迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

IR(複合型リゾート)と公営競技の話。

現在、国会で審議されているIR関連法案…一部野党では審議不足を理由に反発してる訳だが、法案の審議そのものは既に4年も前からやってる訳であって、寧ろ充分な位時間を掛けた上で法案成立に必要な裁決をやる段階に来てるのであり、ここでイチャモンつけてる連中とは、要は安倍政権を何とかして“強制終了”へ追い込みたいだけの“能無し集団”としか言い様がない。“政権を担う”ということ(=与党という立場)は、国民に対して国家運営を託された存在であるからこその“責任”があり、それは常に、地方に対する分相応の“犠牲”に対し、それに似合うだけの“代償”を、国民にきちんと説明する義務がある。本来、野党の“仕事”とは、そこに関連して、そういった審議を行うための細かいリサーチと、責任の所在を再確認するために情報の収集を行うのがスジであって、単に政治的な手柄を欲して政権批判を繰り返すのは、愚の骨頂であると同時に、ポピュリズム(大衆迎合主義)の暴走でしかない。つまり、今の政権が支持されているのは、既存の野党がバカだからであり、政治家としての“仕事”をやらずに“税金泥棒”してると、有権者から認識されていることに尽きる…その政党が2回も“政権与党”を務めたという歴史的な事実があること自体、正直、恐ろしい話なのだが…
ここからが本題…現在審議中のRIは、あくまでカジノ(ギャンブル場)を含めた複合レジャー施設の事であって、しかもそれらは“新規開業”を是としている。この件に関して、実はオイラの意見は“反対”である。正直、現行の公営競技に付帯するカタチでの再開発事業であるのなら、その地域を中心とした経済の活性化に一躍買ってくれると期待できるが、そういった“地方の社交場”の再構築を無視して、都市部や観光地にIRを誘致する事自体、本末転倒でしかないと考えている。特に、中央競馬の場合、ほぼ全場のスタンド改修は終了していて、“鉄火場”というイメージからの刷新が行われている訳であり、地方競馬でも南関や岩手の盛岡、道営の門別などでは周辺施設の拡充が急がれていて、特に船橋競馬川崎競馬では、既にIRへの移行を進める計画すらある。つまり、本気でIRを日本で導入するのであれば、既存の公営競技施設周辺に提携の宿泊施設や飲食店、ショッピングモール、テーマパーク系遊園地を集約して、そこに集う来訪者が一日中、気持ちよくお金を落としてくれるように仕向ける必要性があると、オイラは認識してる訳である。
例えば、高知競馬場の周辺に郊外型アウトレットモールと子供向けのテーマパークを設置するだけで、競馬に関心が薄い女性やファミリー層でも、自然と足がそっちへ向きやすくなるし、これに滞在型リゾートホテルが付帯すれば、自ずと競馬ファンのみならず、四国観光の目玉になる…どうしても他の三県(愛媛・香川・徳島)と違って、山岳地帯に阻まれがちで開発が遅れ気味な高知県だが、交通機関や幹線道路の整備などと一体でIRを高知競馬場を中心に据えた格好で行えば、訪日外国人のみならず、日本の観光客でも“行ってみたい”と思わせるモノへと変革することができる…が、単に施設を作るだけではヒトは来ないのも事実で、利便性や積極的な宣伝、更には施設に似合うだけの人材の育成が必須となる。この“初期投資”をケチって施設誘致や開設を行なっても、雇用にも結びつかないどころか、余計な債務を生みかねない。
また、カジノを含めたギャンブル一切を“諸悪の根源”とする主張の殆どが、精神疾患である“ギャンブル依存症”と結びつけて考えるのだが、正直、それは別問題であると同時に、的外れである。なぜなら、ギャンブルに限らず、依存症自体は歴とした精神疾患であり、治療には周囲のコミュニティーへの参加と、患者同士による対話などを通じた、精神的な部分でのサポートが不可欠であって、いきなり“ギャンブル禁止”と言って排斥したトコで、他の依存症に罹患するだけで意味がないのである。ぶっちゃけ論で言えば、依存症に罹患しやすい人ほど、コミュ障だったり、職場や学校といった組織内に“居場所”がないために追い詰められた結果、そうなるだけの話である。それに、以前にも解説したかと思うが、公営競技の殆どは、元々の目的の一つに、就労者のための“息抜きの場”という役割があり、かつて公営競技を行なっていた自治体の多くは、炭鉱や重化学工業などの従事者が多く、そういった人達の娯楽施設の一つとして機能してたトコが多い。北九州市や福岡市近隣に三競オートが集約されているのはその名残であり、高知競馬もそもそもは、港湾地域自体が捕鯨基地であったからこそ開催できた背景がある。(廃止になった上山や中津、益田、荒尾なども、元々は坑夫達の溜まり場だった…)こういった部分を見ずに“ギャンブル全廃”を訴えるのであれば、それは巡り巡って“庶民の敵”と見做される事を意味する。
こういった事を踏まえると、オイラがIRに関して“反対”する真の理由は、先人達の“先見の眼”を批判した上で、諸外国でもやってる事を理由に導入する事自体“おかしい”という理屈が成り立つ訳であり、対案として、既存の公営競技の周辺地域の経済的な開発こそ、本来やるべき事じゃないのかと訴えたいのである。既存のモノが“古いから”という理由のみで排斥するのであれば、そこに接客や有事の対策の模範があるのに無視したツケで失敗しても、文句は言えない…否、その筋合いはない。学ぶべき部分での“無駄な行為”ってのは、様々な対策を練るための参考になるのだが…