迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

世界の壁は“薄くて分厚い”か?

本題の前に…11月20日九州場所の最中に、日本相撲協会北の湖理事長が亡くなられた。享年62。直前まで、病に蝕まれた身体を引きずり、現場に通い続けたその心意気、まさに、現役時の“憎たらしいほどの存在”をそのまま誇示していたのだと思う。さぞ、今週末のジャパンカップの予想会を楽しみにしてただろうと思うと、ちょっと居た堪れない気持ちになる…この場を借りて、哀悼の意を表します‥南無。
さて…今週末はジャパンカップな訳だが、このレースが開設された経緯を考えると、今はすでに、その“役割”自体は終わってるのかもしれない。しかし、古くからの名門牧場が夢見たのは、欧州競馬での“日本産馬の勝利”であり、その最高峰が凱旋門賞である事は、今更説明不要だろう。だけど、現実を考えると、海外競馬でも日本馬が遠征し、勝利する機会が増えた訳であり、海外競馬でも日本の競馬は通用する様にはなって来た事は言うまでもない。が、どうしても“大本命”に手が届かない…このジレンマは、どこから生まれてくるのだろうか?
根幹的な事を言えば、世界の競馬とて、日本同様に“地元有利”な条件は変わりない訳であり、海外の馬が本当に“世界最強”なのかは、コースの特性やレース当日のコンディションなどが影響する事もあり、また、輸送による体力消耗なども考慮すると、一概に言えないのである。まして、騎手の経験値や勝負事における駆け引きの有無が左右するトコもあるんで、馬の戦績が良くても、騎手の腕が優れてても、ここ一番で…となった途端にボコ負けするのは、今年のゴールドシップが着外に沈んだ宝塚記念を例に挙げるまでもない話である。
つまり、現状において“史上最強馬”と称するかは、いろんな意味でメディア次第であって、馬主やファン、その他関係者によって、その価値観や意味合いは違ってくる…が、一般的に情報としての“史上最強馬”という称号は、いうまでもなく、競馬を取り扱うマスメディア自身の報じ方一つである。逆を言えば、話題性や歴史などの裏付けが脆弱だと、どんなにファンが、あるいは愛馬を有する馬主が、自分の価値観のみで“史上最強馬”と称して海外競馬に遠征したトコで、何の意味のなさなければ、当然、誰も注目しない。例を挙げるまでもなく、コスモバルクが制したシンガポール国際カップや、デルタブルースが制したメルボルンカップステイゴールドドバイシーマクラシックシーザリオの米オークスエイシンプレストンの香港国際カップ…国際競走として、日本馬が栄冠を勝ち得たレースであれど、その価値を諸外国が認めるかどうかは、開催国と所属国、その他では雲泥の差になる。当然だが、それは繁殖時の“謳い文句”にも関わる部分であり、種牡馬であれば、国内のクラシック戦績はもとより、海外遠征の有無や距離適性等は、繁殖牝馬を持つ牧場経営者にとって参考程度の情報であっても、所有者‥つまりは牧場に預託してる馬主の意向で、タマに無茶する事もある。もちろん、オーナーズブリーダーなら血統的な背景も含めて慎重になるが、そういう事など“どうでもいい”と考えるバカな馬主の場合、知らないうちに近親交配を繰り返して破滅する人もいる。(もちろん、そういうのは少数派だろうけど‥)血統的な部分を語れば、サンデーサイレンス系が過多状態な日本の馬産事情を踏まえたら、サンデー系の繁殖馬ばっかりだと、成績が良くても産駒を残せない…という事態になるのは当たり前で、それを回避するには、海外の非サンデー系の血統で、且つ、海外競馬での戦績が優秀な繁殖馬を輸入するしかない。(内国産種牡馬の古典的な血統が、ほぼ駆逐・淘汰された状況下においては…)その時の参考になるのが、生産国での競馬の戦績であり、海外でも活躍してる場合は、どんな場所で、どんな相手とレースをしたかである。
ここに注目し、血統的な背景も踏まえた上で、繁殖馬は輸入されるのであって、また、輸出される繁殖馬も、主にアメリカやオセアニアではサンデー系の血統は人気が高い事もあり、可能な限り所有者や牧場関係者が応じているのが現状である。
日本の競走馬が、それこそ他の国々の競走馬と同様に、海外を渡り歩く様な活躍を見せる様になれば、自ずと海外からも繁殖に関する問い合わせが増える事になる。しかし、それは海外のブリーダーが、自前の馬を日本の競馬関係者に売りつけに来る事も意味する。TPP問題で競馬にも影響が出るのであれば、当然ながら、海外…特にアメリカやフランスが日本に対して自国産馬を売りつけに来るのは目に見えてる様に言われがちだが、馬場適性のない競走用軽種馬(サラブレッド)を捌く場にする様なアホは、逆に真面目に競馬に取り組む多くの競馬関係者から嫌われた挙句、淘汰される事にもなる。零細繁殖牧場といえど、繋養してる繁殖馬の血統がマイナーで希少価値があると認められれば、世界中から引く手数多になる事もある。そのための実績作りとして、競走成績が重要になるのであり、また、海外遠征での実績があればあるほど有利になる。当然だが、騎手や調教師の腕も、それに似合う結果を残せてるのであれば、海外の競馬サークルから声がかかる訳であり、単に国内でのリーディングで満足してる様な騎手が、海外で通用するハズもない。だからこそ、海外での武者修行(騎乗経験を積む事)も必要なのであり、それに対して制限をかけてる以上、日本人騎手が、日本産競走馬で凱旋門賞ブリーダーズカップで勝利する事はあり得ない。これが、今回のタイトルの一番の“理由”であり、日本に限らず、世界中の競馬サークルが、自己満足で“史上最強”を謳ってる以上、真の意味での“世界最高峰の競馬”を称する資格は、どの国の競馬サークルにも存在しない。国際レースの本意は、どの国(あるいは競馬サークル)主催のレースであっても、誰にでも頂点に立てる機会を、それこそ本気で等しく与える事ができてこそ意味がある。そのためのルール作りをするためには、本気で競馬の将来を鑑みれる人が、それこそ本気で、どの国で開催しても、すべてに“不利益な条件”になる様にルールの枠組みを作るしかないと、オイラは思っている。ローカルはローカルで楽しめばいいが、それを世界でゴリ推しするのは、自己満足な結果以外認めないのと同じである。