迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

“依存症”と向き合うための、正しい考え方…

公営競技を廃絶させたい人達が、必ず口にするキーワードに“ギャンブル依存症”がある。もちろん、反社会組織との繋がりとか、公営競技があるからこそ生活環境が劣悪だとする考えで公営競技の廃止を訴える人もいるのだが、昨今の流れでは、まず“ギャンブル依存症”という“精神疾患”をよく知らない人が、“ギャンブルのせいで罹患する”と訴える訳である。あの…そもそも“ギャンブル”ってのは人生において重要な場面でも発生する事柄であって、金銭取引だけの話じゃありませんぜw
ギャンブルに限らず、様々な“依存症”が存在する一番の要因は、自分の“居場所がない”と錯覚してる人が陥るモノであり、要は漠然とした“不安”から逃避するための口実であったり、一過的でも精神が落ち着くための場を欲してるからこそ、そうなるだけの話です。言い方を変えれば、様々なストレスを抱え込みすぎて、しかも他人に訴えること自体が恥だと思うあまり、奇行に走る訳であり、それが“とりあえず逃げる”か、“終わりにする”かの差です。突発的な自殺ってのも、当人は死ぬつもりはなくっても、“明日から何もしなくていいなら…”っていう安易な気持ちから行動に移す訳であり、そこまで“追い詰められた”状況ゆえに、解放されたい一心で、駅へ入線する列車の前に飛び込んだり、高層の建物の上から飛び込んだりする訳です。(むしろ、最初っから“自殺したい”と口に出す人ほど、実行する前に躊躇して、さらに気分が落ち込む訳で…ry)
つまり、依存症の殆どが、自分の居場所が“どこにもない”からこその足掻きであり、一過的な快楽のために足掻く内に、自らの意思で他者との交流を“断ち切った”状態にある訳で、さらに言えば、自分の欲求を満たすためなら、たとえ“悪いこと”だとわかってても、軌道修正ができないほど、精神的に執着してる状態なのです。簡単に“精神的甘え”と片付けがちですが、依存症になる人ほど、実は元々趣味に没頭したり、ハメを外して遊ぶ事を“下品”としてやってこなかった人達です。言い方を変えれば、変な意味で“クソ真面目”な人ほど、“自分の居場所”として執着する訳です。
特にパチンコ等のカジノマシーンに取り憑かれる人ほど、周囲の人間との付き合いに疲れ、とにかく“一人になりたい”からこそ没頭する訳であり、公営競技で一喜一憂する人よりも、勝敗を気にする人はいません…むしろ、目の前の機械が動いてるのを眺めたい、喧騒の中で瞑想したいといった、明後日な方向にイっちゃってる訳です。だから平気でカードローンによる多重債務になりやすく、ギャンブルで“勝負”をしてる訳じゃないから目が虚ろなんです。本物のギャンブラーってのは、負けが込んだら潔くその場を立ち去るし、勝ちまくりでも引き際を見極めてます。一発逆転を狙ったり、更なる大金を掴もうと欲張る人は、“次がある”という意識が薄いから、更に沼にハマるのです。しかし、依存症ではない人は、自分が“飽きた”時点で、興味も愛着も薄れて離れていきます。依存症な人は、“飽きた”にも関わらずそこにいます…居場所がないからです。
ここでいう“飽きる”とは、様々な分野で“極めたるモノ”であったり、自分自身の“限界”を悟ることです。ゲームで先に進まないからとか、思うように事が進まずに挫折することではありません…なぜなら、その“挫折”こそが依存症の引き金になってる一因なのです。結果に納得できないからこそ、そして、自分よりも才能がある者、世間的に認められた存在が立ちはだかっているという錯覚が、結果として“無駄な努力”という風に自分を否定し、そんな惨めな姿から逃げようとして失敗した姿こそが、依存症の殆どのきっかけなのです。つまり、変に諦めが悪く、現実逃避を繰り返す内に自分自身の“本心”を見失い、引き籠った状態になるのです。当然ですが、周囲の人間…しかも家族をも信用してませんから、どうすればこの状況を改善できるかを、どんなに他人が説いたトコで信じることはありません。まして、依存症だからと言って、奇行を止めさせようと“原因”を取り上げると、別の方向へ余計に悪化します。依存症を本気で改善させるには、双方での“約束事”を取り付け、本人の前で実践することです。言い方を変えると、依存症患者に社会復帰して欲しいのなら、自分もまた、当人のために付き合い続けることです。どんなに惨めで無様な姿でも、傍で声をかけ、自分を必要としてると信じ込ませる事が、実は重要なのであり、単純に“ダメ人間”と罵る行為は、余計に不信感を抱くだけです。本当の“ダメ人間”なんてのは、むしろ他人を見下す事でしか自尊心を維持できない人であり、ただ喚くだけです。相手を思う気持ちが欠如してるからこそ、何かに縋ろうとして堕落したのが依存症であるなら、相手と“同じ穴の狢”として付き合い続ける…但し、金銭や物質的な援助は一切しない事が条件です。助けて欲しいと思うからこそ、奇行に走ってるのであれば、真正面から受け止めて抱きしめればいい…本当に欲してるモノが“いつもすぐ傍にある”と気付けば、自ずと羞恥心が生まれ、自らの意思で是正を行うのです。むしろ、娯楽の範疇でやるギャンブルと、依存症がやってる行為は、完全に別問題です。それをゴチャ混ぜにして考えてる事自体、公営競技やヲタ活動を見下し、バカにしてる行為なのです…その世界に飛び込んで、バカにされるのが怖いからw