサーとして、仙台放送から小塚歩アナが、そして福島テレビから米田元気アナがいる訳です。(その反対側に行っちゃったのもいたけど…)
言い方が悪いですが、本気で競馬中継を単なる“スポンサー稼ぎ”としか思っていない様であれば、競馬ファン自体が見なくなるのは当たり前であり、本気で競馬実況をやり続けたいという気持ちがあるアナウンサーは、必然的に自らの修行の場を求めます。そんな社員達の、“プロ”としての気合に応えてやれない放送局…否、企業は、やがて誰からも相手にされません。当然ですが、広告を出しているスポンサー企業からも見放される事になるでしょう。それゆえの“戒め”として“放映権を返上しろ”と言ったまでです。当然ですが、同じことは他局にも言えた話…今後、腕利きのベテラン実況アナが、相次いで定年退職する時期に差し掛かっている事を踏まえると、どこの放送局でも喫緊の課題なのです。

20年前の話…阪神大震災と競馬

この時期になると、関西人…特に神戸っ子は、条件反射で“あの出来事”を思い出す。とはいえ、20年前の話ですから、実際に経験してる上で、なおかつ、克明に覚えている世代でも、アラサーであるから、若年層にはむしろ、東日本大震災の方が話としては、わかりやすいかと思う。だが、オイラぐらいの世代には、いろんな意味で衝撃すぎる出来事だった。それが、“1.17”という日付の意味でもある。
オイラの中の“1.17”は、その前日にあった出来事から始まる。法改正で成人の日が1月の第二月曜日になる以前は、1月15日がそうであった。で、1995年の1月15日は日曜日で、翌日は“振替休日”という事もあって、JRAの日程は、ちょうど今年と同じように“3日間開催”だった。で、その最終日である16日、ビワハヤヒデの引退式が挙行されるという事で、仕事をサボって…もとい有休を取って、京都競馬場まで行った訳である。で、何をトチ狂ったか、オイラが到着した時には、まだS指定席(現在の特A指定席)が空いてたんでそこをチョイスし、引退式直前までウトウトしてた…実際に淀の指定席(グランドスワン側)に入った経験がある人ならわかるが、あそこは日当たりが良すぎて、空調ナシでも冬場はヌクヌクなモンだから、午前中まるまる睡魔に負けて眠ってしまうことウケあいなトコであるw で、昼休みに行われた引退式を見て、昼メシ食ってから午後のレースを見た時、ふと締め切り直前のレースに、面白い馬名が目について、それを軸にした馬連を購入したら…人生初の万馬券となり、思わず周囲の席にバレンタインデーでもないのに、売店でアーモンドチョコを買って振舞った挙句、さらにメインもゲットして、ついでにA指定席エリアの報道機関が利用するゴンドラ席の出入り口付近で北野アナを見かけて雑談した後、阪急梅田を経由して帰路に着いた。当然、“戦利品”として阪急三番街のフードエリアに立ち寄って、普段なら買わない惣菜をしこたま買ったのは、言うまでもないw
で、翌日…いつもの様に出勤の準備をしようとベッドから起きようとした途端、地響きと共に目眩に似た酷い揺れを感じ、何が起きたかわからんままテレビを見たら…近畿地方に激しい地震が発生した旨を伝える報道が流れ、そして、ただならぬ空気が全てを包み込んだ。そして、付近の道路の安全確認をしながら勤務先の大阪南港付近に出社すると、自動倉庫に保管してる商品が全て落下してて、その殆どが衝撃で入れ物が破損した関係で、酷い悪臭(穀物酢や米酢の類w)を放っていた。食品を取り扱っている物流業ゆえの話だが、缶詰の類はモノによっては、重力加速度や、他の物品との衝突、集中して圧力がかかると、簡単に破裂することがある。(特に鯖缶が破裂した日にゃ、目も当てられんw)さらに、神戸より西側の物流が完全に滞ってしまい、どうしてなのかを、出勤できた同僚と一緒にラジオで情報確認をしたら、神戸市内を走る幹線道路と高速道路が震災で寸断されたという事が判明した。また、大阪府内も兵庫県に隣接する地域で甚大な被害が出たという情報が入り、本社から、出荷可能な商品を“災害援助物資”として拠出せよという指令が下った。このため、比較的無事だったペットボトルの飲料を中心に、被災地に近い店舗を“供給拠点”として提供することにし、そこへ商品を搬入させた記憶がある。
情報を収集してるうちに、当時、北野アナの雑談コラム目当てに買ってた夕刊紙で、神戸市内に住んでるスタッフが“所在不明”になっててんやわんやした…という話が載っていた。後でわかったことだが、実は広瀬アナとコバマサが同じトコの地域にいたらしく、それで二人から連絡がこなくて、藤田アナ共々パニックに陥ったのだとか。(この件に関しては、それぞれのアナ達の特集でも取り上げたが…)さらに困った事に、阪神競馬場周辺…特に西宮市内がエラい事になっていて、競馬場の方も、コースに亀裂が入ったり、スタンドの一部が壊れたり…と、とてもじゃないが春の開催には間に合わない様な状況となり、12月になるまで、阪神で行われる予定だった競馬は、ほぼ全て京都で代替開催となった。むしろ、神戸や淡路島が悲惨な状況の中で、被害がなかった事を理由に翌週に京都で競馬を再開したこと自体、東日本大震災に比べたら、今となってはヘでもないのかもしれんが、当時としては、むしろ関西での再開は、中京での開催以外は無理だと思われてただけに、無謀な話のようにも思えた。でも、園田競馬ですら、ゴールデンウィークぐらいまで開催できなかったのに、この判断は、今更ながらどうかと思う反面、正直、京都での開催には“影響ナシ”というのは、むしろありがたかった。

