迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

言い違いとボカロ実況…スポーツ観戦を楽しむのに、何が必要か?

今日の“Charge for Weekend”での大関アナの意見…というか、本人の思考に対して、オイラから言える事は、リスナーの意見を参考にしても、それにまるまる乗っかかるな…って事である。確かに、言い間違いや見間違いは、競馬ファン、および関係者に多大な迷惑をかける事になるだろうが、それはあくまで“情報”としての“実況”であり、それでいいのであれば、何も生身の人間の肉声で実況を行う必要はない。ホレ、人気のゲーム実況動画でも、ユーザーの生身の声か、あるいはボカロや棒読みちゃんなどの擬似音声ソフトを使用するかで好みが分かれるかと思うが、リアルタイムでの瞬時の判断で実況する技術が必要であるなら、現時点でボカロ系の音声ソフトで競馬実況を行うには、それに似合うだけの文字入力と音階調整の自動化が不可欠であり、録画再生で実況するにも、その速度を調整するにも人間の生身の声の様にはいかない。要するに、感情を押し殺す様な、しかも淡々とした感じで音声ソフトによる“いい間違いのない”実況を聞いて、果たして競馬だけに限らず、様々な競技を楽しむ事ができるか?
人間とは、結構“無い物ねだり”をやる習性があり、それを如何反映させるかに心血を注いで、時間を無駄にすることが多い。もちろん、それ自体が“悪い”訳ではないが、あまりにもそういった“細かいこと”に拘りすぎて、肝心な“本文”を見失って失敗するケースが多々あるから、結局、生まれ持った才能を“無駄”と切り捨て、そして“何もできない”というジレンマに陥る。成功する人の殆どは、いろんな意味で“他人の意見”は“無視する”傾向がある。つまり、自分のやりたいスタイルを貫くために、敢えて相手の意見を参考にしない…ここで勘違いして欲しくないのは、だからと言って、単純に批判や苦情を無視するのではなく、できないことを要求された時に、はっきりと自分の意思で“できない”と答えられるほどの度量と、無茶振りする相手を納得させられる技能を見せ付けられるかが全てと言っていい。言い方を変えれば、“言葉の職人”としての技能が認められた実況アナでも、ヒューマンエラーを完全にコントロールできるほどの能力は有してないし、もしそれを求めるのであれば、自らがその手本を見せて、これをやれるか訊ねてみる事が最低条件となる。ド素人が生半可な知識や優れた聴覚を振りかざして、現役実況アナを罵る事は、単なる僻みと悪口でしかない。
もちろん、だからと言って、実況における“失敗”を言い訳するアナウンサーは、どんなに気さくで心象がいい感じの人物であっても、“言葉の職人”としては“失格”である。ただ…それゆえに人格まで否定してはならないし、まして、ちょっとした言い間違いや、疲労からの呂律が回らなくなって舌を噛む様な状況までも許さない様な者は、先日の情報番組のとあるコーナーで暴言吐いた解説者同様、失礼千万である。特に外来語に関して言えば、日本語表記(カタカナ)に置き換えて、正確に発音できてこそ…と考える人ほど、実は言語学を舐めてるとしかオイラには思えない。なぜなら、英語やフランス語、北京語等の外国語を普段から使っている訳じゃないのに、それをいきなり“早口で発音してみ?”と言われ、咄嗟にできるか…いくらプロのアナウンサーといえど、普段使いで外国語を喋れるとは限らないし、まして、大御所クラスの実況アナでも、外来語カタカナが“苦手”だという人は結構いる。(解説者でも変な発音で爆笑を誘う人、結構いますからねぇw)今の若手アナの場合、英語に関してはともかく、肝心の日本語の発音がおかしい人が多いのに、中堅・ベテランに対して、外来語の発音にケチつける時点で、お察しである。さっきも書いたが、人間である以上、ヘンな失敗はよくある話。それをも許せないのであれば、ボカロ等の擬似音声ソフトを駆使して、実際のレースや試合を実況してみたらいいだろう…完璧な発音で、アクセントで、試合を実況できたとしても、それを聞いてる人間に、その現場に漂う“リアルな感情”まで伝える事ができるか?生身の実況アナが、実況中にトチったりするのも、それは分相応の緊迫感や試合展開であったからこその“証明”であり、そこを排してまでも言葉の発音の正確さや聴きやすさを求めるのであれば、ラジオであれテレビであれ、何も生放送に拘る必要はないから、擬似音声ソフトによる実況もアリとなる。けど…それゆえに各放送局とも、実況アナによる特色がなくなるだけでなく、味気ない放送になりかねない。(もちろん、ネット環境に慣れた人なら、むしろこっちがいいと思う人もいるとは思うが…)
もちろん、言い間違いをチマチマと指摘するのはいいが、だからと言ってつまらない“揚げ足取り”ばかりしてると、特色を活かせる実況がつまらないモノに様変わりするし、どんな名実況も“迷実況”として叩くことになりかねない。本気で“いい実況”を求めるのであれば、些細な失敗には目を瞑り、単に感情的にならずに、さりとて現場の臨場感をも伝えられる技術を磨くように求めることが、ファンと称する者ができる指摘ではなかろうか。