迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

公営ギャンブルが廃止になる背景…

どっかの代議士が、お台場に“公営カジノ”を作るべきだとほざいている様だが、敢えて言おう…公営ギャンブル全般を廃止に追い込んでおきながら、カジノをやっても儲からんw 何故なら、世界的に、ギャンブル…特に競馬が行われている地域は、馬事文化に対して富裕層が大金叩いて保護・育成に尽力してる訳であって、逆に競馬が廃止になるトコは、その工面ができない程、社会全般が貧困に陥ってる事を意味する。これは何も、市民運動云々の話ではない。競馬は、古の頃からある馬事文化の象徴であり、人と馬の関係を知る、重要なファクターである。言い換えれば、競馬のない国や地域とは、そもそも、家畜用の馬がいないトコであり、まして、牧場を作れる程の面積もない島国や山岳部では、馬事文化そのものがない。

日本の場合、公営ギャンブルが盛況だったトコには、いくつかの共通項がある。本家の方でも解説したが、着目すべき点を三つに絞ると…

1)炭坑や鉄等の鉱脈資源があった。

2)製鉄所や製油所等、重化学工業が盛んだった。

3)価値のある特産品が世界中で取引されていた。

というポイントがある。
よく、競馬関係者が“小倉はパラダイスだ”という発言を目にする訳だが、その最大の“理由”は、かつて、小倉競馬場をはじめとする公営ギャンブル場が、九州(特に福岡・佐賀・大分)に集約されていた時代があった。何故なら、この近隣は戦前からの炭坑が多かった事と、その良質な石炭と鉄鉱石を使って製鉄業が盛んだったからである。つまり、1)と2)の条件が上手く重なり、しかも労働者達の“娯楽施設”のひとつとして、公営ギャンブルが上手く機能してた訳である。その名残が、今も小倉競馬場周辺にはある訳で、北九州モノレールに乗って小倉駅に向かう途中には、メディアドーム(小倉競輪場)があり、少し足を博多方面へ伸ばせば若松競艇や福岡競艇、更には飯塚オートや、山口側に行けば山陽オートがある。(よく、“北九州は修羅の街”なんて揶揄されるが、三競オートがここまで集約されれば、そう言われてもおかしくないわなw)

同じ理屈で言えば、福島県に中央の馬場がある理由も、そもそもは1)の条件が存在してた訳であり、廃止になった上山競馬や益田競馬も、近隣に銀や銅の鉱山があった為である。また、水沢や盛岡に競馬場があるのは、岩手県がかつて、馬産が盛んだった事に加え、2)の条件…釜石市に製鉄所があったからである。新潟県の場合だと、日本で数少ない産油地(日本海側には、小規模な油田が多いのよw)であり、また、3)の条件(燕市の鍛冶産業)が盛況だったため、県営で新潟競馬場や、これまた廃止になった三条競馬場が存在してた訳である。むしろ、中央競馬として現在の新潟競馬場が存続できたのは、ある意味の奇蹟であり、福島県とは県民性的に意味合いが違う。(福島県の場合、官民挙げての競馬好きだが、新潟県は…)

北海道の場合は、モロに1)と3)が該当する訳で、道営競馬が規模を縮小した背景にも、夕張炭坑の閉山や北見のハッカ(ミント)の“価格暴落”等が影を落としていると言っていいだろう。“アレ?”と思うかもしれないが、北見はかつて、世界のミントのおよそ7割を生産してた時代があり、今でも“地域特産品”として名高い…が、戦後のl-メントール(ミントの清涼感成分)の製造が、もっと安価で、しかも大量生産できる様になると、途端にその取引価値が暴落した訳である。また、高知競馬の場合は3)が該当する訳で、そもそもは捕鯨基地であり、従事してる船員達の娯楽でもあった訳である。

この様に、日本のギャンブル事情は、そもそも論からして海外のカジノとは違い、地域の産業が活発である事を背景に開催していた訳であり、その収益は、国や主催自治体の“税収”として活用されてきた訳である。しかし、諸般の事情でそれらが衰退した途端、収益が見込めなくなり、廃止になっていった訳である。現存している公営ギャンブルを活性化できないでいるのに、海外の富裕層をアテにしたカジノを国や自治体が経営したとしても、却って赤字を生むだけである。まずは、根幹である日本の経済を安定化させる事が重要であり、その為の経済戦略を展開させる事が本筋である。真の意味で、エンターテイメントを充実させるには、庶民の生活を向上させる事が不可欠であり、その為の公共事業として、道路整備や都市開発を行う事が重要になる訳であり、その手順を間違えてはいけない。ぶっちゃけ、一攫千金を狙ってギャンブルに手を染める事ほど、本末転倒な事はない。