迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

ウオッカ…

エイプリールフールだと思いたいニュースが、桜花賞を前にして飛び込んできた…アイルランドで繋養されていたウオッカが、蹄葉炎安楽死処分された。種付けのために英国ニューマーケットへ赴いた時、スタッフが歩様の異常に気付き、病院で検査したところ右後肢第3指骨の粉砕骨折か認められ、緊急手術を受けたものの、両後肢に蹄葉炎を発症したため、予後不良という診断となった。経緯を見て“それなんてテンポイント?”ってなったのは、オイラがBBAだからか。

今更、ウオッカがどんな競走成績だったとか、“ウマ娘”での描かれ方がどうのと、オイラが説明する必要もないだろうし、ググればいくらでも資料が出てくるんでここでは割愛するが、オイラがウオッカと最接近したのが、今から10年前の日本ダービ公開調教に当たって、栗東トレセンに行った時…当然だが安田記念の1週前追い切りの日でもあるから、見学中に出会う確率は、ある意味ワンチャンあった訳で、他の見学者も、それとなしに気にはしていた。そんなこんなで施設見学で移動中、坂路コースの計測タワーへ向かってると、コース入口付近で準備運動をやってるトコに遭遇したのである。鞍上の調教助手が気を利かせ、見学者に声をかけると、しきりにカメラ目線でポーズをとる、気さくな対応に、愛くるしさを感じました。“ウマ娘”風に例えると、それはまるで、ファンの声に応えて笑顔で手を振る、とても乙女な姿でした。

12年前の日本ダービーは、菫華の君が最後に見たダービーであり、それが64年振りの大偉業であり、平成の競馬史において、牝馬三冠は秋華賞創設から数えて4頭いても、牡馬クラシック戦線で紅一点のダービー馬は、一部ファンから“府中専用機”という批判あれど、たった一頭…この事実は覆らない真実にして、もう逢えない存在となってしまった。幸い、後継繁殖牝馬が2頭いるとはいえ、、今年もフランケル産駒を無事に出産して、今シーズンを迎えた矢先の悲劇。同期のダイワスカーレットとの“産駒対決”は、この先、もう望むことは不可能となってしまった…

話は逸れるが、“テンポイントの悲劇”を知らない世代にざっくりと説明すると、1978年1月の京都競馬場日経新春杯に常識外れなハンデ、66.5kgの斤量を背負って出走したテンポイントがレース中に故障し、当時の獣医師判断からしてその場での安楽死処分が望ましいという診断結果に対し、馬主が僅かな望み…血統的な後継馬生産を叶えるために、どうにか治療して欲しいと願い、大手術を行ったものの、その42日後、蹄葉炎で自立不可となって息を引き取った。この出来事は、後に杉本アナが“FNS系競馬実況の神”となるきっかけとして語られる事となり、また、骨折を伴う故障馬の外科治療に関する研究データとして、今日の競走馬の治療方法の基礎を築き上げる事となる。ウオッカの治療に関しても、恐らくはこの時のデータに基づいて発展させた骨折治療を行なったと思われる。ただ…テンポイントもそうなんだが、馬も含めた四肢で全体重を支える動物にとって、複雑(粉砕)骨折は、予後が思わしくないケースが殆どで、当然だが、痛めた脚を庇うあまりに反対側の脚に悪影響が出るのは時間の問題であり、それを避けるために飼い葉の量が減ることもあって、それゆえに悪循環に陥る訳であり、その苦しむ様が見苦しい…というより、末期癌患者で延命措置であちこちチューブだらけで、見てるだけでもこっちまで辛くなる姿と、ほぼ同じ状態になる。だからこそ、競走馬に限らず、すべての家畜において、“これ以上苦しまない答え”として、安楽死処分を決断するのであって、生産過剰からの“殺処分”とは、全く意味も想いも違う…どうしようもないから、最後にやってあげられる最善策として、とにかく“安らかに、ゆっくり休んでくれ”という思いからの措置だ。そこを一緒くたにしてゴチャゴチャ言うのは、いかなる命の尊厳をも侮辱する行為だ。

ただ…彼女とまた巡り合うのは、おそらく自分自身が人生のゴールラインを過ぎて、虹の彼方にある、広大な芝コースがある競馬場だと思う。そこには、テンポイントも、ライスシャワーも、テスコガビーサンエイサンキューも、あの時代駆け抜けた名馬たちが、世代を超えて集って走ってると信じてる。だから、今は“さよなら”より“また逢おう”と言って、虹の彼方へ送りだそう…いつか、再び競馬場で逢える事を夢見て。南無妙法蓮華経