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迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

宗教と学校法人の話。

とある宗教団体が、来年開校予定で作っていた大学が、文科省から“ダメよ〜ダメダメw”という判断が下された。(ま、詳しい事はコレを一読してw)で、一部のSNSでは、全くもって“お約束”通り、創価学園(今回は大学)に対する流れ弾がわんさかw けど、創価学会憎しで創価の学舎を叩く人の多くは、そもそも、大学という概念は、キリスト教の教学研究所を指すモノであって、現在の“大学”に至るまでには、結構紆余曲折があった事を知らない人が多い。ぶっちゃけ、本来の意味での“大学”は、聖職者が自分トコの宗教学を深く研鑽し、それを広く一般に布教させるための場であって、また、他宗派との論争の場でもあった。だから、若き指導者を鍛え上げる学問の場が、大学の本分である。

閑話休題、ではなぜ、宗教団体の多くは、学校法人を運営してるのか?そのヒントは、宗教法人法に基づいて、信徒や周辺住民に対する生活支援を施す事を条件に、納税が免除されている事にある。日本の場合、私学の多くは、本来であれば国や自治体が作るべきトコを、学者や宗教家が私財を投じて開設した“歴史”がある。事実、“関関同立”はすべて、キリスト教が母体にある学校法人である。さらに、龍谷大や相愛大は仏教系、天理大は言わずもがな(天理教)…である。即ち、創価大学を目の敵のように罵る者は、これら宗教団体が保有する学校法人に対しても、同じ文句を言えるのか…って事になる。Twitterの方でも書いたが、いくら宗教団体運営の学校法人だからと言っても、やってることは、他の私学や公立の学校と全く一緒。経済学部なら経済全般の事を、法学部であれば法律の基礎知識から国際法に基づいた判例の研究等を、医学部であれば触診から人体解剖(!!)まで、様々なカリキュラムが組まれていて、そこにはあくまで、宗教的な概念を持ち込まない事が必須条件となる。宗教学をやる場合でも、あくまで個別の信仰を阻害する様な授業はやらないのが本筋である。但し、生業としての聖職(神主や僧侶等)を目指す場合は別。事実、國學院大学には神主資格を取るための授業が存在し、実際に神職として各地の社殿に赴く人もいる。オイラの知ってる範囲で言えば、昔、某放送局のアナウンサーでその資格を持ってる人がいて、実際に担当番組内で、リスナーを対象にした神事を執り行った事がある。これはある意味特異な例だが、あくまでこれは、本人が希望して取った資格である。したがって、宗教団体が学校法人で、他宗派の信徒であるかもしれない学生や生徒に対して、改宗や宗教理念の押し付けをやってはいけない反面、自宗派の信徒に対しての受け入れ態勢として、校内の一部に礼拝堂や懺悔室などの設備がある訳である。

そもそも、布教活動時に、信徒や宣教師は互いに、自宗派の宗教哲学と活動方針を示し合わせ、確認作業を日常でやっている訳だから、わざわざ学校法人としての学舎で学ぶ事は省略できる部分であり、実際、学会員がやってる各種の教学試験や研鑽も、学校という公の場ではやらないw(他宗派の生徒・学生もいるからね…)だからこそ、学校法人として認められ、大阪や東京等に学校や幼稚園を開設することができる訳である。そんな事も知らずに宗教系学校法人を罵るのであれば、それはとんでもない誤認でしかない。(ぶっちゃけ、私学の幼稚園なんて、宗教団体の施設に併設なのは、日常茶飯事やでw)日本の学校は基本、集落内の社殿仏閣の一部で開設してた“寺子屋”が元祖と言っていいほどで、それまでは、一部の階級以外は読み書きすらできなかった。そんな時代からの話を持ち出してまでも、宗教団体と学校法人の関係を説明せんにゃならんほど、最近の人たちは宗教に疎くなったような気がするのは、オイラだけだろうか?