迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

馬名批判はほどほどにw

今年の菊花賞で、北島三郎が所有する愛馬、キタサンブラックが制した訳だが、勝利騎手インタビューでオーナー乱入で歌を披露するのは、ある意味前代未聞な出来事だった訳で、その詳細なことは、スポーツ紙や芸能ニュースなどで取り上げられたトコなんで割愛するが、一部、心ない輩が“『キタサン○○』とか、『コパノ▲▲』とかダサいわw”とか、“センスない馬名だなw”といった批判がSNSで散見された。しかし…忘れてはいけないが、中央競馬馬主資格を得ようと思えば、個人取得の場合、年収1700万円以上(過去2年間)で、保有資産が7500万円以上ないと認められない。組合(有志の出資による)馬主になる場合でも、各組合員の年収(過去2年間)が900万円以上、組合としての保有財産が1000万円以上ないと、たとえ気に入った良血馬をセレクトセールで買う事ができても、競走馬の馬主として認められない訳である。つまり、芸能人で個人名義、あるいは組合名義で馬主として競走馬を保有する事自体が、ある意味での“大御所”である事の証であり、その馬主自身がどんな冠称を使おうが、馬名をどうしようが勝手な話であり、競走馬を持つ事すら許されない貧困層の僻みでしかない。(もちろん、馬名登録に関しては、一定の規制がある事は、以前、このブロマガでも解説した通りだが…)逆転の発想で言えば、どんなに自分では洒落た感じの馬名を付けたとしても、後世において“厨二病、乙w”な感じになっても恥だと思わないのであれば、どうって事ない話であり、まして、どんな“珍馬名”であっても、格式と伝統あるGⅠレースで勝利すれば、それは“名馬”として語り継がれる事になる訳であり、どんなに“オレ、チョーカッコイイ”的な馬名でも、出走できなかったら“カッコワリーw”な訳である。
まして、馬主によっては、大和屋暁氏のように資格を取得できて、ほぼすぐぐらいでGⅠを制覇できる人もいれば、サブちゃんのように半世紀もGⅠに見放されっぱなしで、やっと戴冠できたという人だっている。そこんトコは“馬主としての勝負運”ってモンであって、人それぞれ。それこそ、20年で24回もGⅠ制覇し、所有馬が繁殖に上がっても成績が好調な金子真人ホールディングスは、いろんな意味で“太公望”な馬主である訳であり、それに似合うだけの勝負運に長けた人(法人組合)だという事でもある。そういう人らですら、時として“ヘンチクリン”な馬名を付けてる事があるのは言うまでもなく、単にふざけて付けた馬名でも、後々競争成績を振り返ったら、途方もない記録を残して“名馬”として君臨する事もある。今で言えば、ブチコがそれで、白毛馬で茶色い斑があるから名付けられたのに、出走の度に色々と話題になってる以上、たとえ重賞戦績がイマイチでも、歴史に名を残す事はできる。もし、血統的に優れていても、戦績も目を見張るような優秀さを誇っても、話題性に乏しいモノであったら、立派な馬名であっても覚えてもらえないだけでなく、そこらの凡馬扱いになりかねない。だからこそ、馬名を付ける時には、馬主とて、それ相応の願いや想いを込めて付けている…それこそ、自分の子供に初めて名前を付けるように、エエ加減な名前を付けたがる人はそうするだろうし、それこそ、人生そのものをバカにされる可能性だってある。けど、どんな名前であっても、その世界において最高の輝きを掴み取れるのであれば、それは“名声”となる。ゆえに、“ダサい名前”とバカにするのであれば、自分自身が世界中で知れ渡るほどの功績を残すべきであろう…他人をバカにするのは簡単だが、自分がそれに似合うだけの名声を得るのは、並大抵の努力では届かないのだから。