迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

人生って全部“勝負事”なんだよねぇ…

単純に、“ギャンブル”と聞いて毛嫌う人の多くは、金銭取引での損得勘定のみで話す人が多い。が、人生ってモノは、自分が行う選択によって決まるトコがあり、生きているだけで“ギャンブル”は常に行われている。ま、某宗教団体の会長の言葉を借りると…
仏法(=人生)とは勝負に尽きる
ということであるw つまり、どんな状況でも、自分の、あるいは他人の“意見”に乗るか反るかの話であり、その結果で一喜一憂するのが人生である。そこんトコを否定して、人生を語ろうものならば、どれだけ退屈で、つまらない話になるだろうか?本物の“インテリ”ほど、実はギャンブル好きが多く、特に競馬を愛する人が多いのは、様々な人との複雑な関与があって成り立っている事実と、一見無関係に見える事柄でも、その底辺の部分を見た時、その繋がりが因になってることに気付かされるからである。
NHKオグリキャップの特集をやった際、TL上では、当時の熱狂ぶりを思い出す人が多かったが、競馬の本当の魅力を一言でいえば、逆境や苦難を乗り越えていく姿を、自分の人生に投射して見ることができるかどうかに尽きる。これができない人ほど、ギャンブルとしての競馬を嫌う。言っちゃ悪いが、中央競馬を走る競走馬…特にオープンクラスの競走馬ってのは、単なる“エリート集団”ではない。どんなに良血馬として評価されてても、分相応の“結果”を残せない馬は淘汰されていく世界であり、中には未出走のまま“所在不明”になることもある。地方競馬に移籍して出走できるだけでの儲けモノな者もいれば、地方じゃ“無敵”でも中央で“ボコ負け”なんてのは日常茶飯事だ。
もっといえば、どんな馬でも分相応の調教と、距離適性などの条件さえ揃えば、血統や所属に関係なく勝負になるレースを展開できる訳であり、その“実証”がオグリキャップであったり、つい最近ならモーリスだったりする訳である。オグリに関していえばいうまでもなく出自や処遇に関しては今更説明する必要はないだろうが、モーリスの場合、馬主こそ社台の関係者だが、生産牧場は家族経営の小規模であり、また、サマーセールでの価格も激安(150万円…のちにトレーニングセールで1,050万円)という、前評価的に“クズ馬”だった訳だが、実際の競走成績を見れば、その“評価”はあまりにも失礼すぎる話になる。
つまり、競馬の醍醐味ってのは、そういう“ジャイアントキリング”な結果を見せつけられるケースがあるからこその話であり、単に“エリート”が順風満帆で全戦全勝する姿を見ても、全然面白くない。もちろん、そういうのが“理想”だからこそ血統が重んじられがちだが、どんなに配合のいい血統で、且つ、活躍が期待されるという前評価からセレクトセールとかで高額取引されたとしても、その通りの“結果”を残せなかったら、まさしく詐欺であり、もったいないけど“クズ馬”というレッテルを貼らざる得なくなる。故に、馬産地の栄枯盛衰も激しく、どんな名門牧場でも、その血統を重んじるあまりに破算→閉鎖となる訳であり、新進気鋭であっても果敢に勝負に出る姿勢を崩さないトコは、それ故の結果を残す…そう、ノースヒルズがやってきた結果こそが、去年秋にケンタッキーダービーのステップレースとして、ラニか出走し勝ったレースであるカトレア賞とヒヤシンスSが公式に認められたのである。また、地方競馬の開催でありながら、大井競馬場で行われる東京大賞典は国際GⅠであり、いわば“ダートの国際頂上戦”という意味合いがある。(とは言っても、実際は日程の都合もあって、中央との交流重賞が関の山状態だが…)そういう“大どんでん返し”的な話が嫌いな人ほど、学歴や家系を自慢したがる。自分の思い通りにならないのが腹立たしいからだ。
だから“ギャンブルが嫌い”という発言に繋がる訳であり、人様よりも学業成績が優秀であることや、自分の親や親戚の功績を、さも自分の実力のように言いたい人程、自分が評価されないことについて腹立たしく思うのであり、勘違いから総スカン喰らってる事にすら気付かないのである。恵まれた環境下にいて、何不自由なく生活できて、成績優秀でなんでもできる…そんなエリートが評価されない最大の原因は、人並み以上の苦労を経験してない事に尽きる。もっといえば、苦労する方向性そのものが間違っているから誰も評価しないのであって、中卒でも組織をまとめる才能がある者は、故にその組織の“一番偉い人”として君臨できるのであり、高卒でも技能が高ければ“一流の職人”として尊敬される。では、大卒でそこまでになれる人はいるか?本当にエリートと称される存在で、人を導ける帝王学を身につけ、実践できる人は、政治家で見た試しがない。企業の“学歴主義”なんてのは、結局は守りの姿勢であり怠慢でしかない。今、没落してる企業の多くは、そういうこった。勝負事を嫌い、避けてきた結果の“敗北”の姿ほど、惨めでしかない。