迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

ボートレーサー達の“ゲン担ぎ”?!

ま、来週に蜂谷アナの話をじっくりやる訳なんだが、そこでは取り挙げなかった話を少しやっておこうw タイトルを見て、“競馬の話じゃないのかよ?!”とツッコまれる方も多いかと思うが、中央競馬の騎手や調教師、厩務員が、本業サボってホノルルマラソンに出走するのは、いろんな意味で本末転倒な話になるし、まして、開催時期が年末GⅠ戦線…そんな時に、仕事がないならともかく、わざわざ休業してまでハワイに行くバカはいないw(いや、過去にはいたけど…) しかし、他の公営ギャンブルの関係者となれば、話は別。特に若手選手の場合、出場機会がまったくなくて、暇を持て余す者も多い。もちろん、年間リーディング(賞金争い)が掛かってる場合はともかく、そういう実績が乏しく、しかも戦績がイマイチで、どうしようもない状況の者も多い。実は、ボートレース(競艇)の選手の間では、“ホノルル走った翌年は、成績が上がる”という都市伝説級の“ジンクス”がある…そのきっかけになっているのが、実は蜂谷アナ関連の話なんですw

というのも、MBSは競馬だけでなく、住之江でのボートレースの中継をやっていて、主に箕面市が主催で行っているレースの中継を、不定期ながらやっていた。(最近はナイターレースが増えた事と、他局が中継をやる様になって激減してるが…w)その兼ね合いで、蜂谷アナが住之江競艇場にいる事もあって、多くの競艇選手にも顔を知られている。特に、住之江に在籍する競艇選手にとって、何かと世話になる機会も多く、公私に渡る付き合いもよくやってる訳である。で、なんでホノルルマラソンに纏わるジンクスが、全国の競艇選手達に広まっているのかと言えば、住之江に在籍する選手の中に、ホノルルを走った翌年に賞金王になった者が出た為で、その時噂が広まった訳であるw ただ、そのきっかけが、まさか“あどラン”絡みだという事に、誰も気付いていない…
そもそも、蜂谷アナがマラソンを始めるきっかけは、“あどラン”の企画でやった事が高じてなんだが、実は、ホノルルマラソンに関する話をラジオで放送する際に当たって、そのスポンサーを住之江競艇が担っていた事もあり、ついでの企画として、若手の競艇選手を帯同させて、ホノルルマラソンを走らせるという“お約束”を作った訳である。で、9月の段階で若手や中堅の選手で、12月にスケジュールを空けられそうな者に声を掛け、本番に臨んだのである。ま、他の公営ギャンブルの選手といえど、日頃から身体を鍛えているのであれば、短期間のジョギング主体トレーニングもアリな訳で、特に競艇選手の場合、ボートを使っての訓練は、開催中の場合、レースの合間に乗る程度であり、開催がない時でも、場外発売時以外で乗る事は、様々な制約を受ける。特に住之江競艇場は道路を挟んで向かい側…住之江公園方向には、公営団地や古くからの住宅街がある関係上、開催時以外は爆音を立てて練習する事はできない。そういった事もあって、若手選手がなかなか練習する機会がなく、しかも、住之江は重要なレースを開催する競艇場とあって、余程でない限り、住之江でレースに出る事ができない…なんて事もしばしば。そこで、これから有望な選手にチャンスを…という事で、蜂谷アナがホノルルマラソンに出走する際に帯同して、一緒に走らせようという訳になったのである。
で、最初は“あどラン”の企画だから…という訳で、大っぴらにやる事はなかったのだが、“あどラン”の手を離れて、野球シーズンオフのラジオ特番の企画としてやる様になってからは、そういった若手に声を掛けて走る様になったんだが、この参加者から、賞金王となる者が現れる…オイラの記憶が正しければ、1997年に太田和美選手がこの企画でホノルルマラソン完走後、翌年の賞金王決定戦で優勝したのだ。この事から、住之江の競艇選手の間で、“蜂谷アナと一緒にホノルルを走れば、翌年、賞金王になれる”という噂が立つ様になり、それがどういう訳か戸田競艇所属の選手の間にも伝播し、後々、多くのボートレーサーが賞金王の対象から外れた途端に、ホノルルマラソン出走の為に、スケジュールを空ける様になったとか。

ただ…最近の困った傾向として、ホノルルマラソンに参加するボートレーサーの中には、蜂谷アナを探して走るという事案がある様で、中には、“蜂谷アナに勝てば…(ry”という、方向に話が広がってしまってて、当の蜂谷アナ自身も呆れてるんだとかw