迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬実況における“美しい表現”とは…

前回の続き…単純に“美しい日本語”というモノを突き詰めると、誰にでも“理解しやすい”表現と、当事者自身でなければ表現できない“ありのままの真実”を、いかに簡潔に、そして端的に言い表せるかにかかっている。つまり、競馬実況において、現場で“何が起きてるか”という“情報”を、的確に、且つ、聞き手の想像力に見合った表現ができるかで、名にも“迷”にも変化する。(もちろん、体調不良などが原因で、実況中に馬名で噛んだり、言葉が詰まるのはともかくとしてw)
一口に“競馬実況”といっても、中央と地方、テレビとラジオ、関西と関東…といったように、様々なシチュエーションで変化する訳であり、一概に“正しい競馬実況”というスタイルそのものは、コレといった“正解”は存在しない。もっと突き詰めれば、ファン(観客)の好みもあるし、実況アナ自身の得手不得手もある。以前にも解説したが、実況アナによって、レースの距離やコース形態による得手不得手というのは存在し、藤田アナのような“阪神&マイル無双”なタイプもいれば、白川アナのような“中山巧者”なタイプもいるし、青嶋アナのような“テレビの実況なのにうるさい”のもいたら、石巻アナのような“デコレーションは苦手です”的なのもある。当然だが、吉田アナのような“男前に仕立てる”実況を肝とする人もいたら、及川アナのような“盛り上げてナンボ”な実況だってある。でも、共通しているトコは、ファンに対して“わかりやすい実況”であることを心掛けて取り組んだ結果の“進化”であって、一概に“言葉の職人”としての批判はやってはいけない。(馬名間違いやレース名間違いはともかくw)
つまり、いわゆる“デコレーション実況”と揶揄されがちな杉本アナや吉田アナのような実況とて、場内で、あるいはカメラの向こう側にいる視聴者や競馬ファンに対して、本気で臨んでいるからこそのスタイルであって、ただ単純に実況しても、レース内容などが“解りづらい”内容だったら味気ないだけでなく、競馬を“楽しむ”という観点からしたら、白々しくてつまらないし、レースそのものが記憶にすら残らない…だからこそ、如何にして観戦中のファン心理を煽り、レースそのものに集中してもらうか、その部分で、すべての実況アナは心血を注いでるのである。競馬に限らず、すべてのスポーツ実況において、これは共通する部分である。
だから、競馬実況に関する、現存する古い音声データを聞いていると、目の前で起きてるレース内容を、どのように表現すればいいのかわからないまま、完全に手探りで実況しているのがよく解り、黎明期の実況担当者の苦労が偲ばれる。そして、現在の実況スタイルに移行するまでの歴史というのは、実況アナが在籍する放送局や、専門のタレント事務所の伝統や方針によって違ってくる。だから、様々なスタイルの実況があり、そこに至るまでの歴史が存在する。故に、競馬に関して真摯なまでに丁寧な扱いをする放送局がある一方で、映像データや歴史的に貴重な資料を有していながら“ギャンブル”という一点のみで毛嫌いするような扱いになってるトコもある訳で、それはそのまま、実況アナたちの“態度”にも現れる。だから、同じ実況アナなのに、ファンとの交流やイベントへの参加が積極的なトコもあれば、それとは真逆に“塩対応”なトコもある。それが実況にも表れるから恐ろしい訳であり、エエ加減な態度を取る放送局ほどファンから敬遠され、誠実に、不器用でも真面目に取り組んでいる実況アナは、どんなにヘタレな実況をやってもファンから支持され、現役を退いても愛されるのです。