迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬法と民放の歴史。

一見、何の繋がりもなさそうに見えるこのタイトル…しかし、現行の競馬法が制定されなければ、競馬中継そのものも存在し得なかった訳であり、また、戦後の民放開局ラッシュがなければ、NHKでの、しかもクラシック以外のGⅠ競走の実況中継なんぞ、放送される事なんて、皆無だったとも言える訳である。つまり、公営ギャンブルの歴史と、民間放送局の歴史は、皮肉な事にリンクしてる部分があり、そこを無視して“ギャンブル=社会悪”で語り始めると、名実況のアナ達は、デビューする前から“リストラ要員”になりかねなかった訳である。

以前にもブロマガで解説したが、競馬をはじめとする公営ギャンブル…宝くじやtotoを含めた、国や自治体が“胴元”として開催しているギャンブルは、刑法に基づく“富くじ・賭博の開催禁止”という法律上の規制に引っ掛かる。しかし、なんで公営ギャンブルが開催されるかと言えば、その“アンチ法”として、それぞれのギャンブルには、開催規定ともいえる法律が存在する。つまり、刑法における“例外事項”として、胴元が国や地方自治体であり、また、その収益は税収の補填という明確な目的があると認められているが故に開催できるのであって、その目的が果たされた時点で、本来は開催を“終了”したとしても、法律上問題ない訳である。ひっくり返った言い方をすれば、廃止になった競馬場の殆どが、採算が取れなくなった事と、その役目を終えた事を理由にしてるのであって、その清算事業に必要な資金がある内は問題なくても、単に、自治体のイメージアップの為とか、集客努力もせずに職務怠慢のツケで廃止する事は、いろんな意味で本末転倒な話である。(上山競馬の廃止は、まさにこれに該当する話であり、同じ事は益田競馬でも言えた話。但し、福山競馬や中津・荒尾等の廃止は、主要産業の衰退が一番の原因。)
では、この競馬法はいったい、いつ制定されたのかと言えば、現行の競馬法の基本は、1948年(昭和23年)に施行されていて、これは、日本国憲法下での競馬開催を可能にする為に制定されたモノであり、これによって、馬券の発売も解禁になったと言って良い。それ以前はと言えば、大日本帝国憲法の下において1923年(大正12年)に西洋競馬を開催していた競馬場での馬券発売を認めた競馬法がありました。しかし、戦後に大日本帝国憲法が事実上廃止になった事を受けて、この法律も効力を失ったのです。そこで、日本国憲法下で改めて、制定し直したのが、現行法なのです。ここに地方競馬の取扱いも規定したために、埼玉県が初めて、地方自治体としての“主催者”として競馬を始め、事業者が農水省直轄の外郭団体としての中央競馬と、自治体が独自で主催する地方競馬が、日本では存在する事になる訳です。ま、中央競馬の場合、その根本となる組織が11からなる競馬倶楽部という、西洋競馬の開催をやっていたトコであり、地方競馬はそもそも、各地の神社での“奉納競馬(要するに、神事)”として開催した事が
起源ですから、違ってて当然なんだが…
では、民放はどうやって開局していったかと言えば、これはGHQの指示によるモノであり、1951年(昭和26年)9月に、CBCとNJB(現:MBS)が開局する訳なんだが、実は、計画ではその翌年の4月に、放送免許を取得した当時の放送事業者が一斉に開局する予定だったのに、CBCの上層部…というか中日新聞社が、毎日新聞社朝日新聞社を出し抜くために、開局を早めた…というマユツバな話がありまして、その情報を聞きつけた毎日新聞社が、当時のNJBスタッフに開局準備を急がせたなんてエピソードがあり、そして、この2局が“フライング”した事から、他の事業者も年末に掛けて、相次いで開局したのです。(で、この約束事を律儀に守り過ぎたのがCRKでありまして、後々、旧OTV大阪テレビ放送およびKTV開局に伴うゴタゴタに繋がる訳だがw)そして、その翌年にNJBが放送プログラムの一環として、東京競馬場にスタッフを派遣して、日本ダービーを中継した事から、民放での競馬中継の歴史が始まるのです。当時はラジオのみの話であり、しかもJRAが本格的に発足する以前の話ですから、当然、関西での馬券発売はなかったと推測されますが、恐らく、スポーツ中継の一環として実施したのと、NJBが関西圏での公式実況スタッフとして、京都と阪神の主催者(競馬倶楽部?)と契約を結んでたため、こういった事が実現できたと考えいいでしょう。
やがて、1954年(昭和29年)7月に、世界で初めての民間で運営する短波放送局、日本短波放送…現在の日経ラジオ社(ラジオNIKKEI)が開局し、その特性に目を付けたJRA理事長、有馬頼寧が後々に下した英断によって、全ての放送局が競馬中継から撤退するきっかけになったのです。しかし、関西ではMBSKTV、そしてKBS京都は、独自での競馬中継を継続し、関東ではRFとフジテレビ、東京12チャンネル(現:TXテレビ東京)、TVKテレビ神奈川が、同じ理屈で競馬中継の存続を行ったのです。特にテレビ局にとって、カラー化に伴う映像コンテンツの一種として、競馬中継を存続させた訳であり、視聴率云々抜きで放送し続ける理由も、今後もいろんな方面での放送技術の実験の場として、最新鋭の放送機材を注ぎ込んでいるのです。

つまり、現行の競馬法が制定された事によって、黎明期でコンテンツ不足だった民放が、競馬中継をするきっかけにもなっている訳であり、その選択肢として地方競馬ではなく、始めから“国営競馬”の流れを汲むJRA中央競馬を中継していったから、地方競馬に対するイメージ錯誤が生じる様になり、一部の中央競馬ファンから“地方競馬草競馬”というレッテルを貼られる原因となっていった。そういう意味では、マスコミの罪は深い。(それを打ち砕かんとしたのがハイセイコーであったり、オグリキャップだったとも言える訳なんだが…)