迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬を愛する語り部達…vol.3:女性スポアナの礎・井口保子

今月は、女性とスポーツ実況にまつわる話…とりわけ、このブロマガの性質上、競馬実況にまつわる部分をやっていこうと思う。という訳で、中央競馬の実況アナで数少ない…否、局アナとして唯一、女性でありながら競馬実況に携わった、RFラジオ日本の井口保子アナにまつわる話を。

むしろ彼女を取り上げない事には、在京の放送局の女子アナが、スポーツ中継(主にレポーター役)で活躍する事なんぞあり得なかった話であり、また、彼女の“犠牲”がのちに、RFそのものの“存亡の危機”に瀕する結果となる訳で、そこんトコを踏まえないと、ここから先の説明がやりにくい。特に、競馬実況に関して、未だに“男尊女卑”な世界のままであり、だけど、女性競馬記者が各専門誌やスポーツ紙の中で活躍する様になったのは、彼女の存在が大きい。それくらい、偉大なる存在だったのに、何故RFは彼女を“切り捨てた”のか?そこには、社内規定と法律との“板挟みな事情”が全て…と言っていいだろう。
チャキチャキの江戸っ子で、葛飾出身。幼少期から演劇好き。その影響か、人前でパフォーマンスをやるのが好きで、学芸会では常に主役を張っていた程。そんな彼女は将来、女性でも“主役”を張れるアナウンサーになりたいと願っていた。しかし母親は、そんな事より教師としての生き方を選んでほしかったらしく、大学でも教職に就く為の勉強をやっていたそうな。
だが夢を捨てきれず、先輩の就職活動に付いて行き、そこでラジオ関東(現在のラジオ日本)の入社試験を受けたのが大学3年の頃の話である。当時はラジオの黎明期であり、来春卒業予定でなくても試験を受ける事ができ、彼女としては来年の就職活動に向けての“腕試し”のつもりで受けたのだが、結局は先輩をさしおいて内定をもらったのである。
そんな訳でデビュー時は、まだ学生だったという事もあって、なるだけ学業に響かない様に夜間の仕事をメインに、音楽番組を担当していた。時には宿直勤務もあったんで、スタジオから大学に直接“通学”なんて事もあったとか。
そして数年後、ついに彼女は競馬と出会う事となる。きっかけは1968年、タニノハローモアが勝った日本ダービー。この時、同僚の競馬好きに誘われて、東京競馬場へ足を運んだのが“運のツキ”で、初めての競馬場で競馬のイロハもわからぬまま、パドックで目が合ったタニノハローモアからタケシバオー枠連(この当時は現在の様に馬券の種類はなかった)の1点、しかも間違って特券(この当時は購入金額によって窓口が分かれていた。ちなみに“特券”とは、1000円分の馬券を購入する事を意味する。杉本アナの件で解説し損ねたが、初心者がこういった“大勝負”する事は、後々競馬にハマる人の傾向によくある話w)での勝負に出たのである。周囲の同僚はこの時は笑い飛ばしたが、レース終了後は彼女以外は全員オケラ(馬券ハズレ)で面目丸つぶれw逆に、彼女は“コレは面白い!!”と味をしめて、以後競馬にハマったのである。そして“いつかは競馬の実況がしたい”と思う様になったのである。
しかし、当時はご存知の様に、競馬を含めて公営ギャンブルは“社会悪”であり、しかも“実況アナ”となると、それこそ男性アナでも失敗すれば“干される”様なシビアな世界である。また、女性が競馬場へ足を運ぶこと自体が珍しい事であり、むしろ、仕事とはいえ競馬に携わる事は、ある意味“女性である事を捨てる”様な行為だった。そんな“聖域”に足を踏み入れようと、彼女は当時の競馬中継スタッフに懇願したのだが、番組進行のアシスタントならともかく、実況や取材に関しては、“女性立入禁止”と言って拒否されたのである。当然といえば当然な話ではあるが、それでも彼女はあきらめなかった。“その日”の為に空き時間は競馬場で、しかも一般席で実況を練習し、何度もテープに録ってはどこがマズいのかをチェックしていた。とにかく、“実況アナになりたい”一心で、練習を続けたのである。
そしてその“願い”は、いつしか彼女に恋した“競馬の神様”のもとへ届いたのである。彼女が担当していた音楽番組のスタッフが競馬中継スタッフに異勤となり、一度で良いから実況させてやろうと企画を上げてくれたのである。ちょうどその頃、競馬中継の聴視率(リスナーポイント)はイマイチで、ただ番組のスポンサー確保と、実況アナの腕を鈍らせない程度の代物でしかなかった。そのテコ入れとして、彼女の実況を電波に乗せようという事になったのである。こうして彼女は、晴れて日本初の“女性競馬実況アナ”として、注目される事となったのである。実況デビュー時、物珍しさも手伝って、マスコミ各社がRFに取材要請が殺到し、当日放送席はちょっとした“お祭り騒ぎ”となった。そしてその実況が電波に乗ったとき、多くのリスナーが驚いた。その多くは“女性が競馬を実況してるなんて…“というモノだったが、それは非難する声ではなく、むしろ賛嘆の声だった。それから24年もの間、RFの競馬中継に欠かせない“名物実況”として愛されたのである。(ちなみに、このデビュー時の“仕掛人”は大橋巨泉…うん、この人の話をすると、いろんな意味で話があらぬ方向に行くから割愛するが、当の本人は、彼女のデビューを結構からかいながらも歓迎した方ですw)
この事がきっかけで、競馬サークルは関東を中心に、女性の活躍の場が広がった訳だが、RFはその流れに逆らう様に、彼女に“引退”を促したのである。今からおよそ20年ほど前、当時RFの“労務規定”は、女性アナは定年が男性アナより短い設定(しかも延長なし)になっていた。コレに彼女は引っかかったのである。この事は後に彼女の同僚女性アナが労基法および男女雇用機会均等法に違反するとして、民事裁判が行われたのである。(結果的には双方、和解した様だが…)その影響なのかどうかはわからないが、現在のRFは聞くに堪えない程、つまらない放送ばかりと聞く。(こう書くと、結構な年齢だな…って感じた人も多いかと思うが、確か彼女は、杉本アナや吉田アナと同い年です…当然、樋口アナや長岡アナも…世代的にはほぼ同じです。)
悔やまれるとすれば、現役時に一度でも良いから牝馬のG1(オークス)で実況している彼女の声を、CRK経由でも聞いてみたかった。関東で聞いてたファンからの情報では、彼女は一度たりともG1を担当させてもらえなかったらしい。しかし、彼女の“熱意”は、今後多くの女性アナの“可能性”を押し広げ、いつかは全国ネット(あるいはグリーンチャンネル)でのG1実況に結びつくと信じている。それは女性だからという“固定概念”を打ち破った彼女の存在が、現在の女性スポーツアナの“原点”である以上、いつかは実現してもらいたいモンである。

(本文は、本家Blog“迷馬の隠れ家”2006年7月16日掲載分記事に、加筆・修正した記事です。オリジナル記事は、コチラ…http://d.hatena.ne.jp/strayhorse/20060716/1153055696)


オマケ:今から15年前に、今は無きプラザエクウス梅田(茶屋町アプローズのオフィス階層部分にあった。Gate.Jの前身)で行われたイベントで、井口女史に無理言って書いてもらったサイン。今にして思えば、貴重な思い出。そういや…井口女史や長岡アナがイベントで来阪されること自体、非常に珍しい話であり、大阪でコレを手に入れたこと自体、既に“奇蹟”の域だったりする。