迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

貴公子とともに見た夢…

今月はぶっちゃけ、杉本清アナに関する特集めいた格好で推移させてもらうが、杉本アナといえば、やはりテンポイントという馬の存在を避けて通る事はできないだろう。但し、このブロマガはあくまで、競馬実況アナにまつわるエピソードが専門であって、競走馬や騎手の話は場違いなネタである。しかし…テンポイント抜きでやっちゃうと、杉本アナの魅力というか、ネタとしてスカスカになる事い受け合いであり、面白味もなかろう。それに、テンポイントと杉本アナがリンクしないと、先週と今週のサルネイムや“おうまのracecalleふんせんき”のひとコマに使われている“きよしぽいんと”の説明がやり辛くなるw

杉本アナがここまでメジャーな存在になったのは、テンポイントあってこそ…と何度も書いているが、テンポイントが活躍してた頃の中央競馬は、今と違って勢力図が“東高西低”状態で、しかも交流そのものが少なかった。よって、関西馬が関東での重賞に出走する事は稀な話であり、その逆もまた然り…な状況であった。特に、現在でいうトコのGⅠレースでは、ほぼ関東からの遠征馬が、関西の馬場でも総ナメ状態といったぐらいの為体(ていたらく)ぶりを、ファンに晒し続けてた程である。そんな中、クラシック戦線に光明を与える様な存在だったのが、その馬体の美しさがら“貴公子”と呼ばれたテンポイントだった。
そして…杉本アナとテンポイントがセットで語られるきっかけとなったのが、1975年の阪神3歳ステークス…現在は牝馬限定の阪神ジュベナイルフィリーズだが、当時は東西で2歳戦(当時は数え年で計算した為3歳という表示)の混合重賞戦として、開催されていた…このレースでの実況が、関西ではあまり反響がなかったのに、関東では波紋を呼ぶ事になる。そう、この時、テンポイントの強さを強調して実況した事が、報知新聞の紙面で話題となり、ここからテンポイント関連で、杉本アナが注目される様になった訳である。そして、のちにKTVテンポイントの海外遠征に向けたドキュメントを作る事になった時、その出走する全てのレースを、杉本アナの実況で纏めようとした訳だが、ここで問題が生じた…そう、フジテレビが制作協力を拒んだのである。
というのも、フジテレビも一応、フジ・産経系列キー局である以上、しかも東日本での競馬中継を担っている以上、系列地方局の我侭に対して、首を縦に振る事はできなかった。現在なら、2012年凱旋門賞実況中継の際に、岡安譲アナの派遣要請をKTVに言ってきた様に、杉本アナ相手にそんな惨い事はできなかったとは思うが、当時は当時で、KTVとフジテレビは同じ系列局でありながら、結構仲違いしてたトコもあった。(今でもその影響はあると言えばあるんだがw)まして、当時は放送席の確保も容易ではなかった。(今でこそ、関西や海外からの放送局が、スタッフ共々乗り込んでも対応できる様、予備の放送ブースが、どこの競馬場でも据え付けられているが…)ま、実際は、番組制作の決定が、有馬記念ギリギリだった事も影響してるのだが…ともかく、条件として、競馬中継ではライブで流さない事、そしてあくまでドキュメンタリーの一環として収録する事で、フジテレビから合意を得た上で、中山競馬場の一般席に収録用のスペースを確保して、有馬記念の実況をやった…この時にあの名フレーズ『あなたの、そして私の夢が走っています』が誕生する事になる訳である。
しかし…その海外遠征が結局打ち砕かれる事になるのは、壮行レースとして選んだ日経新春杯での“悲劇”である。このレースはご存知の通りハンデ戦(一時期別定戦…レースの格や勝利数で斤量が決まるレースの事)であり、その負担斤量は常識では考えられない66.5kg…そう、本来なら出走を断る“理由付け”としてのハンデが課せられ、それを受託した事によって、この“悲劇”が引き起こされる事になる。その後の結末は、あまりに有名すぎるんで、ここでは割愛するが、この事がきっかけで、杉本アナに対する注目度が増したといっても良い。
その後、テンポイント関連のレコード企画がいくつか出てくる事になるんだが、当初はそんなモノを作るつもりはなかった…否、あまりにバカ騒ぎし過ぎるレコード会社の胸算用に嫌気がさし、尽く断ったのだが、ただ一社だけ、その流れを読んで、ほとぼりが冷めるまで企画を切り出さなかったトコがあった。それがCBSソニー(現在のソニーミュージックエンタテイメント)である。この事から、フジテレビがポニーキャニオン経由で競馬関連ビデオの発売を行うまで、CBSソニーでいくつかの企画レコードを出す事になる…ま、その関連話は次回にやるとして、ただ、テンポイント関連のネタを最初にレコード化したのは、ポリドール(現在のユニバーサルレコード)である事だけは、付け加えておく。

名実ともに杉本アナがメジャー化して、その活躍の場を広げるきっかけとなったのは、このテンポイント絡みの悲喜こもごもだった事はいうまでもなく、そして、テンポイントの物語の傍には、常に杉本アナの実況が添えられるのは、競馬ファンであるなら至極当然な話と言えよう。事実、このネタの参考資料でもあるエッセイ、“あなたのそして私の夢が走っています”でも、一番最初に書かれてるのは、テンポイントにまつわる思い出であり、最後はそのライバルであったトウショウボーイの訃報に触れている…あとがきも終え、いよいよ試し刷りという段階で、急遽原稿を差し込んだようである。その中の一文に、こんな言葉が書いてある。
天馬と流星が大空を駆けめぐる夢を見るのは、私だけだろうか。
ここでいう“天馬”はトウショウボーイ、そして“流星”はテンポイント…その見果てぬ“夢”は、いつしか後輩達が紡ぐレース実況へと繋がっている。