迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬を愛する語り部達…vol.1:園田の実況仙人・吉田勝彦

さて…そろそろこのブロマガの本題とも言えるネタに取りかかろう。本家の方で書いてある内容とほぼ一緒ではあるが、そこはニコニコのブロマガw 映像(てか実況音声)をいくつかピックアップする事が可能であるからこそ、文章で起こす手間を省く事も可能だし、余計な説明は不要だろう。しかし、それも時と場合によっては、削除されたり、事実と異なってるから、修正が必要となる。もっと詳しい事をやるには、それ相応のデータ集積が必要であり、だからこその再編を余儀なくせざる得ない事もある。
と、口上はここまでにして、本題に入ろう。タイトルの“競馬を愛する語り部達”という言葉そのものは、10年以上前に、グリーンチャンネルで白川次郎アナの特集をやった際に使われたタイトルだが、この言葉に対して、それは全ての競馬実況アナに対する“敬意”と見做し、敢えてパクらせてもらうw そして、今回、その第一弾は…全ての競馬実況アナが、必ずと言っていいぐらい、一度はその声を聞く為に、わざわざ園田競馬場まで足を運ぶという、競馬実況の“仙人様”的存在の吉田勝彦アナの話。ちなみに、このネタ自身は、2005年2月に本家の方でやった分(http://d.hatena.ne.jp/strayhorse/20050210/1108024118)である。ま、丸ごとコピーするのもなんなので、まずは、オイラ的に気に入ってる動画を見てもらおうw
この動画は、2008年に園田で開催されたJBCの最終レース…実は、吉田アナがこの“前振り”を言った理由は、かつて盛況だった頃の園田を知ってるからこそであり、また、もう一度こんな風に競馬ファンで足の踏み場もない程ごった返す場内にしたいという思いから、思わず口に出た言葉である。そして、その言葉に反応したファンの拍手に、これまた、答えたからこそ、ファンの間で“神前説”として、語り継がれている訳である。

そもそもは、洋画の吹き替え声優になりたくて、大阪にある声優養成所に通っていたんだが、加古川の実家から通うには、金銭的に余裕がなかった。そこで、仕事しながら発声練習もできるアルバイトを探していたら、ちょうど春木競馬場(岸和田競輪場の線路はさんで山手側に存在した。現在は廃止になり、跡地は公園と病院の敷地になった。)で実況アナの募集があって、それに採用されたのがきっかけで、この世界に入ったという。そしてデビュー時は春木と長居(ここも昔は競馬場があった。現在の長居公園長居スタジアムは、競馬廃止後に作られた。)で実況し、その翌年に園田競馬場に移籍し、以後主催者の名義が変更になろうとも、姫路競馬の実況も兼任しようとも、ずっと実況し続けたのである。そういった意味では、実況席にいながら兵庫県競馬の移り変わりを体感して来た人物でもあり、それゆえに多くの競馬アナの“師匠”ともいうべき存在になったのである。ちなみに、園田へ移籍した理由も金銭的な事で、春木や長居よりも、園田の方が賃金がよかった事から…との事。ま、通うのであれば、当時廃止寸前の大阪よりも、実家がある兵庫県内の方が利便性があったという部分も否めない訳だが…

“実況の師匠”と書いたが、関西のみならず、全国の地方競馬アナにも、この人の実況を手本にしているという実況アナが多いと聞く。一度でもその“吉田節”を聞いたらハマる事受け合いで、なかなかマネできる様なものではない。ゆえに、園田に訪れた競馬実況アナは、必死になってその実況テクニックを“盗み”取ろうとして耳を澄ませているという。しかし、マネはできても上手になる保証は無い。それもそのはず、吉田アナとてある事を視覚障害を持つ観客に言われて、研究したといわれている。それは、「競馬は実況が教えてくれるんや」という一言である。そう、視覚障害者だけでなく、競馬場に来ててもレースが見られない場所(スタンドの裏や食堂の中等)にいる人にとっても、実況は大切な“レースナビゲーター”であり、現場の状況把握の手がかりでもある。ゆえに、言い間違いや判断ミスは許されない。
また、園田に移籍後、彼はしばらくの間、厩舎での仕事もやっていた。もちろん、事情は現在の様に赤字経営だからではないw 競馬をもっと知りたいという勤勉さが、突き動かした最大の理由である。ただ目の前のレースの流れを言うだけでなく、出走馬に携わる人達の想いひとつひとつを、言葉に乗せてファンに伝われば…そんな想いがあってこそである。そんなひたむきさから、いつしか関係者からの信頼を得て、今でも“ゆりかごから墓場まで”の付き合いをする騎手や厩務員、調教師が多いという。余談だが、元々兵庫県競馬組合に籍があった岩田康成騎手が、今でも中央のGⅠや海外で勝つ度に園田競馬場で祝うのも、吉田アナがそこにいるからこそであり、また、小牧太騎手や赤木高太郎騎手も、元々園田・姫路の所属だったから、彼等もGⅠを勝つ事があれば、後日園田のウィナーズサークルで、大騒ぎになるモノと思われる。

そんな重責を担う競馬アナの仕事を淡々とこなしている吉田アナだが、実は実況アナとしては重大なハンデも抱えている。それは、彼もまた視覚障害を患っているのである。彼の右目は殆ど光を失ったまま、すでに30年以上経過している。当時の医師からは、いつ左目も失明してもおかしくないと宣告も受けたらしいが、現在でも実況できるほどだから今のところ大丈夫な様だ。なにせ右目が失明した事が、関係者にバレるのが怖くて朝の調教やゲート試験等も真剣に見る様になったという訳だが、それがかえって実況に深みが増すきっかけとなった。本人曰く、「両目とも見えてた時は、漠然として競馬を“見ていた”だけだったが、片目になってからは、競馬そのものを“見よう”と意識しないと見えない事に気付いたから。」
今でこそ、弟子として竹之上次男アナと三宅きみひとアナがいるから、特に中央との交流重賞時は実況を竹之上アナに任せているが、本当は自分自身で実況したいと思う事もあるらしい。しかし、いつまでも最前線で実況できる程の声が出てる訳でもないし、最高のパフォーマンスを人馬が魅せてるのに、年老いてヨレヨレの実況では申し訳がないという思いもあり、また、自分より若い者の活躍の場を、己の自尊心の為に奪ってはいけないという意識があり、もっぱら一般競走の実況以外は、なるだけやらないように控えている。だが、竹之上アナとしては、実のところ、吉田アナにJBCの実況をやって欲しかったトコがあった様で、竹之上アナの誇りになってる反面、悔やんでいる様でもある。

しかし、その謙虚さと、苦難に負けなかった精神力が、今日の吉田アナを築き上げた礎だろうと思う。だからこそこの人は今日も、園田競馬場の(あるいは姫路競馬場の)片隅で、口元に笑みを讃えながら実況に勤しむのである。

(参考:クリック!地方競馬 アナウンサーズボイス 2011年6月7日〜21日 http://www.click-keiba.tv/cback.html#t11)



オマケ:この写真は2003年、Gate.Jが心斎橋にあった頃に、兵庫ゴールデントロフィーのイベントが開催された際に撮影したモノ。