あれ以来、オイラが5桁以上の払い戻しを受けると、その1週間以内に災い”が降りかかるという、厄介なジンクスができたのは言うまでもなく、新型インフルエンザやSARSでパニックになったときは、確か6桁配当だったと覚えている…ここんトコ、馬券を買う事がなくなって久しいが、そろそろ7桁以上の馬券を取ってみたいモノであるw

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第1話。

繁栄ある都市がある一方で、食の根幹となる農村や漁村は、衰亡の一方で、多くは集落としての機能すら失っていた。そんな限界集落の中で、ある農園が注目を集めていた。それは、地方都市の希望であり、食糧危機が叫ばれた世界を救う、一筋の光として持て囃され、いつしか“地球の未来像”として注目されるようになった。多くの人々は、ここを訪れる度に、その完璧さに驚かされ、そして、考えさせられた。それもそのはず、ここは数年前まで、耕作放棄地と廃墟しかない、荒れ果てた集落の跡地だったからである。

農園の名は、国神農園…数年前まで、その存在すらなかったここは、広大な農地を有してる訳でも、近隣の農家と提携してる訳でもないのに、いつでも新鮮な野菜や果物と、それを使った加工品が充実していた。また、観光牧場も兼ねていることもあり、乳製品や加工肉などの畜産物の品揃えもある。しかし、周囲に提携酪農場がある訳でもないのに、ここまでの充実ぶりに、疑問を抱かない人はいない…だが、それはここが、あまりにも特殊な事情があったからである。そう、一見すると限界集落内にあるしがない農場でも、そこに従事する人々自身が、普通の人間ではなかったからである。この物語は、そんな彼ら…ティルタニア騎士団に属する精鋭達の、ひょんなことから始めた、人間界での日常話である。

 

「ふぅ…今日も完売っと。」

空っぽになった直売所の商品棚を見ながら、あどけない顔したエプロン姿の青年は、ため息をついて手にした竹の棒を、くるっと反転させた。すると、下にした先が箒に変化した。その様子を見ていた、体格のいいスキンヘッドの同僚が、

「まったく…今は客人がいないからいいけど、錬成術は極力使うなって言っただろ?」

と、後輩の行動にしかめっ面をして指摘した。

「でも、早く片付けないと…今日は交代要員との引き継ぎの日ですよ。」

「まだ、時間があるだろ?」

「ヴェル先輩、何言ってるんですか。今日は合同演習がある関係で、早めに本界に戻らないと…」

「やっべ…そうだった。シーマ、急ぐぞ。」

そう言うと二人は、床を綺麗にした後、店舗のシャッターを閉め、裏手に回ると、スキンヘッドの男は壁に手を当て、

「ティルタニアの柱、クロノスに誓いし近衛騎士団、ワグナー隊曹長、ヴェルファイア=サンライズ…」

「同じく、ワグナー隊二等、シーマ=ビショップ、只今帰還します。」

と、二人が唱えると、時計盤の様な紋様が現れ、まるで観音開きの扉の様に真ん中から二つに開くと、そのまま吸い込まれるように、彼らは姿を消した。そして、何もなかったように、直売所から人の気配が消えた。

 

