迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

“美しい日本語”の定義って何?

ここんトコ、SNSの一部アカウントで、沖縄の高江ヘリパット工事現場周辺での、いわゆる“活動家”と沖縄県警の依頼で派遣された大阪府警機動隊員のやりとりが引き金となって、大阪…ひいては関西をdisってる発言を見かけるようになった。この件に関しては、おいおい本家の方でやるから無視して、その“発言”でしばしば見かける“美しい日本語”に関して、オイラ的思考で言わせてもらう。侮蔑発言を繰り返し、マスメディアを“味方”につけた上で大々的にテロ行為をやってる連中が言うトコの“美しい日本語”ってのは、所詮は自分自身の“正義”に酔っ払った上での発言であり、自分で心地よくないと思う“発言”は、すべて“侮蔑”と見做してる様である。
悪いが、第三者から見たら、真っ当な“意見”ですら“汚い”と言うのであれば、本来の“美しい日本語”ってのは、日本には“存在しない”と同義になる。言い方を変えれば、そこまで“美しさ”を求めるのであれば、琉球方言アイヌ語も、まして各地方の点在する“美しい方言”も、地上から一切、消え去っていないとおかしいのであり、また、今から30年以上前の国語の授業では、実際の話として“標準語以外”での表現は、多くの人が言葉の意味を理解できないとして、ある意味“禁止”されていた訳である。バブル期に、当時の文部省が“方言あってこその日本語”という方針に切り替わったから、方言に関する勉強会も行われるようになった訳であり、多彩な表現に、舞台となる地方独特の言い回し…方言による表現が一般化したと言っていい。特に放送局のアナウンサーは、どこの地方局に所属してても“標準語”以外でニュースを報じたり、ナレーションを行うことなど“御法度”とされていた訳であり、故に、どこの放送局でも東京を含む南関東出身者が好まれたのである。
それ故、大阪も含めた“地方出身”ってだけでアナウンサー候補生から“除外”されるケースが多く、そこをクリアしてアナウンサーになれても、真っ当な仕事が来なかったケースが多かった。実例を挙げる必要はないかと思うが、“競馬実況の神”と称されがちな杉本アナとて、KTV入社時、大阪のテレビ局であるにも関わらず、“奈良弁が強いw”という理由から、ニュースやナレーションの業務から外されたのである。(で、競馬専門になった訳だが…)念のために言うが、半世紀前の放送業界は、総じて“東京基準”であり、アナウンス技術の研鑽も、NHKのアナウンサーが講師になって、徹底した“方言排除”が行われたのである。そこに“異変”をもたらせたのが、乾浩明桑原征平といった“関西出身”で“関西弁”で勝負する局アナが、大阪発の全国ネット番組で大暴れしたことによる。ただし…彼等の場合スポーツ実況やニュースでの活躍よりも、バラエティー番組でのMCで人気を博した訳であり、それ故に在京放送局に入社した関西出身のアナ達は苦労することになる。そして、いわゆる学閥…というよりも、学生運動を機に、就職先をメディア界隈に求めた連中により、さらに殺伐とした空気が、業界全体を支配するようになる訳である。こうなると、どの放送局も名が通った“一流”の学歴を求めるようになり、これがのちに“高卒アナ”という道を閉ざす一因にもなってしまう訳である。(こう表現した理由に、民放黎明期のアナ達には、大学在籍中に、あるいは中退してアナウンサーになった人もいたからである…松本アナも、その一人w)
地方競馬の場合はともかく、中央競馬において、有馬理事長の“鶴の一声”で、現在のラジニケに場内での実況を丸投げするようになると、東西で常駐の実況アナを配属させる事態となり、ゆえに長岡アナが(実況歴がそこそこにも関わらず)大阪支社の“教育係”的な立場でバシルーラさせられた訳であり、その理由が、大阪支社独自で雇用した競馬スタッフ…特に実況アナに対し、できるだけ“標準語”での番組進行や実況を叩き込む必要があったからである。てのも、WBC和歌山放送から移籍した高木章博(高木守)アナ自身も関西弁が強いため、とてもじゃないが、“まともな実況”ができないという風に見做されていたトコがあったようで、後々“大阪支社の指導官”として後塵を育成させるには、その“手本”となってもらわねばならないという危機感もあったからである。(あ、高木アナ本人の件に関しては、資料が集まり次第、紹介予定…)当時、中央競馬といえども東西でバラバラなレース形態だったのが、後々整備されて東西の垣根が取っ払われた体系に移行するのを、この時代からラジニケは見据えていたといって過言ではないと思う。
もちろん、地方競馬の実況アナとて、今でこそ専門的な講習を受けた上で耳目社やダートプロ等といった所属事務所に入って、そこから各地の競馬場へ実況しに行く人もいるが、それ以前は、主催者自治体の職員が派遣されることも多く、故に実況に“お国訛り”が反映されることも多かった。とはいえ、流石に“喋りのプロ”としての意識があるから、一応、分相応のアナウンス養成の教室に通ってた人が多かった訳であって、吉田アナとて、元々は映画の吹き替え声優を目指してたからこそ、映画会社の養成学校に通ってた訳であり、その学費や交通費を稼ぐ(ついでに発声の訓練を兼ねて)目的で競馬実況を始めた訳である。(で、のちに園田の“名物実況アナ”になるんだが…w)
中央と地方の違いはあれど、実況アナとして“美しい日本語”とは何か…という探求は、現在進行形のままであり、されど共通して言えていることは“ファンにわかりやすい実況”に尽きる訳である。だけど、そこんトコが実は一番難しいトコであり、馬名によっては、その“発音”で大丈夫なのかという問題もあるし、カタカナ表記であるが故に発音が難しく、実況中に噛むこともある訳である。特に外来語での馬名には、特殊な発音(Vの音とか、発音しないHとか…)があるため、そこで噛むケースがある。あと、馬群がゴチャゴチャしてる状況下で瞬時の判断が要求される状況だと、言葉を詰まらせることもある。特に55歳以上のベテラン実況アナの場合、様々な身体ハンデ(老眼から動体視力が落ちる、呂律が思うように回らない、声が枯れるなど)を抱えながらの実況となる故、どうしても“丁寧な実況”を心掛けてるつもりでも、リスナー観点で聞いたら“なんじゃこりゃw”な実況になってる可能性もある。そういったことを踏まえた上で、本気で“美しい日本語”で“丁寧な実況”を追求した際、リスナーと実況アナの感情が、目の前のレースと乖離した状態であれば、それは記憶にも残らない陳腐なモノとなる。逆に、過度な感情移入や放送番組を意識したような実況でも、ファンとの感情がリンクすれば、たとえ“迷実況”とバカにされるような内容であっても、記憶上では“名実況”に化けるのである。だからこそ、“究極の答え”が見つからないからこそ、実況アナとしてメシ喰う以上は、常に研究と鍛錬を欠かす訳にはいかないのです。