迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

“全部〇〇のせいだ!!”は、自分自身の事だと思え。

まぁ…ある意味“終わった話”を穿り返して、ギャーギャー騒いでる様だが、その件に関して一言でいえば、マンガを含む作家とは、稀代の“嘘つき”でなければ務まらん。何故なら、多くの小説は“事実に基づいた”と言えど、作家自身の“妄想”を言葉に書き起してるだけの話であり、それが読者の想像力をかき立てるから面白い訳であって、ノンフィクションや直筆エッセイと謳ってる文庫本でも、本当に本人が体験し、それを忠実に書いているかどうかなんてのは、それを追体験したり、書いた本人に質問を直でぶつけない限り、真贋を見極める事なんて不可能である。まして、当事者が虚偽をしたら、何を信じて良いのやら…である。

ここからが本題。反日感情嫌韓・嫌中の連中がよく吐く言葉に“全部お前のせいだ!!”というのを耳にする。当事者同士の話ならともかく、70年近く前の因縁話をされたとしても、与り知らずなのは当たり前な話。だって“当事者”でない者に対して、単に“同じ民族”だからと言って侮辱する行為は、諺でいうトコの“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”でしかない。言い方を変えりゃ、子孫末代まで自分達が受けた因縁を、ネチネチ言い続けてる方がおかしい訳であり、それは過去の出来事に縋ってる、卑しい思想である。沖縄の基地問題もまた然りで、戦争経験者や日本へ再編入する前の時代を経験してる者が叫ぶ分には良いが、いわゆる“戦争を知らない子供達”にまでそれを引き継がせて、誰得な話な訳?もちろん、悲惨な経験をした事を語り継ぐ事は大切な事だが、それを理由に、子孫末代まで呪い続けるのって、むしろその子孫達が可哀想だ。その事が原因で、余計に他人…しかも、第三者によって侮蔑される訳だからね。

いじめでもそうだけど、大概の場合、ある程度までいくと、みんな興味が削がれるんだよなぁ…東日本大震災もさることながら、19年前の阪神淡路大震災、当時を経験した者は、確実に年老い、いずれ消えてしまう。今、神戸市内にいる子供達は、震災後の復興を“知らない”子達もいる。忘れちゃ困るが、来年であの年に生まれた連中は、みんな成人になる…その子達がどれだけあの“大惨事”を語れると思う?今はまだ、経験者がいっぱいいるから話を聞こうと思えば、なんとかなるけど、これから100年後には、確実に経験者がいなくなる。それまでに、どれだけの“真実”が消えていくのか…

件のマンガでも、取材を受けた相手は、多分、真面目に復興を支援してくれると思って、そして、名のある作品で取り上げる事で、福島の現状を訴えたかったハズである…しかし、その意図を踏み躙った挙げ句、いかにも“東北を切り捨てろ”的な描写は、福島県民のみならず、東北の震災瓦礫を受け入れ、処分した自治体に対してもバカにしてる訳であり、まして、“みんな言わないだけ”なんてのは、あり得ない。言えないのではなく、実際のところ、双相地区以外の被災地で、放射線被曝による体調不良を訴える人は皆無に等しく、むしろ、避難生活による心身の疲労が蓄積してて体調を崩してるのが“現状”である。第一、そこに住んでる訳じゃない人間が、単に物見遊山で福島や岩手の被災地(福島第一原発以外)を歩いた程度で、年間被曝量を一気に受ける事はないし、まして瓦礫の殆どは、福島県以外の地域であっても、現地から搬出する際と、処理場へ搬入の際に放射線量を計った上でやってる訳であり、まして大阪市の焼却施設周辺には、一件たりとも住宅はないw(そもそも、舞洲周辺は工業地帯で居住地ではない)つまり、関西や東北の地理がわかるモンにとっては、この作者が、如何に取材で“自分に都合の悪い事”を省いた上でやっているかを露呈してる様なモンであり、また、“健康被害”としてる事案も、恐らくは、中国からのPM2.5による可能性もあるのに、そこを言わない時点で、多くの読者から“嘘つきだ”と言われても、これは仕方がない。

仏法用語でも説明したが、時が過ぎれば、どんな出来事も現代人には“与り知らぬ事”になるのは、直接の経験がないから想像ができないし、様々な文献や証拠写真、歴史的遺構を提示されても、その時代のリアル体験が乏しい分、その意味が通じなくなる…つまり、“末法万代(まっぽうばんだい)”とは、そういう事だ。だから、自分達が直接の被害を受けていないのに、さも“被害者だ”と主張する事ほど、自分自身を、そして、子孫を傷付ける行為はない。原因がはっきりしてても、それによる恩恵を受けた時点で、別の責任を負う事が必須条件になる…等価交換の理とは、自分で終わらせたいなら、相手が過剰な用件を突き付けられたとしても、それを甘んじて受ける事によって、むしろ相手が、様々な意味で大罪を背負う事を意味してる。宿業の類も、前世における“大罪”を意味してるのであれば、それを乗り越えて、初めて本当の幸福…使命感ある人生となる。

中国の横暴な態度は、今に始まった事ではないw ロシアもまた然り。でもそれは、国そのものが“未熟”だからこその話。考えてほしい…ソ連が掲げる共産主義が崩壊し、現在のロシア連邦になったのは、たかだか20年程度の話、中国にしては、毛沢東以降の“文化大革命”をやって発展したのは、40年そこいらである。しかも皮肉な事に、国連の“常任理事国”を名乗っている国々は、それ以前は、アジアやアフリカを、そして南米を、オセアニアの島々を“我が物顔”で占拠した連中である。そいつらがバカ過ぎるから、白人民族や富裕層を僻んで武装した、憐れな“英雄”が、女子供を殺害しまくる訳である…己の幼さを、なじられたくない一心でね。あのオウム事件も、ある意味、そういう事だ。

どんな犯罪も、そして紛争が起きる最大の原因は、全て自分の幼さを自覚できず、大人ぶって暴れるからこそ。それを諌めようとすれば、必ずそれ故の犠牲が出る。その背中を、子供に見せられるか?自分自身の“責任”の取り方を、子供の前で、残酷なまでに見せる事ができて、そして、事の真実を伝えた上で、“お前に関係ない話だから、黙秘しろ”と命ずる事ができるか?真の大人とは、自身を犠牲にしてまでも、子孫末代に“未来を託す”事が使命と胆に銘じ、人生を歩み続ける事である。だから、誰かのせいにして逃げるのではなく、自身の責任を果たす事…民衆から罵声を浴びても、偽善であっても、現実の“理不尽”と戦い続ける事に意味がある。さて…どれだけの罪を、あなたは背負えますか?