迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

身障者と競馬の話…

いやはや…1ヶ月以上放牧に出て、なんとか戻ってきましたw 正直な話をすると、実は右目は手術した影響もあって、未だに視力が不安定な状態で、それにつられる格好で左目だけで見てるようなモンですから、更新作業すると、かなり疲れるんですよねぇ…今までだとどうってことなかったことでも、これは大変ですw

という訳で、今回の本題…以前からも取り上げてる話ではあるが、いわゆる“世間的マイノリティー”な立場になりやすい身障者が、様々なスポーツ観戦やイベントへの参加に対し、主催者(施行者)が“叩かれる”という事態になりやすい件について。一概に言えないトコがある訳だが、オイラの感覚だけで先に結論を言えば、どこまでの“ホスピタリティ”で良いのかが“わからない”からこそ、一部の利用者による横暴な態度が目立つのであり、また、そういった“問題児”対策に費やすから、他の部分で帳尻が合わなくなっているというのが、オイラが思う“答え”である。

ここでは競馬場や場外発売所に絞って話を進めるが、多くのスポーツ競技に関して、ほぼ共通してる部分も多いと思う点をいくつか挙げていこうと思う。まず、指定席予約や購入に関する部分。JRAの場合、クレジット決算と会員登録による事前予約をやっている訳だが、いざ、指定席に向かうとなると、車椅子利用者のためにエレベーターが設置されているものの、実はそこまでの移動が難儀だったりする。エスカレーターが利用できる人ならまだ移動範囲が広いからともかく、スタンド内のエレベーター設置台数自体が少ないため、一度指定席エリア内に入ると、ほぼエリア内だけの移動しかできない。しかも、一般席であっても、車椅子が停められるスペース自体が限られているため、GⅠ開催時となれば、スタンド内での観戦は館内モニターか、スタンド外でとなる。

また、視覚障害を持ってる場合、競馬場内の実況音声が観戦時の頼りなのに、場所によっては肝心の実況音声が聞こえない区域がある…阪神競馬場の4角寄りの芝生エリアは、裏にイベントステージがある関係もあって、何気に音量が小さい。京都競馬場も、実は緑の広場付近はイベントスペースの関係もあって、殆ど場内実況音声が聞こえない。もちろん、子供向けイベントをやってる都合で、そっちの音声の方が大きいという部分も否めないが、そういったイベントがない土曜日に行っても、スピーカーから聞こえる音量自体が小さい。

トイレに関しても、一応、身障者対応の多目的トイレの設置が増えてはいるが、オストメイト用トイレは、設置してるトコ自体が少ない様な気がする上に、それを増設するにあたって犠牲になっているのが、なぜか女性用トイレであることが多い。ま、鉄火場に来る人は、ほぼ男性だという固定概念からの話ではあるが、そこを削るかって話だ。

更に、場内での点字ブロックの配置にも、少し問題がある。というのも、最寄駅から続く通路の“動線”が、往路と復路ではズレができるのと、館内の場合、どうしても放送局の機材(特にテレビカメラ等の大型機材)搬入時に台車を使う関係で、点字ブロック自体が邪魔になることがあって、エレベータ付近にないことも多い。実は、先に触れた指定席移動云々にも関わる話で、機材搬入(搬出)時間と指定席エリア入退場の時間がバッティングすると、双方利用時に待たされる訳である…スタンドの築年数が古い競馬場であればあるほど、エレベーターの設置箇所が一つしかないこともあって、こういった“通行障害”が発生する訳である。

とは言え、事情を熟知してる身障者の競馬ファンなら、ここらの“問題”は大したことではないし、むしろ“身障だから”ということで、できるだけ他のファンの邪魔にならない様、気を使って観戦されている人の方が多い。(というより、過度なサービスを期待してないし、下手な行動は却って事故を招きかねないから、行動を控えてる人の方が多い…)

しかし、これからの時代、あらゆる意味での“ユニバーサルデザイン化”は進むことになると思う。特に障害者に関する“定義”自身も、一部では“身体ハンデとして認めず”となる部分が出てきてる訳であり、オイラみたいな“片目だけ視覚障害”は、程度によっては障害者手帳すら発給されない。(だって、回復が見込める一時的な視野狭窄だと、医師の診断では“視覚障害”と認められないからw)当然だが、国指定の難病患者でも、投薬や先進療法による寛解が可能な人は、今後認定が取り下げられる可能性もある。(潰瘍性大腸炎患者の中には、定期的な受診を条件に、健常者と同じ生活ができる人から“指定解除”になる方向で、厚労省内で議論されている。)

こういった事を踏まえると、身障者をめぐる環境の変化は、30年以上前と比べたら、かなり激変した部分もあるが、悲しいかな、日本は社会そのものが旧態依然の“身障者排除”社会である。世界的に見ても“遅れてる”というより、未だに身障者を“可哀想な存在”として扱い気味であり、特に先天的なハンデ持ち相手に自立したいという希望に対して阻害する要素が払拭できてないトコがある。また、ごく一部の身障者、及び自立支援者を名乗ってる人の中に、社会全般で行なってる努力を勘違いしてる人がいることも事実で、そのせいで甲子園球場高校野球の生観戦を希望する身障者が、チケット購入ルールが劣悪過ぎて断念せざる得なかったという事例が、メディアによって面白おかしく報じられる訳である。もちろん、そこにはルールの裏を掻く不届者がいるせいなのだが、お互いに気持ちよく、同じ雰囲気の場を楽しみたい以上、どこかで“遠慮”する必要はあるのかもしれない…が、それを“他人”に求め過ぎてはいないか?