迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

受け継がれる技術と伝統…

遅ればせながら、あけおめですw 今年もくだらないブロマガにお付き合いよろしくです。
元日にMBSで、ラジオでの競馬中継(日曜放送分)放送開始(レギュラー放送化)45周年を記念した特番が放送されたのだが、番組を聞いて改めて感じたのは、MBSにおいて蜂谷アナの存在は、競馬中継における中興の祖にして、中心人物であるという事…そしてそれは、現在の関西でのラジオ中継において、基本となる姿勢を作り上げたという事実がそこにあるという事を示してくれたと感じた。番組内でも、先輩であり師匠にあたる高木良三アナと、他局といえどその才能を認めていた杉本アナの証言が流れてたんだが、頭のキレがよく、余分な言葉を入れずに的確に実況するスタイルは、今でこそ当たり前なモノであっても、それを確立させた功績は大きいという旨を話してた。そしてそれは、一番影響を受けてたのは、ひょっとすると、ラジニケの大阪支社研修において、それを経験したアナ達にも引き継がれた部分ではないかと思われる…特にその影響は、中野アナの実況に顕著に表れているかと思う。
ご存知の通り、ラジニケの実況は基本的に、競馬場でも流れている“公式実況”であり、だけど短波ラジオでの“競馬中継”としての実況でもある。言い方を変えれば、放送局の番組としてやってるのに、JRAから依頼されてる部分もあって、故に他のラジオの競馬中継の実況と違って、速度的には遅めであったり、過剰な絶叫が少ない。当然、CX系のテレビ中継ではないから、余分な表現(いわゆる“デコレーション実況”って言われる事)を、レース中には一切行っていないため、聴覚だけで情報を得るという点では、とても高度な技術で実況してることがよくわかる。その点において、MBSもラジオでの競馬中継を長年やっているからこそ、いかに“言葉だけ”で的確に情報を伝えることができるかに心血を注いでいるトコがある。だが、決定的な違いがあるなら、JRAの“公式放送”じゃないからこそ、実況アナの“勝手な判断”による実況もできるという点である。つまり、そこんトコを競馬ファンがゴチャ混ぜにして勘違いしてると困る訳で、以前にも記事にしたが、ラジニケは“公式実況”を請け負っている以上、入社2年未満のアナウンサーにGⅠ実況を担当させるようなことはできないし、逆に他局は入社半年でも技術的に問題ないとなれば、大一番でも任せることがある訳である。それは、大関アナと同期にあたる河本アナの“経験値”が雄弁に物語っている。
河本アナの場合、基本研修を終えて殆どすぐぐらいに、競馬実況アナとして“蜂谷門下生”になってる訳で、実況デビューは2008年9月、2013年には桜花賞の実況も行なっている。しかし、大関アナの場合、2008年(入社2年目)から競馬中継の番組進行で関西に出入りしてた(広瀬アナの件がきっかけで)んだが、実況デビューはその2年後、GⅠに至っては去年のNHKマイルCまで、実に9年も掛かっている…この“時間差”こそ実況アナとしての“格の違い”であり、慎重に人材を育成しなければいけないラジニケと、基本的なことさえできれば当人に任せる他局との差でもある訳だ。つまり、公式として競馬場やWINSにも流れる実況だからこそ、安定したモノでなければいけない。それ故に、失敗は許されない上に、若手の場合その責任が重すぎる…だからこそ、育成に時間を掛けるのである。
で、大阪支社での武者修行時に、大概の場合、関西の常駐(現在だと檜川アナ)から指導を受けることが多いんだが、ラジオの実況が基本にある以上、どうしてもMBSとの交流が多くなる。当然、それは蜂谷アナやその門下生から指導を受ける機会が増える訳であり、また、同様にMBSの実況アナも、藤田アナや広瀬アナから指導を受けたケースもある訳で…そうやって互いに技術を磨き合う場が、関西の競馬サークルではごく当たり前な環境として存在してると考えると、なんで中野アナが蜂谷アナにくっついて行動するか、ちょっと想像しやすいかと…(って、ナンデヤネンw)