迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

馬は二度死ぬ、人もまた然り…

西城秀樹と星由里子がなくなった翌日、テイエムオペラオーが心臓麻痺で放牧中に亡くなった…競馬関係のTwitterアカウントでは、先月のスペシャルウィークに続く名馬の死に、騒然となったのはいうまでもない。オペラオーに関しては、産駒こそ恵まれないままだったが、今でも色褪せぬ思い出がいっぱいで、特に、東京競馬場にほど近いホテルのウエイティングバーのアカウントが、こんな言葉を乗せて、栗毛の絶対王者に哀悼の意を表した…
オイラは、この言葉に対して、タイトルと同じ呟きを添えて引用RTしたんだが…思うことがある人達によって、若干バズってたりする。(つーか、オカンよ…こっそり垢作ってRTしないでよw)

ここからが本題…タグに“三世永遠の理”というのを付けてるんだが、要は、著名な競走馬であれ、マイナーな実況アナであれ、誰も彼も皆、“死ぬ”ことは避けられない運命であると同時に、故に細々でもいいから“語り継ぐ”ことによって、その存在は消えない“伝説”となる。つまり、その肉体や声、仕草や態度はもう“リアルで出逢う”ことはなくても、断片的でも記録が残ってたり、関係者として話題に挙がる事で、その“存在感”まで消える事は、時代を共に生きた“証人”達がいる限りはありえない話であり、その逆を言えば、“語り部”が何も言わなくなって、その記録や記憶が途切れた時、本当の“死”は訪れると考えていい。故に、遺された者の“使命”とは、その命と引き換えに“不忘の誓願”を、逝く者に対して交わし、それを実践することに尽きるのであり、そのために“何”ができるかを模索するのが、その“三世永遠の理”に則した生き方とも言える訳である。

ぶっちゃけ論で言えば、オイラがやってる、競馬実況アナにまつわるネタを、このブロマガや本家であるはてダに、あるいはTwitter等のSNSで公表する事も、“不忘の誓願”からの行動であり、また、自分自身が“生きた証”を世に残すための所作でもある。(とはいえ、本名でやらないのは、ま…それゆえの“照れ隠し”ってことでw)どんなモノであっても、人として“語る”事によって、初めて“記憶”が継承される訳であり、それを何らかのカタチでメモれば“記録”となる訳であり、それを総合的にまとめ、時系列で並べることで“歴史”として残る訳である。そういった意味では、過去の出来事を何らかのカタチで“語り継ぐ”行為とは、まさに“永遠の命”を維持するためのモノであり、それを行う人が“消える”ということは、その数だけ命(この場合は存在感)も“消滅”することになる。だからこそ、自分自身が覚えている範囲だけでもいいから、次の世代に対して、自分が経験したこと、出逢ったこと、携わったことに関して、克明でなくてもいいから語り続けることが大事であり、そこに嘘偽りを混ぜてはいけないのである…ただ、話の流れでの誇張は、記憶を引き出すきっかけになるんで、ある程度までの範囲では許されるモノと考えていい訳で、だけど、その“中身”まで自分の“都合がいい”カタチに改竄することは、歴史を語る上では、やってはいけない行為である。

そういった意味で考えると、このタイミングで、このアニメが放映されてるのは、ある意味で“必然”的なことだったのかもしれない…たとえ、その中身が史実と差異があったとしても。



遅ればせながら、20世紀終末に活躍し、多くの感動を駆け抜けたダービー馬と世紀末覇王となった栗毛馬に、哀悼の意を表します…南無妙法蓮華経