迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬を愛する語り部達…vol.14 湖国に咲く大輪の菊花・北野守

今回は久々にラジニケです…否、彼の場合は“ラジオたんぱ”の方が正しいですねw ちょっと紹介する時期としては早いかと思いますが、今回は北野アナにまつわる話。とはいえ、このネタは本家で、2005年の6月(http://d.hatena.ne.jp/strayhorse/20050612/1118587643)にやっているんで、ネタ的には結構古いんですよw(いろんな意味で…)ま、いわゆる“エアエミネム事件”と言われる大失態を期に、双眼鏡を置いて10年経過する訳で、もう既に忘れてるファンも多いでしょうし、北野アナの実況を知らない世代も増えて来てるんで、振り返るには、丁度良いのかもしれませんね。

生まれも育ちも滋賀県栗東市、しかもその昔“栗太郡栗東町”としてまとまる以前から現在に至るまで、ず~っと生活の基盤をこの地に置いている。(とはいえ、現在の仕事の拠点は京都市内にあるんだが…)そもそもアナになろうと決心した理由が、たまたま聞いてたKBS京都のラジオで新人アナの紹介があって、そのうちの一人が自分が進学する大学の卒業生だった事がきっかけだったという。その後大学を通いながらアナウンスの基礎を学ぶ為に、“生田教室”(関西では名門のアナウンサー育成のスクール。元・NHK神戸局のアナだった生田博巳氏が開設した。創立者は既に故人だが、その精神を受け継いだ弟子達が、現在でも育成を担っている。)に通い詰めた。そして、夏休みに九州出身の先輩に連れられて、初めて皿倉山に登って小倉競馬場を見た時、“いつか、あの競馬場を訪れたい。”と心に誓ったら、まさか仕事で行くハメになるとは考えもしなかったらしい。

同い年の藤田アナとともに、関西の競馬ファンから“西の双璧”と言われる様になったのは、1980年代あたり…その頃から、菊花賞春の天皇賞では“定番の声”となった。他のアナと違って、常に“です・ます”口調で進行し、どんなに興奮した状態でも、決して声が裏返らない(元々、高音域の澄んだ声だったから、裏返った声でも解らない。)実況は、聞いてる人々に安心感をも与えてた。が、その“名調子”が、“あのレース”を境にダメになってしまった。2001年の菊花賞である。

その前兆は、実は春先の人事異動まで遡る。この時、長年一緒に仕事していた藤田アナがその年の桜花賞実況を最後に、当時競馬担当だった竹川英紀アナ(現在は“RN2”の仕掛人w)と入れ替わりで東京本社へ転勤する事となった。元々、北野アナと藤田アナは常にセットで仕事していたモンだから、その“相棒”がいなくなると、ベテランであるが故の慢心が実況にも出てくる様になり、それが一気にカタチとなって吹き出たのが“あの失敗”である。そう、マンハッタンカフェエアエミネムの認識間違いである。本来なら、補佐役になってるアナが放送席の後ろから間違いを指摘し、補正しながら実況するのだが、そのフォロー役がいつもの藤田アナや広瀬アナではなく、竹川アナがやったモンだから、北野アナが全然信用していなかったのか定かではないが、結局最後までチグハグな実況となり、多くのファンや関係者に迷惑をかけた。そして一年近く、北野アナは実況席から姿を消した。(その結果、藤田アナが大阪支社に戻ってくる訳なんだが…)そして、2003年12月、有馬記念が行われた中央競馬のその年の最終レースになる、阪神競馬第12レースファイナルステークス。このレースが終わると、中央競馬のその年の開催が全て終了する。この締めくくりのレースで、彼はラジオたんぱのアナとして最後の実況を行った。それはまさに、往年のG1実況の様な鋭さを持った実況だった。誰しもが、“まだこんな実況できるのなら、来年はG1復帰かな…”と思わせた。が、それは彼なりのファンに対して、“惜別の実況”を行ったモノだったのだ。

余談だが、なんで、竹川アナと藤田アナが入れ替わりをしたのかっていうと…そのきっかけは、広瀬アナと檜川アナのとった行動に至る訳で、彼等が大阪支社に残る事を志願した影響で、実は若手との“交代要員”がいなくなったためで、元々“西の双璧”そのものは、この話が出るまで、東京本社での業務を、殆どやってなかった訳である。しかも、北野アナの場合、高齢者介護(当時、90歳近い祖母がいた為。彼もまた、杉本アナ同様に、家督を継いでますんで…)の面から動けない…という事情があって、藤田アナに白羽の矢が立った訳である。しかし、北野アナが抜けた後の大阪支社がエラい事になったのは、このブロマガで広瀬アナや檜川アナのネタを先に読んでくれてる方ならご存知の通りであり、2007年9月…広瀬アナが亡くなった時、その葬儀の場で大泣きして、自分自身の腑甲斐なさを悔やんだという。それ以前にも、とある競馬のイベントでゲスト出演した際にも、ファンの声に実況で応えてやれない自分に悔し涙をこぼす程、本当は競馬の仕事がしたくて仕方なかったのだが、それを押し殺しているのは、やはり“プロとしてのプライド”がそうさせているのでしょう。

さて、一見するとどこぞのヤクザのボスみたいな風貌の北野アナだが、実は大の笑い上戸w 一度ツボにハマって笑い出すと、もはや“制御不能状態”で、かつて競馬中継の最中でも、堪え切れずに大爆笑して、隣で実況の準備をしてた同僚に、進行を任せて逃げちゃった程w それ以来、迸りを受けたくない同僚達は、噴き笑いを始めた途端に放送席から離脱し、それでもダメなら襟首を掴んで“強制終了”という荒技(?)でマイクに近付けない様にする…なんてのが日常茶飯事だったそうな。また、彼もタカラヅカのファンでございまして、愛娘をタカラジェンヌにしてしまった程(現在は引退して、親子で芸能プロダクションを経営中)。阪神開催の時に、通常なら阪急仁川駅から西宮北口に向かうのに、その逆方向のホームにいる時は、娘への陣中見舞いと洒落込んでた様ですw そんな中のエピソードに、娘の同僚が自宅に遊びに来た時、流石に目のやり場がなかったとか。(のちにトップスターとなる、水夏希がそこにいた…らしいw)
ちなみに、北野家は栗東市でも有数な銘家でありまして、かつては某集落一帯の地主だったとか。そのおかげで、実は他局の関西ローカルのスポット番組で、一しがない局アナなのに、広大な敷地の豪邸に住んでいるという事で、取材を受けた事があるそうなw また、今でも近隣の農家から、色々と農作物を分けてもらう(てか、年貢として収めにくる?!)事もしばしば…

(2018年7月6日追記)2018年2月にグリーンチャンネルで放映された“競馬書記”で、父親が眼科の開業医をやっていたという話をやっていたんだが、その教えとして、普段から目の健康に気を使えということを聞いてて、それを実践してたことから、今でも視力が0.7のままで、しかも老眼にもなってないという驚異のアンチエイジング振りを披露してたが、実はこれでも、競馬実況で視力を酷使して落ちたのであり、引退後、動体視力を酷使しなくなった途端に近視が止まったことや老眼に至ってないことを踏まえると、いかに競馬実況は目を酷使する仕事であるかを証明する話になった訳である。また、“目の保養”に関する教えの一つに『美しい女性を見ろ』という旨の話をしてたが…つまり、彼氏が他の女性を見てぼーっとしてるからと言って、往復ビンタを喰らわすのは、常に目を酷使する実況アナに対しては、やめてさしあげろな話でありまして…w