迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

馬と戦争の話…

昨日早朝、北朝鮮が北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射して、東日本では大騒動となった訳だが、本題に入る前に軍備に関して文句垂れてる連中に言うが、迎撃をしなかったのは、着弾点が本土ではない”という判断と、PAC3一発でも発射するのに、20億円もの費用が消し飛ぶ訳であり、無駄撃ちできないのが実情であり、また、通報から4分じゃ“何もできない”って言ってるが、それだけあれば、被害を最小限で済ませる、あるいは被害が出た後でも体制を立て直せる下準備ぐらいはできる訳であって、絶望して膝を抱えてるには、あまりに時間が長過ぎるw 言っちゃ悪いが、緊急地震情報が流れてから本震が来るまでの方が、よっぽど早いぞ…アレ、最悪は警報なってすぐ“ドスン”だからね。警報なって、2〜3分も時間あったら、充分避難や防御の構えを整えることできるぞ、マジで。

さてここからが本題…今の競馬は、どこまでいっても“娯楽”の範疇で止まるが、戦前までの日本の競馬は、開催の一番の目的は、軍用馬の育成がメインだった訳で、今でもオリンピック種目に近代五種があって、そこに出場する選手は、殆どが各国の軍関係者であることに気付いて欲しい。つうのも、そもそも、オリンピック自体が“血を流さない国際戦争”であり、近代五種競技の中には、ライフル射撃障害馬術なども含まれていて、その“総合得点”で競い合っているから、必然的に、全種目を履修できる環境でないと制覇できない。他の種目なら、それ専用で鍛錬すればいいが、全種目となると、一般では時間も費用もバカにならない…軍隊であれば、訓練の一つに、そういった競技の練習も含まれるトコがあるからできるのであり、故に軍人ばっかが参加するカタチになる訳である。

話が逸れたんで元に戻すと、オフロードバイク等がなかった時代において、乗用馬は悪路でも高速で進むことができる唯一の“移動手段”であった。また、トラックや重機が入り込めないトコへの救援や土地造成において、馬のみならず大型家畜の牽引力は、現地における命綱でもあった。だからこそ、富国強兵政策の名の下に、使役馬の品種改良や鍛錬方法の構築が急務になっていた。そこで、各地の地方自治体や地域の富豪が資金を持ち寄って競馬場を作り、様々なスタイルで競馬が開催された訳である。今みたいに、サラブレットのみ(ばんえい競馬除く)で番組構成があった訳ではなく、それこそポニーレースやトロッター(繋駕速歩)競走など、多種多様なレースがあったという。(ばんえい競馬は、開拓史の一部として残ってる競走だが、こっちの意味合いも大きいと思われる。)ぶっちゃけ、競馬を通じて軍馬育成を行い、それらが戦地でも活躍してた訳であり、日中戦争時は、多くの馬が戦地で殉職してる訳である。

言ってみれば、第二次世界大戦末期までは、競走成績が優秀であればあるほど繁殖で残すよりも、戦地での足として用いるのが是だったトコがあり、故に“日本の名馬”が血統的に絶滅危惧種状態なのは、そういう事情があったと考えていい。逆に戦後は、血統の重要性や育成環境の整備などが急務となり、さらに、競馬の国際化を目指す動きが活発になったことから、レース体系の整備やコースの改修、そしてスタンドの近代化とサービスの拡充が行われてきた訳である。

設備関連が出たんで、軽くだが戦時下の競馬場について話しておくと、多くの競馬場は、戦況が悪化するに連れて、コースの一部や馬場内が田畑へ転用されたり、軍備の基地として使用されたことがあり、特に横浜の根岸競馬場や現在の阪神競馬場は、敗戦後にGHQの指示で米軍に接収されてしまったのだが、のちに根岸のスタンド以外、返還されることとなる…今でも根岸競馬記念公園に隣接しているスタンドは、在日米軍の所有物のまま返還されていない。が、阪神競馬場に関しては、移転先だったゴルフ場との交換条件で返還が決まり、11年前には隣接する新明和工業が工場を移転する際に、保有する土地をJRAに売却し、そこの部分が現在の外回りコースへと変貌した訳である…ちなみに新明和工業は、かつての川西航空機であり、過去には“二式大艇”と言われた二式飛行艇を製造したトコであり、そのノウハウから現在のUS-2を製造している会社である…そう、米軍が阪神競馬場を接収したのは、そういう事情があったからと推測されるのです。