迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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競馬を愛する語り部達…vol.17:全場制覇へ東奔西走・仙田和吉

オリジナル第3弾は、仙田アナに纏わる話…正直言えば、オイラは彼に関しては、あまり詳しくないw というのも、そもそもがRFラジオ日本からMBSへ移籍した者であると同時に、いわゆる“あどラン”以後組のMBSアナウンサーに関しては、集中して観察してる間が無かった為、イマイチ、イメージが湧かんw よって、参考資料は公式ホムペとwikiという敗北感満載な状況なのである…ともかく、仙田アナを説明するには、RFとMBSの利害関係を、ちょっと触れておかなくてはならない。そして、その“架け橋役”であるが故に、蜂谷アナや樋口アナが絡んでくる訳で…w

そもそも、MBSへ移籍する理由は、ひとつは、ラジニケのアナウンサーでなければ成し得ない“中央十場実況制覇”という野望と、推測の域ではあるが、RFの在籍スポアナに対する冷遇…特にNTV日本テレビ放送網の“子会社化”による、NTV在籍のスポアナ…特にベテランクラスが大挙として、ラジオでのプロ野球中継に登用された事による弊害が、一番大きな影響を与えたと言っていいだろう。つまり、スポアナとしての活躍の場を求めた時、関東でフリーという手もあった訳だが、それだと競馬の仕事が回ってこない事もあって、ならば、関西へ…という訳になる。しかも、MBSなら、ラ・テ兼営局であると同時に、ラジオの競馬中継に関しても歴史があり、しかも西側の主場開催競馬場へ実況しに行くから、RF時代と含めれば、ラジニケの実況アナでなくても、中央十場を網羅できる訳である。そう…仙田アナだからこそ達成可能な記録がそこにあった訳で、言ってみれば、MBSゆえの“チート”が使えるからこそ、MBSへの移籍を決めたと考えていいだろう。
また、MBSにも、ちょっと困った事情があって、丁度仙田アナが移籍する頃に、スポアナの欠員が相次いだのである。ベテラン級の定年・子会社のCS放送局“GAORA”への出向や、人事の刷新によって、スポアナそのものの数が激減してたトコで、いい意味での“助け舟”が来た様な状況だった訳である。しかし…こと、競馬実況に関して言えば、むしろ余剰がある様な状態で、本人が希望する、競馬実況との兼務は、まったくといっていい程できない状況だった。と、言うのも、MBSとしては、仙田アナに対して期待してるのは、プロ野球中継での実況要員であって、移籍当時の競馬スタッフは、当然ながら蜂谷アナも現役で実況してたし、来栖アナも蜂谷アナの後継者としてほぼ確定してたトコもあり、競馬中継に必要な人員は、完全に確保された状態だった…しかし、それが一変するのは2004年以降である。
最初のきっかけは、それまで競馬実況と兼務していた金指誠アナの異勤で、諸般の事情でアナウンサーとしての一線を退く事で、一人分の空席ができた訳である。そこで、関東でも競馬実況の経験がある事をウリにしてた仙田アナに、競馬実況アナへの復帰を許したのである。そして、期待のエース候補の呼び声が高かった、大八木友之アナが、ローカルニュース番組“VOICE”のメインキャスターへの登用が決まり、2006年の高松宮記念を最後に双眼鏡を置いた事で、GⅠ実況のアナウンサーとしての活躍が約束されるとともに、後継アナの指導官としての役割も担う事になる…そう、蜂谷アナが2007年に退いた事により、河本光正アナの育成を、やっていく事になる訳である。

そういえば、先に“あどラン”以後組に関する説明が抜けてるが、現在のMBSに在籍するアナ達は、大まかに分けると千里丘と茶屋町、“あどラン”経験者とそれ以外に分類ができる訳で、仙田アナは“あどラン”が終了してからの入社・移籍なので、分類上は“茶屋町・あどラン以後組”となる。ちなみに競馬班でそうなのは、2007年入社の河本アナと仙田アナで、美藤アナと来栖アナは“千里丘・あどラン経験組”なのである。本当なら、大八木アナは“茶屋町・あどラン経験組”というレアキャラだったのに…w