迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

邪魔しない実況とは…?

新年早々、ちょっとフォロワーとの会話で、意見の食い違い的な部分があったんで、誤解をほったらかすのもなんなので、ちょっとオイラ的に解説させてもらう。
まぁ…先にぶっちゃけると、岩佐徹アナとTwitter箱根駅伝の実況に関する話をしたんだが、ちょっと先方に誤解を与えた様で、140字じゃ内容解説が難しいんで、こっちでやる次第…って訳だが、誤解されているのは、吉田仙人の信条である“騎手を男前にするのが仕事”という言葉。この言葉に食いついて、“勘違いも甚だしい”という旨の発言をされたんだが、これはあくまで、競馬の実況…特に、地方競馬に関して言及した言葉であり、また、その“騎手(=競技者)を男前にする”という本意は、単に主役となる勝利者のみでなく、競技参加者全員にキチンと触れ、観客にキチンと認識させる事が本文であり、そして競技とは関係ない余計な情報を盛り込まず、目の前の事柄に集中させる事が、本来の実況アナの仕事であらねばならない。それを一言で表せば、そういうことになる訳である。
しかし、国語…というか、文章や言語表現というモノは、どんなにこっちが読みやすいよう、伝わりやすいようにと創意工夫しても、受け手側がそこを理解しきれていないと、余計な誤解を招きかねないのもので、そこも含めた部分で難しいのです。これ、どんなスポーツ実況でも同じで、実況者としては観客に、あるいは視聴者に対して“わかりやすい実況”を心がけてやったとしても、その真意まで読み取ってくれているかは受け手次第です。拙い実況でも状況が理解できるのであれば、批判されにくいですが、長年、数々の名勝負に立ち会い実況したものであっても、その表現方法や声の出し方ひとつ取っても、観客や視聴者が理解できない状況では、ヘタレとして叩かれて当然です。
つまり、自身の実況スタイルが完璧だと自惚れる人ほど、失態を犯しても、それを技術スタッフやゲームそのものを批判し、観客や視聴者の声も無視しがちになり、逆に、本気で言葉の職人として精進する人は、たとえ他人のミスであっても、それを招いたのは自分自身の拙さゆえと戒めます。ラジオの場合、映像情報がない分、現場の状況を克明に伝えるための表現や限られた時間内での情報公開が要求されますが、テレビの場合、その部分を映像が補うため、余分な情報をカットする代わりに、時間的な余裕をどうやって埋めていくかが勝負になります。そこで喋りすぎると、“何の実況”なのかがぼやけてしまい、視聴者はイラつくことになります。かといって、喋らずに無音で済まそうとすれば、目の前で“何が起きた”かの解説がない分、非常に見辛い状況になります。このバランスが取れてないのが、昨今の箱根駅伝での実況にあるのでは…と思う訳です。当然ですが箱根に限らず、在京テレビ局のスポーツ中継全般のレベルが、相当酷い状態になったなという印象が目に付くのは、オイラの穿った見方かもしれませんがw