迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

あっけない“幕切れ”話…

先週金曜に、角井調教師が酒気帯び運転で現行犯逮捕され、厩舎が事実上“活動停止”という状態になった訳だが、この件に関して一言で片付ければ、今までの功績に胡座掻いた“ツケ”が出ただけだとしか言えない。今後の動向に関しては競馬サークル内での話なので、オイラ自身は首を突っ込むつもりはないが、“聖職者”になる事を大々的に言い放った者が、自分自身が長年やってきた慣習に対して疑念を抱かずにやらかしてる時点で、相当なマイナスになる…ま、“とっとと競馬界から足洗え”という啓示なのかもしれんが…

競馬に限らず、様々な組織における“慣習”は、時として法律を犯してるケースがあり、それが“原因”で、組織全体が叩かれる事はよくある話である。ただ…故に組織内で外部に“実態”を知られたくないあまりに虚偽の報告が上がる訳であり、それが余計に事を拗らせてるというスパイラルにハマる訳である。が、最悪の事態になって、やっと自分達のやらかしてる事が、世間一般では“非常識”な事だと気付く訳であり、逆に、世間では“常識的な話”であっても、属する組織の体質によっちゃ通用しない事もよくある話である。今週行われたセレクトセールもそうだが、あれだけの取引金額をポンポン払える能力があるなら、全部被災地に義援金として送れとか、もっと税金納めろという批判があってもおかしくないが、逆をいえば、その収益は馬産地の経済を支えてる柱であり、それを他のトコに振れば、一発で日本の畜産農が廃れる事になりかねない発言でもある。

話が逸れたので元に戻すと、今回の場合はレース後の祝勝会で、帰宅の際にクルマを運転することがわかってたのに、競馬界の慣習で“飲んだ”のがマズかった訳であり、同じ様なケースは宗教上の慣習にもちょいちょいある訳で、そこんトコを是正するには、法律…今回の場合は道交法の規定をキチンと理解してないとダメだった訳であり、バレなかったら何やってもいいという“甘い気持ち”が、結果として自分の首を絞めた格好になった訳である。宗教絡みの話をすると、社殿仏閣で祈祷や供養を行うと、邪気払いや景気付けとして“御神酒”を戴くことがある…昔はそれが“普通”であり、飲む量自体もたかだか50mlが関の山な訳だが、今の道交法では、呼気アルコールが0.15mg以上で“酒気帯び運転”とみなされるため、原則“一滴も飲むな”という風になってしまい、現在ではクルマを運転しない人向けのモノになってます。(ちなみに、創価学会でも昔は新年勤行会の際に振る舞い酒があったのだが、今はそういう事情で廃止になった…w)つまり、宗教上の儀礼で“酒を口に含む”という所作は、現行の道交法では“御法度”となったからこそであり、その背景には、儀礼をやった後での交通事故(酒気帯び運転によるモノ)が頻発したことが大きい訳です…ま、“交通安全”を祈願しときながら、その“儀礼”で酒飲んでたら、ある意味“本末転倒”ですわなw

飲酒(酒気帯び)運転に関する話をもういっちょしとくと、田舎なトコほど(てか、農家や漁業関係者は)こういう“飲酒運転の武勇伝”ってのはよくありまして、まず、公共交通機関が乏しいがために、クルマで居酒屋へ行くなんてのはよくある話であり、しかも大概の人は、過酷な労働の“癒しの場”として飲むモノだから、一度飲み会が始まると、泥酔するまでノンストップなんて日常茶飯事…だから“クルマ運転してるから”という“言い訳”が通じないどころか、一種のアルハラにまで発展する訳であり、その結果から交通死亡事故が絶えない…なんて話になる訳である。(北海道での事故の多くは、田舎の場合は、ほぼ飲酒&速度違反…)

もちろん、全ての慣習が時代にそぐわないという訳ではないが、今までやってきたことを、“自分の代”で終わらせることに関して、抵抗がある事も確かである。しかし、古くからある慣習の多くは、少子高齢化や作業の機械化などによって、完全に当て嵌らなくなってきてる事も事実であり、そのための“見直し”も必要となってるだけに過ぎない。ただ…それを“後世に残す”という選択肢を選ぶのであれば、分相応に自分の所作を改める必要もある訳で、それができないのであれば、“やめる”のも大事なのである…時代とともに変化するのが常であるなら、それを“拒む”以上は、分相応の“代償”を、どこかで払う義務がある。角井調教師の場合、それがたまたま“今”だったのかもしれない…