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迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

自分の耳でも潰したら?

最近、幼稚園・保育所をめぐるトラブルが絶えない。少子高齢化が叫ばれてる反面、子育てが“やり辛い”環境へ追いやってどうすんだという事案が度々報じられてるが、その殆どが“ガキうるせぇ”という、完全に理不尽な言い分である。確かに乳幼児の泣き叫ぶ声は、騒音として訴えても仕方ないトコはあるが、さりとて、それを親の責任にしたり、幼稚園・保育所を運営する学校法人や自治体に訴えを起こしてる時点で、すでに間違っている。なぜなら、乳幼児〜小学校低学年が撒き散らす“騒音”なんぞ、エエ歳こいたジジババのシュプレキコールや、若気の至りでブイブイ言わすバイクの爆音に比べりゃ、よっぽど“健全”であり、まともな事であり、そして“子供”だからこそ許される“特権”である。それを“煩い”だの“迷惑”だのと言ってる時点で、お察しである…以前、本館の方でも書いた事だが、宗教の“おつとめ”ひとつでもクレーム言ってる人ほど、実は単なる“かまってちゃん”であり、また、宗教に懐疑的な人ほど、実は宗教の“役割”そのものを誤解してる、トンでもない大馬鹿者である。なぜなら、宗教の“本文”は、人間らしく生きるための哲学であり、そして、それゆえの“理不尽”な事に対して寛容になれる様訓練する場だからであり、宗教団体が運営する学校法人の幼稚園・保育所では、入所園児に対して、様々なしきたりや礼節、マナーを教える場である。(その一環として、体験型の学習で茶道や習字をやるわけだが…)そういう“基礎中の基礎”も知らずに宗教団体や幼稚園・保育所を批判するのは、お門違いも甚だしいトコであり、そういう文句があるなら、限界集落に住むか、聴覚を失った方がマシである。(いや、マジで…)

ここからが本題。では、なんで待機児童問題があるのか?その最大の原因は、共働きが増えた事による、職場環境がそれに準じていない事と、もう一つ…そもそも“子育て”は家族間でやるもんだろ…という概念が、未だに日本人は抜けていないって事である。ひっくり返った言い方をすれば、親子3代以上同居状態の家庭で、しかも女性が常に家にいる事を条件とし、それができない家族のみが、行政が運営する幼稚園や保育所に子育てを手伝ってもらうのが、今でも“理想”なのである。これがそもそもの間違い。男女雇用機会均等法という法律をもって、職場におけるジェンダーフリー(性差撤廃)が行われていても、そのための準備として、子育て世代の家庭に対し、一時保育を請け負う施設(託児所など)が整備されてナンボのハズが、コスト削減だの余剰施設の撤廃だのという名目で、何一つ実装されていない。それどころか、独女に対していわゆる“寿退社”を強要したり、既婚者に対して妊娠や出産を機に降格人事やセクハラ・マタハラまがいな行為が頻発すれば、誰が子育てするとでも?実はここが重要…未だに世の中の男性が“ガキ”すぎるから、こうなるんです!! もう一度言います…世の男衆の“精神年齢”が幼すぎんじゃい!!

閑話休題…つまり、ハナっから“女性が邪魔”と言わんばかりな職場環境で、それでも働かないと、家族を養えない家庭が増えているにも関わらず、そこんトコを見ずに行政がドタバタしたって意味がない。当然、すべての職種で子育てのための養育施設を設ける事は不可能だが、それを“理由”に女性を軽視しておきながら、専業主婦になれと言われても、世の女性がそれで納得する訳ですか?(ま、オイラの場合は、嫁いだ先が交通の便が悪い農家なんで、仕方なく“寿退社”しましたけどねw)更に、高齢者介護をせんにゃならん家族もいるのに、それすら“邪魔”というなら、高価でもいいから今すぐ、全自動ロボットを大量に導入して、人件費をカットすりゃいいでしょう…でもそれって、逆を言えば、収入源がない人達ができるだけであって、せっかく作った製品を“お金がない”事を理由に、誰も買ってくれなくなる事を意味するのに、誰も気づいていないから可笑しい訳であり、んでもって、男性のみで社会が本当に回るのであれば、この世の中に生殖における“メス”の存在も不要になることを意味する。まぁ…それはそれで非常にキモいし、その憂さを晴らすのにカチムチの変態と戯れる事を受け入れないとマズい事になるw(ホレ、アニメの“アクエリオンEVOL”で、生まれくる者が全部男性ばっかで、女性がいない世界ってのが、自分たちの世界が滅亡するかもしれないって事で、女性をさらっていくネタがあったが、ああいう状態、何かに似てると思いませんか?)

少子高齢化でもまた然り…子供を大事にせんと、自分の我儘ばっか言ってる中高年や老人どもを見てると、この“結果”も必然の理じゃないか?そう、確かに、自分の“若かりし頃”も、世の老人どもの“理不尽”な政策によって振り回された挙句、大乱闘をやった訳だが、それによって勝ち得た権限を、今でも振りかざすのであれば、その“同じ過ち”を繰り返す事になる。違いがあるのであれば、それは、今の若年層の方が知恵が回るという事…即ち、自分たちを支える屋台骨がいなくなれば、必然的に、その御鉢は“言い出しっぺ”に帰ってくる事を、みんな知ってるから、ワザと子育てをしなくなったとすれば、これほど怖い話はない。なぜなら、自分たちが“育児放棄”をした事によって、誰も“子育て”のノウハウがないから、結局“子供を作らない方がラク”という概念に至り、余計に少子化に歯止めがかからなくなるどころか、自ら“祖国の滅亡”を望む様になる。もっと言えば、今、自分が住んでる国そのものがイヤになり、富裕層や有能な学者は海外へ逃げ、貧困層は自暴自棄で、いつでもテロを起こしかねない状況になる。日本の場合、“迷惑かけたくない”一心で、一家心中か個別での自死を選ぶ訳で、そこには苦しみしかない。自分自身の“責任”でそうなってしまった以上、滅亡は“待ったなし”である。

ここで最初の話に戻せば、ガキの声が煩いとダダこねる成人の方が、どんだけ“稚児こい”よ?そんなに煩いなら、昼間、図書館に籠もれば?あの、異様なまでの静けさが好みなら、そこにいたらいいだけの話。年がら年中騒々しいのが嫌なら、それこそ限界集落といわれる地域に引っ越した方がいい。都会のような利便性はないが、まず、ガキの声はしないし、煩いと思っても、それは自然が発する音であって、文句を言う相手としては人間の様にはいかないw それも嫌なら、耳鼻咽喉科に行って、こう告げればいい…“聴覚を潰す方法はないか?”と。聴覚障害の人たちは、音が“聞こえない”からこそ、上手く言葉を発しないだけで、実際は手話やジェスチャーで会話をする事ができるし、必要に応じて、筆談をする知恵がある。しかし、突発的に(あるいは、加齢によって)聴覚を失った場合、自分が“聞こえない”という自覚がないから、どうしていいのかわからない…けど、ガキの喚く声を無視する事ができるw “都合よく”難聴になれるならともかく、他の人の声すら聞こえなくなれば、どれだけ寂しく、そして、どれだけ危険な事か、すこし想像してほしい…自分の我儘によって生じた“結果”が、どれほど他者を傷つけ、恨みを買ってるか。そこに気付かない様では、何をやっても、誰一人報われない…