迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

競馬を愛する語り部達…vol.30:屋根裏の桜吹雪・板倉俊彦

3年ぶりっすか、このネタやるの…w きっかけはともあれ、様々な競馬実況経験者を取り上げてるこのシリーズ、まさかこの人を紹介する日が来るとは思いませんでした。MBSクラスタ…特に“あどラン”を知ってる人ならともかく、そうじゃない人にとっちゃ“誰だよ?”って感じかもしれませんが、彼もまた、競馬実況をやってたんですね。惜しむなら、もう少し早めに紹介すべきでした…まさか、とあるラジオ番組で、同期の青木和雄アナから訃報を聞くとは思いませんでした。そして、それは蜂谷アナに関わる話にも繋がる、重要な存在でした。

蜂谷アナがMBSに入社する前年、青木アナや角淳一アナと同期で入社し、本来ならスポーツ実況を志願してた様なんですが、あまりに低音で、他のスポーツ実況をやるには、聞き取り辛い声質だった事もあって、結果的に競馬以外での実況は、早々に見切られた訳である。また、青木アナや角アナと違って、特徴的なモノがない事も災いし、正直、使い所が難しい存在だった。ただ…3人の中では正確に原稿を読みこなすことに特化したトコがあって、ゆえに基本は顔出しを必要としないナレーションやラジオでのニュース担当を請け負っていた。

若手時代にはそれでも、競馬実況のマイクの前に座った経験がある…蜂谷アナがデビューする以前、今ほど競馬が毎週重賞がある訳じゃなく、単発での放送がデフォだった頃に、双眼鏡を構え実況に臨んでいるのである。ちなみに、MBSが現在のように毎週競馬中継を行う様になったのは、蜂谷アナが正式に競馬実況専門となって以降の話であり、それまでは現在でいうトコのGⅠ開催での単発が普通の放送形態だった。(だからこそ、ラジニケが第2放送での関西主場からの中継を整備する必要があった訳で、北野アナや藤田アナが“地元採用枠”だったのは、そういう経緯がある…と推測される。)とはいえ、単発放送で、しかも他のスポーツ実況の経験が乏しい若手が拙い競馬実況をやればどうなるかはお察しの通りで、その恐怖心から、自然と競馬場から足が遠のいたと考えると、不憫でならない。(逆を言えば、それに物怖じせずに、むしろ堂々と競馬実況で名を馳せた蜂谷アナの方が‹バケモノ”だったという事w)

ただ、競馬そのものが“嫌い”って訳ではなく、時折、競馬場やウインズに顔をのぞかせ、馬券を楽しんでいた様で、蜂谷アナに馬券購入を頼む事もしばしばあった様です…そんな事もあって、実は千里丘時代は、結構蜂谷アナとぶつかる事が多く、正面切ってガチ喧嘩なんて日常茶飯事。しかしそれは、裏を返せばお互いをライバルとして認識し、アナウンス技術の向上を切磋琢磨してた姿であって、互いを意識してるからこその話だったのはいうまでもなく、ゆえに滅多なことでは同僚が喧嘩を止めることはしなかった様です。当の本人も、その件に関して、“あどラン”本一冊目に蜂谷アナに対して“ガチ喧嘩できる相手”と認めている事を踏まえると、“ウマ娘”のウオッカとダスカの関係よろしくな、本音は“背中を預ける事ができる同僚”と認識してたのかもしれません。

朗読やナレーションだったら安定した発音と低音で力強い声は、それこそ、競馬実況ではモノにできなかった分、準教育放送としてテレビ免許を取得していたMBSで制作した教養番組…特に小学生高学年向けに、当時の近畿圏内の教育委員会の依頼で作成した“私たちの近畿”という社会科のミニ番組では、ナレーションとレポーターをやっていて、オイラと同世代なら、覚えてる人も多いかと思う。だけど、今更ながらこういった一面もあったと紹介すると、なぜ、去年グリーンチャンネルで放映された“競馬書記”の中で、蜂谷アナが少し“暗い顔”をしてたのか、察しがついたかと思う…おそらく、収録の前後にこの訃報があって、それを隠すために取り繕ったと推察すると、相当なショックだったのかもしれない。



オマケの話:今回は本家と同時公開という方式でネタを揚げてます。また、本家の方ではちょっとしたウラ話も…w