迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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競馬を愛する語り部達…vol.9:市長になった競馬実況アナ・平松邦夫

さて…そろそろラジオNIKKEIのアナばっかやってるモンだから飽きちゃった人も多かろうと思い、変化球を投げてみますかw という訳で、今回はMBS毎日放送から登場してもらいましょう。タイトル通り、今回は平松前大阪市長のアナウンサー時代の話。このネタ自身は、本家で2007年の4月にやった(http://d.hatena.ne.jp/strayhorse/20070415/1176610135)のだが、その後、腐敗しきった大阪市の立て直しをという、各方面の声に乗せられて、大阪市長選に出馬し、現市長である橋下徹大阪府知事との“府市長ダブル選”で僅差で破れるまでの4年間、大阪市の顔として活躍したのは、かつてのファンならずとも、大阪人…否、関西人なら誰もが知ってる話。そこんトコもひっくるめて、今回はリスペクトしていこう。

関西人で、オイラぐらいの世代なら“MBSナウ”というローカルニュース番組を覚えている人も多かろう。現在でいえば“Voice”がそれに当たる訳なんだが、実はこの二つの番組は、MBSの競馬中継に対して、とんでもない“大罪”を犯している。それは、貴重な実況アナをメインキャスターとして招聘し、降板させた事である。とはいえ、大八木友之アナ(現在は報道部所属の記者だが、メインキャスター扱い)の場合は、前任の三沢肇記者のTBS出向に伴う人選で、他のアナ達よりも若かった事と、競馬アナではもったいないという事情があったからだが、平松前市長…もといアナの場合は、むしろ競馬実況での“大失態”がきっかけで、報道へ移行した経緯がある。というのも、元々、平松アナ自身、競馬を含むギャンブル全般が大好きで、特に競馬に関しては、出身が尼崎…しかも、園田競馬場の近くだった事もあって、幼少期から馬好きが高じて、いつしか競馬関連の仕事がしたいと考えていた。そして、MBS入社後、自ら競馬中継のスタッフになる事を志願したという。ま、同期が野村啓司アナや佐々木美絵アナといった“個性派”ばっかが揃っていた事もあり、単なる真面目キャラでは存在が埋没しかねなかった事もあり、あえて“修羅の道”を選んだと言って良いだろう。
ただ…今までの説明でもあった様に、競馬実況アナにとって近眼は大きなハンデであり、のちにそれが因で、大失態をやらかすのである。また、当時はテレビの方で“ネットチェンジ”という転換期を迎え、TBS系列になった事を受けて放送番組の一部を刷新し、特に報道番組に関しては、30分枠での番組を、平日夕方の帯番組として放送する事になった…これが“MBSナウ”というニュース番組である。当時、いろんなアナ達でテストケース放送をやったのだが、これで好評だったのが、“アップダウンクイズ”で定評があった小池清アナと、関西アクセントを抑えながらも聞き取りやすく、安心感がある平松アナだった事を受け、小池アナをメインに、サブとレポーター兼務として平松アナがレギュラーとなった。そして、この時は競馬とニュース番組の兼務はできると過信した事が、競馬実況アナとして“失格”の烙印を押される事となる訳である。その失態とは…有馬記念での実況で、2着馬と3着馬を見間違えたのである。そう、“エアエミネム事件”と同じ事を、実は平松アナもやってしまった訳である。この事がきっかけで、事実上、競馬スタッフから追放される事となり、それを受けて、本格的に“MBSナウ”のキャスターとしての道を歩む事になる訳である。その後、小池アナ降板を受けて、メインキャスターとして、放送開始から18年もの間、MBSの“夕方の顔”として君臨し続ける事になる。
さて、競馬好き…というよりも“馬好き”という一面は、時として別の才能を発揮する起爆剤にもなっている。それは、絵画を描く時に、そのモチーフが馬である事…かつてMBSの深夜番組に“あどりぶランド”(通称:あどラン)というのがあった訳だが、この番組の企画で、MBS在籍のアナ達が絵画を描く事になった時、真っ先に候補になったのが平松アナの作品だった。そう、彼は予選でのパステル画で馬の首を描いたのだが、審査に当たった画商や絵画教室の先生達が、その描写の細かさと表情の豊かさに感嘆し、真っ先に大型キャンバス画の制作を指示した程である。オイラもこの企画後の展示会で実物の絵を見たのだが、写真でも見てるかの様な錯覚をも感じる程、毛並みの美しい青毛馬の絵を描いていた。(展示会後、会場提供した画商が、他の美術商とその絵を前にして、出来映えに惚れ込んで商談があったとかなかったとかw)

MBSナウ”の刷新に伴う降板をもって、アナウンサーを引退し、一時はニューヨーク支局長としてアメリカへ渡航し、帰国後も役員室長という裏方をやっていたのだが、いわゆる“政権交代”の風が、平松アナの生き様を大きく変える事になる。それは、当時の現職だった関淳一市長に、真っ向から対抗する相手として、小沢一郎をはじめとする一部の政治家に担がれたのである。当然だがその裏には、かつて“MBSナウ”でコンビを組んでいた先輩、斎藤努アナの影がちらついていたのは、オイラが察してたトコであり、事実、この二人は今でもコンビを組んで、なに仕出かすかわからん状況であるw(彼等の事を知りたい人は、コチラを参照されたし →http://www.with-ppl.jp)そして、2007年11月…その選挙で平松アナは大阪市長となる訳だが、のちに“とんでもない相手”を前に、再選を阻まれる事になる。ま、この件に関して、あまり深くツッコまない事にするとして、たった一期だけと言っても、競馬を愛した者が、一国一城の主となった事実は覆らない。そして、次の大阪市長選、あるいは大阪府知事選に出馬する可能性は大いにあるだけに、予断を許さない状況である。