迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

泉タソの決断…

既にご存知の方も多いかと思うが、来年1月付けで、佐藤泉アナが大阪支社へ再赴任する事になった。(てか、今月から既に、その伏線ともいえる状況なのだが…)今回の場合、ふたつの意味がある…ひとつは、藤田直樹アナの後任として大阪支社での指揮を引き継ぐ事、そしてもうひとつは、その役割を果たすハズだった広瀬伸一アナの遺志を受け継ぐ為…同期だからこそ、そして、その無念さを知ってるからこその“答え”だと考える方がスマートだろう。とはいえ、こんなイレギュラーな異勤を認めるラジニケの台所事情は、相当逼迫してるのだろうか?
佐藤アナの件に関して、詳しい事は後日行うとして、今回は、なんで大阪支社へ再赴任するかを検証する上で重要な部分…ここんトコの実況のシフトについて、ちょっと検証しておこうと思う。
佐藤アナが頻繁に西日本の中央主場に出没する様になったのは、2011年の4月…丁度、東日本大震災で、関東エリアの開催が自粛を受けた頃である。当初は先述通り、東日本での開催がなかった事もあって、開催のある西日本での中継の“応援”といったトコだったのだが、この様子が一変するのは5月以降…月に一度、必ず“関西出張”がシフトに組み込まれる様になっていったのである。本来、この役目は木和田篤アナよりも若い連中が担当するのだが、BS11での競馬中継において、スタジオ進行役として木和田アナと舩山陽司アナが抜擢を受けて、隔週で“欠員”になる様になって以降、上役と言えどシフトの除外を適用すると、確実に西日本での中継がままならなくなる…といったトコであろう。(まして、ヲタナベ局次長が、初めっから実況のシフトに入っていない時点で、明らかな人員不足なのだが…w)
しかし…もうひとつの問題点として、藤田アナの“存在”が、余りにも“空気”な点である。というのも、2006年以降、彼は実況席にいても、マイクの前に座っていない…もちろん、その原因は喉頭炎による声嗄れであり、現在でも(随分回復したとはいえ)痛々しい声のままである。しかも、彼自身は2009年の6月以降、定年により嘱託職員という扱いであり、競馬中継のバックアップを行う事はあっても、(一応、関西競馬記者クラブの会員資格を持ってると言えど)事実上は一線を退いた身分である。そして来年…つまり2014年4月(2014年2月3日修正)をもって、その嘱託期間も“終了”となる。言い方を変えれば、実況に復帰する事もなく、およそ10年もの間、檜川アナや舩山アナ、中野アナ、小塚アナ、そして大関アナのバックアップ…彼等が実況中に見落とした状況をフォローするだけに徹していたという訳である。だが…藤田アナが抜けると、完全に檜川アナの負担が増えるだけで、ただでさえギリギリの人員でやりくりしている大阪支社の中継スタッフにとって、ある意味“存亡の危機”と言っていい状況になる。以前、檜川アナや北野アナの話でもやった様に、広瀬アナが存命であれば、その不安は少しは和らいでいたと思われるが、6年前にその“希望”が絶たれた…だからこそ、佐藤アナは、この6年間、ずっと悩んでいたのであろう。しかし、その決断を下す為の時間は、刻一刻と迫っている…だからこそ、自らが志願したモノと思われる訳である。かつて、同期がダービーや秋天等の関東GⅠ実況の機会を捨てて、関西に骨を埋める事を決めた様に、自らの引き際を考えた時、一番自然なのはどういう姿なのか…

だからこそ、今後関西で、どんなにヘタレな実況をやる事になったとしても、ファンである以上は、そこんトコに関して、目を瞑ってやるべきではなかろうか?全盛期の様なパフォーマンスは無理であっても、そして、亡き同期に恥を掻かせる事になったとしても、自分自身が競馬実況アナとしてのけじめをつける為に赴任する事を決めた以上は、まずはキチンとその思いだけは受け止めてやって欲しい。それが、佐藤アナに対して、ファンが示すべき態度だと、オイラは思っている。


さて…今年のレギュラー更新はここまでです。来年以降は、ちょっと不定期になるかもしれません。紹介すべきアナ達の“擬馬化”ができてないのと、情報収集の時間がないからですw(意外と農婦は忙しいのだよ、いろいろと…)それでは、良いお年を…ノシ