迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

避難所としての役目、公園としての役目。

SNS上にて、かなり“恥ずかしい”発言をしてる輩がいたんで揶揄ってやったのだが、どうもいまいち理解できてない模様…ま、話の中身としたら、“公園”に関する概念を履き違えてる内容なのだが、どうも件の相手は“公園=国や自治体が管理する土地”と見做してるトコがあるが、それこそ一番の“勘違い”であり、そもそも“公園”と付く場所には、ある意味“私有地”も含まれてる訳であり、そこを一般に公開するか否かの差であり、管理上“時間制限”を設けるトコもあって、“公の場”である以上、管理者が決めたルールや最低限のマナーを守って、初めて意味を成す。つまり、公園は“共有財産”ではなく、“供用区域”な訳であって、その管理者は国の機関であろうが企業の管轄だろうが関係なく、あらゆる人々が“気持ちよく”過ごせる場所として維持管理を行う義務がある。だからこそ、入園料を徴収したり、入園可能な時間が限られていたりする訳であり、その“管理”が疎かなトコでは、それ故の犯罪の温床となる…ここが解っていないと、話にならんw

では、競馬場も含めた公営競技プロスポーツを行うスタジアムは、どうして広域避難所として自治体から指定を受けるのか?簡単に一言で言えば、ここも“公園”の扱いになるからです。公営の競技場(サッカー場やプール含む)の殆どは、公園内に設置された施設の一つであり、しかも、競技開催時以外は、通常は立入禁止になってます。公営の野外プールが営業期間中以外、入れないのと同じです。その理由も簡単で、有事の際の“防災拠点”としての役割があるからです。つまり、公園内に避難した周辺住民の安全確保と、周辺地域の避難所…地域公民館などの施設への支援物資配給の拠点として、更には、ドクターヘリや空からの救助活動を行なっている自衛隊や消防、警察の“緊急ヘリポート”としての役割があるからです。そのため、多くの競技場の一角にはヘリポートである事を示す表記が描かれていて、そこへ大型ヘリコプターが着陸できるようになっているのです。また、表記が常時表示されていない場所であっても、防災倉庫内にラインマーカーが置いてあって、それを使って地面に直接描く事で間に合わせる事ができる訳です。また、プールは消防用水の役割があって、近隣での火事の際、消防車や消火ポンプに接続する口が付いているため、そこを介してプールの水を使って消火に当たる訳です。だから、平時は無駄に見える施設であっても、“有事の備え”という点で見た場合、決して無駄なモノという訳ではないのです。

当然ですが、競馬場が広域避難所として指定されているのも、地方競馬の場合だと主催者である自治体の“公園”であるからこその話であり、中央競馬の場合はJRAを介して国が所有する“公園”だからです。それゆえに、非開催日の際は、一部を児童公園や運動公園として、時間を限って一般に開放してる訳であり、時期によってはイベント会場として開設することがあるのです。その中でも阪神競馬場園田競馬場の場合、22年前に“避難所”としての機能を遺憾なく発揮したのは有名な話…そう、阪神大震災の時の話です。

両方の競馬場とも、当時被災地の只中にあった訳ですが、園田の場合は尼崎市内だったこともあり、被害そのものは大したことがなかったこともあって、5月まで開催を見送った代わりに、近隣住民の避難所と、救援物資の配給拠点として場内を開放し、多くの被災者を受け入れました。そして阪神の場合、交通網が寸断され、住宅を失った被災者に対し、11月末までの期間限定で、厩舎エリアの居住区を貸し出し、一時的に仮設住居としての役割を果たしました。実は、阪神競馬場の方が地盤が弱く、コースに亀裂が入ったりスタンドの一部が破損する状況だったのですが、中央競馬の場合、厩舎エリア自体、開催時以外は常駐する人がいないモンだから、有事の際はいつでも厩舎の居住区を貸し出せる訳です。これによって、西宮市内で被災した近隣住民が、一時住まいとして活用した訳です。(ちなみに、阪神競馬場自体は宝塚市の広域避難所扱い…)6年前の東日本大震災でも、おそらく福島競馬場も厩舎エリアを開放して、一部の被災者を仮住まいさせてたかとは思いますが、こういうことができるのも、中央の競馬場の強味と言っても過言ではないかと…

地方競馬や、他の競技の場合、どうしても“現地”で生活してることが多く、ファンエリア(スタンドや芝生広場などのトコ)以外の部分を開放することは難しいトコがありますが、隣接する公園(この場合は都市総合公園の意味)と連携することで、中央の競馬場とは違う、有事の際の備えが万全になることがよくあります。そういう意味では、公営競技を廃止した後、総合公園や公立学校として整備し直したり、総合病院や公団住宅として再開発することは、すごく有益な話ではありますが、元々の地主である地元住民が納得しない方向での開発は、却って有事の際に被害を拡大する要因になりかねない。そこを踏まえた上で批判するのは大いに結構な話だが、何でもかんでも経費削減や都市開発の是非ばかりを言っていると、肝心な時に足手纏いになるだけ…先人達の“先見の明”は、未来における有事の備えであると同時に、大切な“共有財産”を保持するための知恵であることに気付こう。目先の収支で一喜一憂するより、その先に“何を残す”かで、歴史上の判断の評価ってのは変わるのだから。