迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

MBSとラジニケの“解放区番組”の系譜w

今回は、競馬から外れた話題…てか、以前にもやった“あどラン”とラジニケの類似番組“新・アナライズド”に関わる話w いやね、実は“あどラン”放送終了から20年経て、深夜ラジオ番組として、事実上“復活”したんですよ…“あどりぶラヂオ”として、MBS社員(主にアナウンサー)が、火曜〜木曜の深夜2時(水曜日のみ2:30)から、ほぼ3時間ぶっ通しで好き勝手にやる、まさに“あどラン”のDNAを受け継いで、しかも担当する人は、たった一人で“大乱闘”してもいいという、結構ブッ飛んだラジオ番組である。(これ編集中、実はradikoのタイムフリー機能で、先週木曜の放送分聴取中…)ラジニケでいえば、ほぼ“新・アナライズド”を制作費を全振りしてRN2を乗っ取って放送するようなモノであるw

以前、“あどラン”に関する歴史をちろっとやった訳なんだが、ここでは、もう少し詳しい解説をやっておこうと思う。バブルの熱気が沸き上がり始めた1984年1月25日、23時35分…のちに80年代から90年代前半まで、MBSの深夜テレビ番組で…否、関西の放送業界において不動の人気を勝ち取る“アナウンサー解放区”番組、“あどりぶランド”の第一回放送が始まった。当時のアナウンス室長は、“アップダウンクイズ”の名物MCとして名を馳せていた小池清アナで、のちに彼の同期で、“あどラン”史上最も愛された“コワモテ室長”こと、藤本永治アナが地位を引き継いで以降、その人気は、やがて来る“個性派局アナブーム”を牽引していくモノへと変貌し、それはのちに開局するCS放送GAORA”でのサイマル放送で、スカパーのスポーツパック契約やCATV加入者であれば、関西にいなくても、この番組を見ることができるようになり、全国に知れ渡るようになる…が、その様子が一変したのが1995年1月17日に発生した阪神大震災。これ以降、番組の勢いは完全に失われ、1998年3月18日…ついに番組は終焉の時を迎え、およそ15年にも渡る“水曜深夜の解放区”は、幕を閉じたのです…

とまぁ、ざっくりと番組の歴史を紐解いた訳だが、実はこの番組、テレビ番組としての歴史の“影”に、ラテ兼営局だったからこその“裏歴史”ってのがありまして、それは、開局記念番組として、テレビのレギュラーが始まる以前に、ラジオで数回ほど、実験的に放送された経緯がありまして、これが意外と好評だったからこそ、テレビ番組にしても“数字が取れる”という確信を得て、MBSが一番“鬼門”としてた水曜の深夜帯に、敢えて勝負に挑んだ訳です。結果、半年も保たないという下馬評を覆し、MBSのエポックメイキングな番組へと進化した訳です。ま、“仕掛け人”があの“風雲児”でしたから、当然と言っちゃそこまでなんですが…w

では、なんでラジニケの“あの番組”と結びつくかといえば、2つの観点を見る事で、それは明確になる訳です…以前にも解説したかと思うが、ラジニケの競馬実況アナは、必ず、大阪支社での“武者修行”をやる事が慣例としてあって、特に、ヲ取締役…もとい、渡辺アナが佐藤アナから引き継いで大阪支社にいた時代…80年代後半の頃は、まさに“あどラン”が絶頂期へと向かう頃であり、そして、この当時はCSサイマル放送が行われる以前とあって、いわば関西在住の放送ヲタによる“密やかな楽しみ”だったからこそ、こういう風な番組を首都圏で、しかも“実況アナのみ”での番組にしてみたいという思惑が、どっかにあったのではと推察できる訳である。

実際に“新・アナライズド”あるいは“〇〇アナの自由時間”という番組を聴いた人で、“あどラン”の存在を知ってる関西人であれば、その自由奔放なノリに関して、なんらかのシンパシーを感じるかと思う。そして今回、“あどりぶラヂオ”として深夜帯に戻ってきた“あどラン”を聞いたラジニケリスナーなら、“新・アナライズド”のパクリっぽく聞こえて仕方ないかと思う…が、MBSにしても、ラジニケにしても、自社の社員に対して自由奔放にさせるだけの時間と資金を“持っている”というトコを見せたいトコもあるからこそ、こういう“バカの所業”ができるのであり、逆をいえば、倫理や放送コードという“規制”を盾にして、アナウンサーの“表現の自由”を奪ってる放送局というのは、どんなに潤沢な資金を有しても、それを制作費や人件費に回せない時点で“お察し”なのである。

長い歴史を見て、ヒットする番組とは、スタート時は制作費が“限られてる”からこそ、限界ギリギリまでのコスト削減策として、最小人員でやるか、“局内業務”ということで、労基法無視も御構い無しな、社員に対して無茶振りする番組になりやすい…しかし、“ファンの声”に真摯なまでに応えようとする時、必然的に番組に対する期待度からスポンサーが“投資”してくれるようになると、途端に羽振りのいいセットやロケ内容に変貌し、それを維持するために、出演者や制作スタッフへの賃金も高騰することになる。そして、番組制作に対してファンが、また、スタッフ自身が疲弊して品質が劣化した途端、番組存続は難しくなる…そのジレンマに打ち勝ってる番組は、大概見ててマンネリな内容なんだが、故に必ず“原点”に立ち返ることができる。番組そのものが消滅しても、なんらかのカタチで“復活”するのは、単に懐かしみたいからではなく、放送局にとって、消し去れない“栄光の輝き”がそこにあるからだ。ただ…そこに縋るか、そこを“否定”して変革に向かうかは、その“現場”にいる者自身の胸算用でしかない。