迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

また一つ、記憶の彼方へと名馬が走り去った…

7日の夜、TwitterのTL上で、一つの訃報がチラっと流れた…オグリキャップを中心とした競馬ブームの中、南関・大井から中央入りして、G1タイトルを3つも獲った猛者、イナリワンが、オグリたちが待ってるであろう虹の彼方競馬場へと駆けて逝った。享年32。馬の30歳以上は、人間で言えば100歳超えの高齢であり、ここんトコの寒暖の差が堪えたのであろう…功労馬として、たいした病気や怪我もせずに逝ったのだから、大往生だったと言っていいだろう。
先に触れたが、イナリワンは大井競馬…つまりはダート路線からのデビューであり、本来であれば中央でもダート戦向きの馬として扱われていた可能性がある。しかし、30年ぐらい前のルールだと、交流重賞はおろか、ダート路線の重賞そのものが、中央ではほぼ未整備状態であった。故に、地方競馬出身馬は、必然的に芝コースでの適応ができるかどうかで今後の活路が見出せるかが勝負でもあった。故に、ハイセイコーオグリキャップがファンを熱狂させた背景には、そういう部分が大いに関係した訳であり、特にハイセイコーはクラシック(皐月賞)で生粋の中央勢を蹴散らし、オグリの場合は血統的に短距離向きと言われたのに、中・長距離でも大活躍したことから、様々な讃えられ方をしたのである。しかし…同じ地方競馬出身でありながら、イナリワンの存在は、いろんな意味で不遇であった。時代的に見ても、“オグリブーム”の渦中にあって、どうしても“笠松の英雄”の方が注目度が高く、一般的な鹿毛馬…しかも特徴的な白斑などもない、一歩間違えば“そこらの凡馬”な見た目は、まさしく地味な存在だった。しかし、中央転厩後、獲ったタイトルがGⅠのみという、派手な戦績を残したのは言うまでもなく、春の盾と宝塚、有馬を制した実力は、オグリやスーパークリークヤエノムテキタマモクロスなどと比較しても、何の遜色もない。だが…時代が悪すぎた。種牡馬入りしても、同時期に現在の競馬界を席巻する血統となるサンデーサイレンスが輸入され、その産駒が持て囃されると、日本内国産種牡馬は、どんなG1タイトルホルダーであったとしても、その殆どが駆逐される状況に陥った。イナリワン自身も例外なく、産駒であるシグナスヒーローが善戦するも、その血脈を残すまでには至らなかった。種牡馬を引退後、占冠のあるぷすペンションで余生を送っていた。牧場で繋養されている仔馬のしつけ役を買って出てた様で、いい意味で馬生を満喫してたようである。

また一つ、輝かしき時代が終わりを迎え、そして記憶の彼方へと名馬は走り去る…遅ればせながら、昭和から平成に変わる頃を駆け抜けた名馬に、哀悼の意を表します。南無…