競馬は文化?それとも…

公営ギャンブルの存廃問題を取り上げると、必ず、“古い慣習は滅びるべきだ”という旨の意見を出す人が散見されるが、競馬に関して言えば、世界規模で見ても、その意見がまかり通るほど簡単な話ではない。なぜなら、家畜として馬を利用する文化がある国や地域では、それぞれの民族性や風習に即したカタチの競馬が存在し、ギャンブルとしての一面は、あくまで表面上の話でしかない。むしろ、ギャンブル…博打としての競馬は、ファンや主催者、参加者の勝手でやってる訳であって、スポーツとしての競馬は、どこまでいっても乗馬の馬場馬術エンデュランス競技の延長線上にある種目でしかない。では、なんでこうも目の敵にされがちなのか?
日本の場合は、近代競馬…すなわち、西洋文化の一つとしての競馬は、明治以降になってからの話であり、それ以前は、神社での神事として執り行われるモノを指していた。この件に関しては以前、このブロマガでも解説したと思うが、いわゆる“競馬神事(くえべうましんじ)”とは、一種の占いであり、また、五穀豊穣と国土の繁栄、地鎮の意味合いが強かった。ゆえに、レースとしての競技というより、例祭の為の行事として行われる訳であって、どこぞかの峠のカーチェイスみたいなモノではなかった。また、地域によっては、無理矢理崖を登らせたり、相馬野馬追の様に、神が宿るとされるモノを取り合うための“乗り物”として馬を使うなど、様々な形式の“競馬”が行われていた訳である。これを戦後復興の財政確保に利用しようと考えた自治体が、中央が再開されるよりも先に、興行としての競馬を執り行った事から、現在の地方競馬に至る訳である。まして、ばんえい競馬の場合、東北や北海道での開拓史に欠かせない話があって、ぶっちゃけ、村(集落)の祝い事や収穫祭の余興として、自分が飼っている馬の“力自慢”をやるために始めたのが、通年でも楽しめるようにと発展したのが今日の姿であると言って良い訳で、そこんトコの話を抜きに、単純に“ばんえい競馬を廃止しろ”と叫ぶのは、かなり乱暴、かつ、開拓に勤しんだ先人達に失礼な話である。
同じ話は、海外の競馬…特に欧州の競馬にもあって、トロッターレースや氷上競馬などの、超が付くほどのローカルな競馬も(馬券の発売がないレースもあるが…)存在する。ちなみに、トロッターレースとは、日本では“竸駕(けいが)徒競走"という名で、今から50年以上前に存在してたが、ぶっちゃけると、古代ローマの戦車…ほれ、馬がリヤカーを引っ張り回してると想像したらわかりやすいかと思うが、アレをレースにしたヤツである。ただ…現在ではイタリアやフランスのごく一部で開催があるだけで、馬術競技としての“バレルレース”に取って代わられているトコも多い。(こっちの解説は、緑茶でやってる“ハートランド物語”を見た人ならご存知かと…w)その理由にあるのは、過剰な“動物愛護”の概念である。宗教批判はお門違いだが、いわゆる“キリスト教保守派”といわれる市民団体に多い概念で、深く物事を考えない人に、よくある“落とし穴”的な思想と言っていい。なぜなら、家畜の殆どは、狩猟に行く手間を省くためと、食糧の安定供給を担う為に肥育してるのであって、また、人間以上に牽引力や耐荷重に優れているから、大量輸送を担う為に大型の家畜馬が必要だった事は、言うまでもない農耕の歴史である。当然、乗馬用の家畜馬…軽種馬が繁殖してる理由も、長距離移動と高速移動の概念から存在する訳であり、舗装されていない、いわゆるオフロードでの移動手段としての役割が大きかったからこそ、それに適合した品種改良や調教が行われた訳である。これを“邪悪”と切り捨てるのであれば、当然ながら、畜産業を営む農家に対して侮辱してるのと同意である。
つまり、農耕をやってる以上、しかも馬を利用してる以上は、競馬を単にギャンブルとして切り捨てるのは、他の農家に対して、開拓や耕作を放棄しろと言ってる様なモンであり、また、収穫祭などの余興として、あるいは、祭礼の一つとしてやっている事を“中止しろ”と声高に叫ぶ行為は、農業をバカにして見下してるのと同じであり、食糧の供給源に唾を吐く様な行為でしかない。もっと言えば、古来からの娯楽を破壊しておきながら、他の娯楽を推奨したトコで、それが根付くまでにどれだけの時間がかかるか…文化を否定するのは、結局、自分自身が“興味ない”事を理由にしてる我儘でしかない。そして、今までに至るまでの歴史を直視せずに、“正しい歴史認識を”と叫んでも、それは、単なる感情論でしかない。すなわち、いわゆる“黒歴史”を含めた部分も、文化として築き上げてきた経歴であり、また、それによって賑わいを保ってきた側面がある以上、無碍に扱ってはいけない。そういう部分を無視して、それでも競馬を“社会悪”呼ばわりするのであれば、自分が今打ち込んでいる趣味や、今まで集めたコレクションを、見ず知らずの他人から…ではなく、自分の親友や家族に否定された挙句、勝手に廃棄処分されても、絶対に文句を言うな。なぜなら、競馬ファンや関係者を罵った上で、競馬を廃止に追い込む行為は、まさに、自分自身に置き換えた時、どれだけ屈辱的、かつ、理不尽な事をやってるかに気付いていないからだ。