迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

“あどりぶランド”と競馬の話w

さて…今回はこのブロマガの主旨から離れる様な話になるが、MBS毎日放送の在籍する競馬実況アナ…特に蜂谷アナや来栖アナを解説する際には欠かせない要素である、かつて毎週水曜の深夜にやっていた無謀な番組“あどりぶランド”(通称:あどラン)について、ちょっと解説しておこうと思う。ま、本家では散々やりまくって、最近ではネタ的に枯渇した事もあり更新を休止してるが、このブロマガでは簡単にではあるが、改めて、やっておこうと思う。

お気付きの方も多いかと思われるが、このブロマガの更新時刻、実は“あどラン”の初期の放送開始時刻に合わせてあります。また、PCでブロマガをご覧の方ならお解りかと思うが、壁紙のイラストも、それに準じて作成したモノですw(意味がわかってる人って、どれぐらいいるのやらw)この番組は、今から30年以上も前に、ラジオ版の特番として、MBS在籍のアナウンサー全員に出てもらおうと企画し、放送されたモノが、1984年1月25日に、テレビのレギュラー放送としてスタートした、オムニバス形式…というより、行き当たりばったりな内容の番組でした。基本、番組の放送時間は60分、最長でも2時間半の枠で、毎週水曜の深夜に、関西ローカルで放送していて、途中から、CS放送GAORAでのサイマル放送(原則、一週遅れ)も行われました。そもそも、この企画自身は、先週の平松アナの紹介でもちょこっと登場した、斎藤努アナのアイディアで、水曜深夜の視聴率確保と余剰人員…もとい、普段、活躍の場がないアナ達の“実験放送”という位置付けで、次の番組が企画・制作されるまでの“穴埋め”として、少ない予算で作れる利として、在籍するアナウンサーの全員参加を前提に、できるだけ同じネタをやらない、若手とベテランのパワーバランスは均等になる様に、番組は構成されていました。よって、タレントが登場するのは原則、最初のコーナーである『よってたかってインタビュー』の枠のみで、それ以外の部分はすべて、企画担当になっているアナ達だけで進行するという、ある意味ラジオNIKKEIで金曜深夜に放送中の“アナライズド”シリーズ以上に、自由奔放な内容がメインでした。
とはいっても、番組の性質上、職務に関連する私的なネタはともかく、エロと自己満足なネタ…特にモノマネやのど自慢、一発芸の類は、基本NGの方向であり、逆に某芸能事務所バリの小ネタ・ギャグコント、演劇に関しては、本職をほっぽり出して(?!)やりまくっていた。つまり、個人的なネタで目立つよりも、“全員参加”の主旨を踏まえた上でのネタであれば、なんでもアリなトコがあった訳で、その結果、今まで主役として注目されにくかったアナが、企画の関係で“英雄”として担がれる事もしばしばあったのであるw
では、この番組で競馬のネタはやっていたのか?当然w 蜂谷アナ達が在籍してる以上、番組で競馬のネタをやらない事はない訳で、特に、かつて吹田市万博公園に近所にあった、千里丘放送センターで制作してた頃は、ちゃんと特集する時間を設けては、放送されていました。特に、1989年11月8日と15日は、2週連続での競馬ネタで、8日放送分では『よってたかってインタビュー』に武豊騎手が登場し、翌、15日は競馬初心者な女性アナ二人のエリザベス女王杯観戦レポートが放送されました。
ただ…当時の競馬アナ達にとって、この水曜日は一番都合の“悪い日”であって、現在の様にトレセン取材が水曜の早朝に集中しているのならいざ知らず、当時は木曜の早朝に追い切りが集中していた加減で、放送2時間前の収録といえど、それに参加するには、自身が企画したネタが放送される予定になっているか、他の人の企画に強制的に参加するしか方法がなかった。また、小倉競馬の夏開催時は、期間中全員が小倉に滞在してた事もあり、収録どころか、番組企画に参加する事すらなかった。むしろ、番組が衰退した最晩年の1997年頃になるまで、ある意味“はぐれメタル”状態だったのはいうまでもないw(それでも確率は“メタルスライム”だったのは、アレなんだが…)

番組自体は1998年の3月18日に終了したが、その精神は、現在も“ちちんぷいぷい”を中心とした、MBS制作の番組に引き継がれている。そして、MBSの放送の歴史の中で、燦然と輝く(?)看板番組のひとつとして、その名が刻まれている訳である。


(2018年11月22日追記…放送終了から20年経った今年、深夜ラジオ番組“あどりぶラヂオ”として復活し、現在、毎週木曜深夜(てか金曜早朝w)の放送枠は、在籍アナ達による気まぐれ企画になってますw 放送担当予定とかは、公式ホムペで公開されてます。)