迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬を愛する語り部達…vol.20:やっぱ競馬が好きやねん・濱野圭司

本家では、2008年の2月にやった(http://d.hatena.ne.jp/strayhorse/20080215/1203079476)のだが、KBS京都に纏わるゴタゴタがきっかけで、OBCラジオ大阪に競馬中継を復活させて、今年で20年となる。そこで、もう一度こっちの方で、再掲載しておこうかと思う。
そもそも生粋の泉州男児の彼が、競馬と出逢ったのは大学2年のとき。恐らく“悪い先輩w”に連れられて初めて訪れたのが、京都競馬場だったのでしょう。当時は、成人でも学生は馬券が買えなかったから、ただ見てるだけだったとは思いますが、この時に躍動感ある馬の動きに魅せられて、競馬の仕事がどれだけ“厳しい世界”かを知らずに、競馬に携わりたいと思う様になった訳である。そして、競馬関連の仕事がしたくて就活してたら、内定を受けたのがKBS京都だった訳である。
ただ、最初の内は、ラジオ番組でのMCがメインであり、また、スポーツ中継をやるにしても、一しがない地方局故に、その殆どが高校生のスポーツ大会の地方予選がメインであったのはいうまでもない。まして、KBS京都は、その開局までの経緯が奇妙なトコでして、のちにその事が起因となる存廃問題へと発展する事になる…ま、そこに関してはバックナンバーを一読される事を勧めるが、ともかく、当初の目的を果たす為に研鑽を重ね、入社から2年後には競馬場に実況アナとして姿を現す事になる。
濱野アナやのちに紹介する美藤啓文アナ、ひとつ年下になるが佐藤泉アナの世代にとって、丁度競馬に対する認識が、単なる社会悪から、家族で楽しめるレジャー産業への転換点を迎えようとしてた世代であり、故に学生時代から競馬にハマった人も多い。(ま、佐藤アナの場合は“お国柄”なトコもある訳だがw)だから、彼等よりも後の世代の競馬実況アナには、競馬をよりマニアックな感覚で楽しんでいた人も多く、彼等よりも年上の世代…特に、馬場アナみたいな馬主や牧場毎の拘りに対して精通した人がいた事もあって、その影響をモロに受けた世代とも言える訳です。ま、そこんトコに関しては、美藤アナか佐藤アナの紹介で、もう少しディープな部分をやるんでここでは省略するが、濱野アナにしてみれば、スポーツとしての競馬…特に馬場を駆け抜けていく馬の躍動感に魅せられ、そこにある人間模様に興味を持ったからこそ、競馬実況アナという職業を選んだと言っていいだろう。
そんなこんなで、KBS京都の競馬実況アナとして、エース級になっていく最中に、あの忌まわしき“イトマン事件”が明るみになり、そしてその中心に、KBS京都が巻き込まれる事態へと見舞われた…これが21年前の話。事件に関しては、このブロマガで既に公開してるんでここでは省略するが、在籍するアナウンサー達にとって、それは所属放送局の存亡の危機を意味していて、ひいては、競馬中継の廃止にも繋がりかねない状況へと追い込まれた。そして、その危機感は現実味を帯び始めた…ついに、裏社会系の金融機関からの根抵当権として、KBS京都保有する土地および社屋が差し押さえの対象となっている事が世間に知れ渡り、そして社員達を動揺させた。当然、在籍する局アナ達も例外ではなく、当時の経営陣と労組がガチで互いを罵り合う事態に陥った。そして、その争乱を嫌って、濱野アナや寺西裕一アナは、ひとつの結論として、1994年3月付けで、辞表を提出する事になるのです。しかし、その後の二人の運命は、全く真逆の方へ向かってしまいます。ま、ここでは濱野アナの話なので、寺西アナの件は後日、取り上げましょう。
さて、沈没船から逃げ出すネズミの様に、KBS京都を去ったのはいいが、未だに競馬実況への未練が残ったままだった…しかし、既存の競馬中継を行っている放送局に、契約でもいいから雇ってくれとは言えなかった。というのも、当時は未だに杉本アナの天下だったKTVは、メインレースの中継をやっているとはいえ、在籍するスポーツアナ達の貴重な“経験値を積む場”であり、MBSは蜂谷アナを中心に据えたシフトが組まれている状態であり、ラジニケは当然、“なにわの三本柱”が健在で、しかも大阪支社だけの判断で契約を結ぶ事は、やっていなかった…こうなると、啖呵を切ってKBS京都を辞職した意味がない。そんな崖っぷちで、ひとつの福音をもたらす放送局が手を挙げた。それは、KTVCRKの合併解消が期となって生まれた放送局、OBCラジオ大阪だった。本来ならKTV開局の経緯の“オマケ”として語るべきだろうが、この放送局自身も、ある意味“崖っぷち”な放送局で、ラジオにおいて本来であれば、ニッポン放送の“関西補完枠”として開局したのに、いつしか文化放送枠の“バイパス扱い”になってしまった経緯がある。その、そもそも論を言えばややこしい話になるんで、ここでは省略するが、当時、音楽番組を中心に据えていたOBCにとって、オグリキャップを起因とする競馬ブームに乗り遅れ、更にはFM802が開局して以降、自社の音楽番組が低迷するようになって、そのテコ入れが避けられなかった。そこで、濱野アナの提案を飲み、今までの日曜日の“出来レースなリクエスト路線”を変更して、競馬中継を行う事になった訳である…これが、現在も放送している“ドラマティック競馬”の始まりであり、そしてナリタブライアンの三冠達成とともに、OBCのヘヴィリスナーの中にも競馬中継が定着する事になる。スタート当時は午後のレースを12:30から丸々放送した事もあり、放送枠を縮小しようとしたMBSから競馬ファンが一時的にOBCに逃げてきた…のだが、日曜日の競馬中継を元の形式に戻すと、途端に形成が逆転した。そこで、関西では開催日の“全日放送”をやっていない事に目を付け、次第に放送枠を拡大し、現在に至る訳である。と、同時に、濱野アナ一人で実況をやっていたのが、地方競馬の廃止に伴い、廃業寸前だった実況アナ達の“救済の場”として、OBCが継続を決めたのである。ちなみに、土曜日が“空白”だった部分に、後々MBSCRKでのサイマル放送として“Go Go 競馬サタデー”(以前は“CRKパーフェクト競馬”)をやるようになった訳である。

今でこそ、流石に競馬実況だけでは食べていけない事もあって、そして、もっといろんなスポーツの実況をやりたかった事もあって、CSのスポーツ専門放送局でのプロ野球実況の仕事もやるようになったが、それでも競馬の仕事…実況アナとして活躍したいからこそ、OBCで競馬中継をやっているのだが、実は、以前紹介した“記者証”を持っていない…OBCそのものも、実は一昔前までは、競馬記者クラブ会員のスタッフがいたのだが、現在ではその存在を確認する事ができない。だけど今でも競馬の仕事ができるのは、恐らく、サンケイスポーツ(競馬エイト)経由で許諾を受けてやっているモノと思われる。だけど、人一倍、競馬実況が好きで、それが高じて、かつて、上山競馬が廃止になる以前、地方在籍の競馬実況アナ達を一同に会してバカ騒ぎをやるイベントの発起人として走り回った事がある。そのイベントが高知で行われた際、園田の吉田アナと竹之上次男アナを招聘したのは、いうまでもなく濱野アナの尽力によるもの。もしも2年前の福島で行ったイベント(競馬実況マスターズ)を、次に小倉で開催するのであれば、恐らく、その人選で走り回るのは間違いないでしょうw