迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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“おうまのracecallerふんせんき”ウラ話w その2

前回のネタの続き…というよりも、後半4話での長岡“ルドルフ”と馬場“マックイーン”のやり取りに関して、ちょっとした“因縁話”をやっておこうと思いますw 個々の“事情”に関しては、各々の紹介記事に委ねるとして、ここでは、実際のトークイベントで垣間見せた、長岡一也アナが馬場鉄志アナに対して取った態度の一部始終を解説させてもらいます。

本家のレポートにも上げたんだが、そこの写真でも、そして第8話の写真画像でも見ててお気付きの方が多いとは思うが、実は長岡アナは終始、馬場アナを“避ける”様な仕草を見せていて、トークイベントの席順も、本来なら実況担当順に配置されるべきポジションが、何故か長岡アナと馬場アナの座席区間が隣同士にならない様になってました。(写真の通り、必ずと言っていい程、最低一人を間に挟んでます。↓)



これは、マジな話…今から40年以上前まで遡らないといけない因縁話でして、むしろそういう事がなければ、こういったことにはなっていなかったという事を説明しないと、少々ややこしい事になるんです。

その“因縁話”の発端は、馬場アナの学生時代の話になります…その名の如く、競馬好きが高じて、就職先も競馬関係がいいと、そして、できれば実況アナになりたいと思い、そのバイト先のひとつとして、ラジオNIKKEIの前身である日本短波放送(ラジオたんぱ)での雑用をする事にした訳である。当然、この当時は長岡アナは現役バリバリの局アナで、最前線で実況をやってたのはいうまでもない。つまり、この部分で“接触”がありまして、馬場アナはバイトで放送席に来る度、長岡アナの実況を間近で聞きながら、そのテクニックを学び、時には実況中に馬名が出なかったり、見間違えた事を、長岡アナ自身に直接指摘した…という事が度々あって、長岡アナ自身、いつも馬場アナがバイトで競馬場に来ることをビクついていたとか…しかし、当時学生であった馬場アナも、やがて就活の時が来る訳でして、のちに、馬場アナが大阪の放送局…ま、長岡アナにとっても親友とも言える、杉本清アナがいる関西テレビへ就職する事を知った時、長岡アナとしては一抹の不安と、“もう顔を合わす事はないなぁ…”という安堵感があったとか。しかし…まさかこのイベントで、あの“悪夢再び”になるとは、つゆ知らずw
一方、馬場アナにとっては、就職先として、本当ならラジオたんぱの方が“第一希望”の様だったんだが、先に書いた様に、長岡アナをはじめとした、当時のアナ達に相当嫌われてたっぽく、採用試験で内定を得る事ができなかった様で、逆に、カラー放送での定番化を果たした関西テレビとしては、もう少し、競馬中継の質を上げたかった事もあり、競馬に関する知識が豊富で、尚かつ、実況の基礎が既に出来上がっている馬場アナの存在は、ある意味有難い存在だった。そこで、採用試験の際に松本暢章アナが面接官となり、血統に関する質問をいくつかぶつけてみたところ、今でいうトコのヲタクぶりを発揮し、それで“即戦力”として採用となった様である。ま、馬場アナ自身も、バイトでたんぱの放送席に入れない時は、テレビでの杉本アナの実況を書き起して、何度も詠唱する程入れこんでましたから、これはこれで結果オーライだったのはいうまでもなかったんだが…

ちなみに、なんで二人が“ぬいぐるみ片手に殴り合い”になったんかといえば…長岡アナのトラキチぶりは、ファンの方ならおなじみの話だが、馬場アナは実は“くまプー”マニアで、彼のバッグには、くまのプーさんのチャームがついてたり、部屋に大きな大きなくまプーぬいぐるみがあるとかw ただ…20年ぐらい前はスレンダーでそこそこ美形だった馬場アナが、現在の様な“テディベア体形”になったのは、諸般の事情で離婚して、そのショックで暴飲暴食を繰り返したのが原因らしい…それで大事な喉まで潰したのなら、それはそれで“因果応報”ともいえるのだろう。